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第二話 転生というものがあるのならば

03.異母姉妹の再出発

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 皇国魔法学院の卒業式から早くも一週間が経とうとしていた。

 あっという間だった。やるべきことが多すぎてまともに休んだ記憶もない。

 皇帝陛下からは正式にアリアと皇太子殿下との婚約破棄の知らせが届いたが、当然、婚約破棄の一件を知らなかった皇帝陛下のお怒りは凄まじく、一件に関わる書類や今後の在り方などの伝令役に皇帝陛下の近衛騎士が来たのには、驚きを隠せなかった。

 結局、両家の関係に溝ができたことにより皇太子殿下には一か月の謹慎処分が下ったと知ったのはその時だった。

 もっとも、前回を思えばありえない話だ。

 なにが切っ掛けだったのか。
 前世とは所々異なることが出てきている。

 公開処刑に関しては皇帝陛下も許可をしたのだ。
 それなのに、なぜ、対応が違うのだろう。

 皇太子殿下はエイダ嬢との婚約を公言したものの、それすらも皇帝陛下は認めていないというのは今後を大きく左右することだろう。


「――お姉様? どうなさいましたの?」

「いや、アリアの新しい髪飾りを発注したと思っていたんだが……」

「あら、期限の切れた発注書がここにありますのね。お姉様でもそのようなことをしますの? 初めて知りましたわ。でも、お姉様、わたくし、新しいものはいりませんわよ。以前のようにお茶会に出るわけではありませんもの」

「そうか? だが、婚約破棄されたのだから気分転換も必要だろう」

「それでしたら、お姉様が取り寄せて下さったアマリリスの鉢植えだけで充分ですわ。お庭に植えてもいいのでしょう? この国ではアマリリスの花は咲かないと言われていますけれども、わたくしが咲かせてみせますわ」

 婚約破棄をされてからまだ一週間しかたっていないのにもかかわらず、アリアは生き生きとしている。

 以前よりも趣味が増えたらしく、今では専属の植木職人たちに交じって庭で過ごすことが増えている。

 落ち込んでいないことはいいことなのだが、土弄りに興味がでてきたらしく、頻繁に泥塗れになっては使用人たちを泣かせている。

 公爵令嬢としての姿はどこに行ったのか。
 憑き物がとれたかのように生き生きしているのはいいのだが……。

「アリア、ドレス姿で土を弄るのは止めてくれないか。不満の声が上がっている」

 婚約破棄の一件だけで時間が取られていたものだから、すっかり忘れていた。

 花を見るだけならまだしも土弄りをされた日には、ディアが大泣きしながら執務室に駆け込んできたのだ。

 一時的に収まっていたアリアのお転婆が戻ったと嬉しいような哀しいような、なんとも言えない表情で訴えてきたのだ。

 忙しさから本人に伝えるのを忘れていた。
 生き生きと庭でなにかをしているアリアの姿を見ているからだろうか。

 使用人たちの中ではお転婆すぎて婚約破棄されたのではないかと噂されているとロイが報告しにきたこともある。

 婚約破棄されたのは決してそのような理由ではないのだが、……アリアにとっては、婚約そのものが足枷になっていたのかもしれない。

「え? ……そうでしたの。いつも綺麗になっているからそういうものだと思っていましたわ。それでしたら、お姉様、汚れてもいい服が欲しいですわ。そうですわね、洗いやすい服があればいいと思いますの。わたくしが自分で洗濯をしてもいいですわよ」

「ふふ、おかしなことを言うものじゃないよ。お前に洗濯などできるものか。そういうことは使用人の仕事だ。お前がする必要はないよ」

「わたくし、やればできると思いますの。使用人の後ろを付いて歩くのは昔から好きでしたし、ずっと後ろから見ていましたから一通りのやり方は覚えてしまいましたわ。それに幼い頃は、お母様と一緒にしておりましたわ。同じことでしょう?」

「それも止めてやれ。使用人たちにとっては迷惑でしかない話だ」

 昔から、周りのことを一切考えないままに行動をするのは変わらなかった。

 執務室に籠もって書類仕事をしている私の真横で好きなことを言っている時点で周りの迷惑を考えないままだが、特に害もない。見られて困るような書類は隠してあるし、たまには休憩を交えて話をするのもいいだろう。

 アリアが笑っている。
 アリアが生きている。

 それだけのことなのに、これほどに嬉しいものだとは思わなかった。

「どうしてですか? 庭の手入れなどは喜んで教えてくださいますわよ。この前は調理長が美味しい野菜の作り方を教えてくださって、わたくし、調理長と一緒に畑を耕しましたの! すごく楽しかったですわ!」

「……お前はなにがしたいのだ」

「興味のあることは全てやってみたいのですわ。それからお母様の言いつけを守る必要がなくなったのですもの。お姉様のお役に立ちたいのです」

「アリアは生きているだけで私に幸せを運んでくるのだから、別になにかをしなくてはいけないわけではないよ。お前が楽しいと思うことだけをすればいい」

「そういうわけにはいきませんわ。お姉様はわたくしを甘やかすだけですもの」

「可愛いアリアを甘やかしたいのだよ。どうか、私の我儘だと思って甘やかされていてくれないか?」

「もう、お姉様ったら。わたくしがお姉様の我儘には弱いと知っていらっしゃるのに、そういうことをおっしゃいますのね?」

 楽しいと思うものが庭で土を弄ることだったらどうすればいいのだろうか。

 とりあえず、教師になるような人を雇い入れて安全な方法を教えてもらうべきか。
 庭師に付き纏っているのも興味がなくなるまでの間だろうが、あれでは仕事にならないだろう。

