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第三話 ヒロインのいない物語

05-2.女公爵はお疲れである

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 そうなれば、皇国が歩む未来は、皇帝陛下がお選びになられた未来となる。

 前世のようにエイダが干渉しなければ、敗戦が分かり切っている戦争に踏み切るような愚かな真似はされないだろう。そう信じるしかない。

 三時間ほどクリーマ町に滞在をしていたとはいえ、ようやく、太陽が傾き始めた頃だ。流石に十八時から寝るわけにはいかない。やらなくてはいけない仕事は机の上に山になっている。

「あぁー……」

 言葉にならない声をあげてみる。

 この倦怠感が抜けきらないのは、様々なことを考えてしまうからだろう。疲れているのにもかかわらず疲れるようなことをばかりをするからいけないのだ。

 しかし、寝室ではなく執務室に足を運んだのだから、私は過労でおかしくなったのではないだろうか。

「嫌になる」

 公爵の仕事はこれ程に過酷だっただろうか?

 様々な事業の立ち上げや事業展開は上手く進んでいる。農地改革はまだまだ手を付けなければならない課題が山になっているものの、それ以外の事業は成功しているといっても問題はないだろう。

 事業を開始してから二か月しか経っていないというのに、利益は膨大な額になっている。それは良いのだが、結局、事業が増えれば仕事も増える。しばらくは書類を見たくない。

 手を出した事業を考えれば公爵よりも商人の方が向いていたのではないかと思ってしまうくらいだ。

 冒険者や商人ならば頭を抱えるようなことはなかっただろうか。
 それはそれで先の見えない未来に怯えるのだろうか。

「イザベラ様。淑女として相応しくない言動はお控えください。私しかいないとはいえ、無防備に横になるのは警戒心が足らないのではないのでしょうか」

 セバスチャンがなにか言っている気がする。

「先ほどまでの発言は聞こえなかったことにいたしましょう。しかし、淑女とは思えない振る舞いをするのだけは見て見ぬふりをすることができません」

 仕事をしろと言わないだけいい。

「執務室には山のような書類があります。すべてイザベラ様の承認が必要となる重要書類ばかりです。仕事をされるおつもりならば、どうぞ、机に向かってください」

 言っているかもしれないが、私の頭の中には入らない。

 聞こえない。聞かない。

「イザベラ様。聞いていらっしゃいますか?」

 魔力の使い過ぎで身体が重くて仕方がないのだから、たまには大目に見るべきだ。
 仕事のやり過ぎは私だけではなくセバスチャンにも言えることだ。

 少しは休暇を取ればいいのに。休暇を取るように何度も言っても聞きはしない。

 生真面目すぎて過労で倒れても公爵家は一切の責任を問わない。

 私の指示に従わないセバスチャンが悪いのだから知らない。


「……アリアが足りない」

 仕事ばかりでアリアに会っていない。
 アリア。私の可愛いアリア。

 お前に会えない時間は苦痛でしかないよ。

「アリアに会いたい」

 日課となっている中庭でのお茶会の時と、夕食時しか話をしていない。

 アリアと二人で仲良く暮らせる環境を整えたのにこれでは意味がない。以前と同じくらいに話をしていない。
 それでは意味がないのだ。私はアリアと一緒に暮らしたくて頑張っているのに、アリアと一緒にいる時間が少なすぎる。

 公爵家とアリアの為になると思って様々な事業に手を出しているというのに、これでは本末転倒だ。意味がない。

 事業を撤回するわけにはいかないということは、わかっている。

 それでも、時間が足りない。アリアが足りない。
 アリアと一緒にいる時間が欲しい。

「セバスチャン」

「はい。いかがなさいましたか、イザベラ様」

「アリアは何をしている?」

「恐らくは自室かと思われますが、アリアお嬢様専属の執事に確認をいたしましょうか」

 なんとなくではあるが、文句を言いながらも書類整理をしていたセバスチャンが冷めた目を向けている気がする。
 十年来の付き合いとはいえ、私に対してもう少し丁寧に扱うべきだ。態度を変えられてもそれはそれで怒るのだが。今は丁寧に扱われたい気分だ。

「私もアリア専属が良い。アリアと一緒にいるだけの生活がしたい。これでは父上たちを追い出したのに意味がない。私はアリアと一緒に暮らしたいのに、アリアと一緒にいる時間が少ないと思わないか」

「寝言は寝てからおっしゃってくださいませ。魔力を使い過ぎて頭がおかしくなりましたか? お嬢様と一緒に生活をされているでしょう。一緒にいる時間が少なくなったのは、イザベラ様が様々な事業に手を出すからですよ」

「公爵を継いだらやると決めていたんだから仕方がないだろう。それに現時点では成功しつつあるのだから良いだろう。それより、アリアと一緒にいたい。今はそういう気分なんだから理解しろ」

「無理を言わないでください、イザベラ様」

「無理だって言いたくなる」

 大きく寝返りを打ちたい気分だが、そうすればソファーから落ちる。

 仕方が無いから小さく向きを変える。アリアが選んでくれたお気に入りのクッションに顔を埋めれば、そのまま眠れそうな気がする。

「なにもかも疲れたんだ」

「それでは、イザベラ様が提案をしたばかりの事業を分家の者にお譲りいたしますか? そうすれば、少しはアリアお嬢様とお過ごしいただける時間をお作りすることができますよ」

「……それは嫌だ。あれは分家の者ではまだ手に負えるような状態ではない。もっと、万全な状態にしてから引き下げると決めているんだ」

「そうですか。イザベラ様はこだわりの強いお方ですから、仕方がありませんね」

 魔法を使うのは倦怠感があるから好きではない。

 魔法を連発するのがいけないのだろう。魔力と知識が有り余っているからと中級や上級魔法を連発するのがいけないのだろう。

 身体が不調を起こさない程度に収めない私がいけないのは分かっているが、新しく修得をした魔法を使いたくてしかたがないのだ。

 倦怠感さえなければ、魔法の研究に身を投じたことだろう。
 古代文字を解読して古代魔法の習得に人生を費やしたことだろう。それをすれば、数日はまともに動けないということは身をもって理解している。

「アリア。アリアが足りない。セバスチャン、なんとかしろ」

「疲れるとおかしなことばかりを言い始めますね。イザベラ様が幼かった頃を思い出します。……それでは、今日は仕事を終わりにしますか?」

「……なんだ、いいのか。仕事は山のようになっているだろう。私が好きなことをしたのだ。その間の書類は終わっていないだろう」

「その状態では仕事は出来ないでしょう。ゆっくりと休まれてはいかがですか」

 心の優しい執事のようなことを言っている。
 執務室の机の上に書類の山を置いていくセバスチャンとは思えない言動だ。

「公爵家にはイザベラ様がいてくださらないと困るのです。大切な主人がつかれているのに仕事をさせるような執事は一人もおりませんよ」

 どこかで頭でもぶつけたのだろうか。それはそれで心配だ。
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