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第三話 ヒロインのいない物語

05-3.女公爵はお疲れである

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「休むよりもアリアと一緒にいたい。アリアの服を選びたい。着せ替え人形のようにして遊びたい。アリアと一緒にくだらない話をして笑っている顔がみたい」

 なによりもアリアが足りていない。

 私のしたことは正しいことだったのだと自分自身を納得させる為にも、アリアの笑顔が見たい。可愛らしいアリアを守る為ならば、かつての友だって切り捨てることは正しい行為だったのだと自分自身に言い聞かせなくてはならない。

「アリアを幸せにしたいだけだったのに」

 その気持ちが大きく揺らいでしまっている。
 私のしてきたことは正しいことではなかったのかもしれない。

「ただ、アリアを助けたかっただけなのに」

 ただ異母妹を救うことだけに執着をした狂人の行動だ。皇国を巻き込んだ。公爵家を巻き込んだ。友人を巻き込み、多くの人たちを巻き込んだ。

 そこには、なにも正統性はない。

 アリアが婚約を破棄されても皇国はなにも揺るがなかった。エイダがローレンス様と婚約することだって、可能だった。――皇国にとっては、どちらが嫁いでも貴族の血を持たない女性を迎え入れることになるのには変わらなかったから、皇帝陛下もローレンス様を咎めようとしなかったのだろう。

 私がなにもしなければ、すり替えられただけだ。

 公爵が権力を持ち出して、異議を唱えなければ、最初からエイダが婚約者であったかのように振る舞われていたことだろう。

「決して、エイダを、狂わせたかったわけではないのに」

 私が執着しているだけの話だ。
 醜い執着心に気づけないまま、暴走をした結果、友人が狂ってしまった。

 それを一方的に振り払って、アリアを守ることだけに執着をしてしまった。

「私は、アリアと生きていければそれでいい。それ以外は望まない。望みたくない」

 アリアを救う為だけに他人を犠牲にしなくてはならないのならば、仕方がないことだと開き直るだろう。

 私は他人を犠牲にしてしまうだろう。あの喪失感を味わうのならば関係のない他人だったとしても切り捨ててしまうだろう。

 領地と領民を愛する領主ではないのかもしれない。

 公爵として正しい振る舞いをするよりも、人望に溢れた領主を目指すことよりも、私は異母妹を守ることだけに奔走するだろう。

 それがおかしいことだということは自覚をしている。

 前世の記憶を取り戻したことにより、私はおかしくなってしまったのかもしれない。

「イザベラ様、休まれた方が良いと思いますよ。幼児返りでもするつもりですか」

 意味もなく足をばたつかせれば、足を押さえつけられた。

「イザベラ様はなにも悪いことはしていないでしょう。貴女は代々スプリングフィールド公爵領を守護し続けてきた由緒正しい公爵家の一人娘なのです。平民を踏み台にするような生き方をしたとしても、誰も否定するようなことはありませんよ」

 先程まで書類整理をしていたのに、いつの間に仕事を止めたのだろう。

「アリアお嬢様は、公爵家の敷地に足を踏み入れることさえも許されない存在です。それをイザベラ様の好意により公爵家で過ごすことが許され、貴女様が皇帝陛下に頼み込んだからこそ公爵令嬢として振る舞うことが許されている特殊立場にいるだけなのです。イザベラ様が執着心をお見せになるほどの価値があるようには思えません」

 セバスチャンの言葉は、公爵邸で働く者たちの多くが思っていることだろう。

 知っている。

 代々公爵家に仕えてきた執事やメイドは、アリアに仕えたくはないと泣きながら懇願してきたことだってある。彼らには公爵家の人間に仕えることで得てきた自尊心がある。それを踏み荒らすことは出来なかった。

「イザベラ様。アリアお嬢様のことで頭を悩ませるのならば、いっそのこと、切り捨ててしまってはいかかでしょうか」

「……そんなことはできない」

「そうですか。それならば、悩みを抱え続けることになるでしょう」

 いつもならば少しの動きでも気付くことが出来る。

 それなのに思考回路だけではなく、五感までも機能が低下しているのだろうか。足を押さえつけているセバスチャンの力は強くはない。

 それどころか伝わってくる体温の温かさが眠りを誘ってくる。

「行儀が悪いですよ」

「ん……、分かっている」

「お休みなられるのならば寝室に行きましょう。ソファーよりもベッドで眠りにつかれる方が心身ともに楽になりますよ」

「嫌だ。歩きたくない。抱えていけ」

「それで良いのですか。公爵なのですよ。イザベラ様、貴女様は誰よりも公爵としての姿に執着しているではないですか。幼い子どものような姿を誰かに見られることは避けるべきなのではないですか?」

「公爵だってたまには歩きたくない。それに屋敷の人間は知っている者たちだけだ。たまにはいいだろう。……ダメか?」

 動かないようにと足を押さえつけているセバスチャンの顔は見えない。

 思い返せば、父がアリアを屋敷に連れて来た日から、セバスチャンは私の専属執事に選ばれたのだ。いいや、私がセバスチャンを専属にしてほしいと我が儘を言ったのだ。

 思い返せば父に我が儘を言ったのは、それが初めてだった。

 その当時は執事見習いだったが、どうしても、セバスチャンがよかったのだ。


「……ふふ、許容範囲を超えたものはダメだと言ってくれても構わない」

 十年来の付き合いというのもあって私はセバスチャンには我儘を言ってきた。

「言われなければ、私は、理解が出来ないことが多すぎる」

 文句を言いながらも我儘に応えてくれるのを知っているからだ。

「お前たちが、私を現実に引き留めてくれる」

 嫌な顔をせずにしてくれる。
 それに私が間違えた時は正しい道を教えてくれる。

 それに応えなくても、文句を言いながらも私の傍から離れなかった。

「私は、時にはその制止を振り切ることもあるだろう。わかっているんだ。公爵として相応しい在り方ではないことも、他の方法を探すべきことだということも。それでも譲れないものがある。それは、お前に寝室に運べと駄々を捏ねているのとは関係がないものだけどな」

 前世でもそうだった。

 命を捨てるような行為だと誰もが理解をしている戦争に参戦を決めた時、セバスチャンは形相を変えて説得をしようとしてくれた。

 ロイは泣きながら引き留めようとした。

 ルーシーは戦場でも共に居ることを選ばせてほしいと懇願した。

 ディアは私の帰りを永久に待ち続けていると何度も手紙を送ってくれた。

 それでも、私は振り返らなかった。
 歩みを止めることは出来なかった。

「それでも、お前たちの声は、届いていたよ」

 公爵として道を歩むのならば、それは間違った道だと、他にも方法があるのではないかと言っていた。

「ちゃんと届いているんだ。それなのに、私は止まれなかった」

 私はその手を振り払ったのだ。

 それ以上、口出しをするのならば解雇通知を出すと脅すような真似をした。それなのにもかかわらず、私が屋敷を立つその日まで一緒にいてくれたのだ。

「それを後悔している」

 それは、仕事だったからかもしれない。
 それでも、最後まで引き留めようとしていたことは未だに覚えている。
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