 あぁ、そうだ。手当を増やそう。
 それくらいしかないだろう。

「アリア、皇太子殿下との婚約はなくなったが、それ相応の相手を探すこともできる。皇国内は難しいが、レイハイム帝国やフリージア王国辺りならば可能だろう。いや、種族間の問題は厄介だと聞くから避けるべきかもしれないな。……そうだ。フリージア王国のアシャール公爵家の嫡男とかはどうだ? 領地経営に力を入れていると聞くし、人柄も悪くない。なにより年齢も近い。嫁いでも苦労はしないだろう。それに、昔、会ったことがあるだろう? 覚えていないか?」

「覚えておりますわ。あの方、お姉様のことばかりをおっしゃられておりましたもの。わたくしに対しては何一つ興味を抱いておりませんわよ」

「そうだったか? よく覚えているな。アリアを大事にしないような男は論外だ。他に候補を探すように伝えておこう」

「えぇ、そうしてくださいませ。ですが、わたくし、すぐには嫁ぎたくはありませんわ。そのことだけは覚えていてくださいませ」

 一週間前に婚約破棄をされたばかりなのに、次の恋を急かすような真似は不味かっただろうか。
 吹っ切れてしまえば楽になると思ったのだが、アリアの表情を見る限りではそういうわけではなかったようだ。

 皇太子殿下との恋は実らなかったが、次がないわけではない。
 今度こそアリアを幸せにしてくれるような相手を探すことができる。

 そうすれば、二度とアリアの笑みが曇ることも泣くようなこともないだろう。

 なによりも、戦争を控えている皇国に留まっているよりも他国に嫁いだ方が幸せになれるだろう。戦争が起きるとは限らないが、備えておく方が良い。

 本当はアリアと一緒に暮らしたいが、彼女が幸せになれるのならばそれでいい。

 彼女が幸せを見つけるまでの間は、私がアリアを幸せにしよう。

「アリア、お前が幸せになってくれれば私はそれでいい。公爵家に縛りつけることはしないつもりだ」

「わたくしはお姉様と一緒にいたいのですわ。わたくしがお姉様の隣にいては迷惑ですか?」

「いや、そんなことはない。だが、それでは私ばかりが幸せなだけだろう。お前は自由だ。父上も義母上もいない。好きなように生きる権利があるのだから、私の傍に拘る必要もない。公爵令嬢としてではなく、個人として幸せになるべきだ」

 元々、恋だの愛だの得体のしれない感情論で生きるような子だ。

 婚約破棄を受け入れるしかなかったとはいえ、強引に連れ帰って来たのはアリアにとってはよくないことだったのかもしれない。以前のように生き生きとしているとはいえ、それも長くは続かないだろう。

 それならば苦労をしなくてもいいような相手を見繕う必要があるだろう。

「わたくしは、わたくしの意思でお姉様の傍にいるのですわよ。少なくとも成人の儀を迎えるまではお姉様の傍にいますわよ。……それに、ローレンス様よりも素晴らしい方はわたくしが見つけますの。そしたら、お姉様はわたくしの恋を応援してくださいませ。それだけでわたくしは幸せですわよ」

「……それでいいのか。本当に、私の傍にいてくれるのか?」

「ええ、わたくしが一緒にいたいのですもの。お姉様は難しく考え過ぎなのですわ。真面目なのはいいことですが、少しは息抜きもしなくてはいけませんわよ?」


* * *


「イザベラ様。幾らなんでも限度があるでしょう。皆、通常の業務だけでも忙しいのですから、アリアお嬢様の我が儘には付き合い切れないと文句が上がっております」

「……私もそう思うよ、ロイ。皆に謝っておいてくれ」

 好きなように話をして満足したら、再び庭に戻ったアリアがやらかしたことの報告を聞きながらため息を零す。

 あれほど言ったのにもかかわらず泥だらけで屋敷中を走り回り、洗濯物を引っ繰り返し、使用人たちの仕事を邪魔しまくる等、令嬢のやることではない。十七歳のすることではないだろう。

「執事長であるお前が苦情を言いにきたのだ。止めなくてはならないと分かってはいる」

 公爵令嬢として相応しい言動をとれ、年齢相応の言動をしろ、等と言いつければ、その通りに振る舞うことができる。

 今まで義母の言いつけ通りに振る舞ってきたのだ。
 恐らくはその反動で好きなように振る舞っているのだろう。

 このままではいけないということは分かっている。

 それでも婚約破棄された傷が癒えるまでの間は自由に過ごして欲しい。

 婚約破棄の一件が終わりを迎えるまでは、屋敷の外に出ることが許されないのだから、それ以外のことは眼を瞑りたい。

「それでも、今は、あの子が笑っている姿を見ていたいのだ。この一件が終わるまでの話だ。見逃してほしい」

 これが夢ではないと実感させてくれる笑顔だった。

 冷たい牢屋の中ではない。彼女は公爵家に帰ってきた。
 そして、笑って過ごしている。

 今はそれだけでいい。それ以上のことは求めたくはない。

 ロイは私に対してなにか言いたげな表情を向けていたものの、結局、なにも言わずに執務室を出て行った。

 仕事に戻ったのだろう。
 もしかしたら察して黙っていたのかもしれないが、それはそれでいい。
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