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3章 アラサー女子、ふるさとの祭りに奔走する

3-14 乱れたあとの私たち

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 天井の木目が、銀河系の渦巻のように見える。その中心は巨大なブラックホール。もしかするとブラックホールは別宇宙への入り口かもしれない。
 じっと見つめていると、別宇宙にいってしまうのだろうか。
 身体の深部には異物感を伴う痛みがじんわりと残っている。
 誰かと共に眠ったのは何十年ぶりだろうか。
 流斗君のぬくもりが心地よい。彼の指が私の頬を、鼻の頭をくすぐる。
 笑いながらキュッと抱きしめてきた。
「へへ、僕のだ」

 誕生日からの三日間。
 母のプレゼントが届かなかったこと。一緒に過ごすはずの誕生日を自分で台無しにしたこと。そのため、流斗君に愛想つかされそうになったこと。
 いろいろなことがありすぎた。人の身体の温かさ、優しさに包まれながら、私は目を閉じる……。


 目覚めることで、自分が眠ってしまったことに気がつく。
 隣に彼はいない。
 もう帰ったのだろうか? が、隣の部屋で何かガサゴソと音がする。
 ルームウェアのワンピースを素肌のままかぶり、慌てて私は襖を開けた。
 そして、私はその光景を見て愕然とした。
 流斗君が、私のパソコンで何か操作している。

「な、何しているの!」
 慌てて私は、パソコンの画面を確認した。
 新しいパソコンと古いパソコンが立ち上がっている。
 大丈夫だ。どちらも普通の初期画面だ。暗黒皇帝陛下がでかでかと映ってはいない。
「データ移行してるか、心配になってさ。本来はこのために来たから」
 本来はって……それ、ひどくない? さっきのはついで? 避妊具用意してたくせに?
「いいって。ちゃんとできたもの」
「でも、ゲームのデータ移せてないよね?」

 はい? ゲーム?
「あのゲーム、レベル上げ大変だったでしょ?」
 流斗君、何を言ってるの? 『あのゲーム』?
 額から汗が流れる。
「女の人でも、ああいうゲームするんだね」

 まさかスマホを見られた? でも、スマホには待ち受けになりそうな安全な画像しか入ってない。ゲーム本体はあくまでもパソコンだ。
「宇宙の警察とか自転禁止の刑って、あのゲームで知ったんでしょ?」
 随分前、珂目山かめやまふもとの見晴台で星を見たとき、星の爆発を願う流斗君に私が出した反論だ。
 硬直した私に流斗君が追い打ちをかける。
「月祭りの広告を申し込んだ企業、ゲームメーカーなんてなかった」

 嫌な記憶が蘇る。流斗君が紹介してくれた企業に「ゲーム作るんですね」なんて言ったら、そこは教育出版社で「あのゲーム」は黒歴史扱いされていた。
 広告担当の人が流斗君にしゃべったの!?

「メール見て意外と思ったけど、何か嬉しかったな。あの会社が作ったゲームで那津美さんのような女の人が遊ぶのは『アレ』しかないからね」
 致命的な失敗。確かに私は『ゲームメーカーと付き合いあるんですね』と返信した。
「あの会社とは付き合いあるし『宇宙』がテーマのゲームだから、僕も制作会議にときどきお邪魔したんだ」
 違う。そんなはずはない。それはちゃんと確認した。

「うそよ! 流斗君の名前なんてなかったわ! チェックしたもの!」
 放たれた言葉は戻らない。

「エンディングまでちゃんとやってくれたんだ」

 心の底から喜んでいる笑顔。
 私は、彼の朗らかな声を聞きながら、どうやったら時間を取り戻せるのか考えるが、諦めた。暗黒皇帝陛下ですらそれはできないのだから。


 救いを求め、天井の銀河系のような木目を見つめる。が、別宇宙から使者がやってきて「あなたこそ勇者! どうか我が世界をお救い下さい」という展開にはなりそうもない。
 彼は、古いパソコンと新しいパソコンの電源を入れて何か作業を始めた。
 新しいパソコンには、十八禁乙女ゲーム『コギタス・エルゴ・スム』の公式サイトがデカデカと表示されている。

「なるほどね。ゲームのデータは、アカウント作ればクラウドで預かってくれるって。ちゃんと移行できるんだ」
 彼が笑顔で親切にも伝えてくれた。
「アカウント作ったよ。移行はばっちり。パスワードはこっちね」
 ご丁寧にも彼はパスワードのメモを渡してくれた。

 クラウドサービスは知ってましたよ。でも……恥ずかしいじゃないですか、十八禁ゲームのデータがよそ様のサーバーにあるって。
 それに、私が彼の彼女だとしても、彼氏が、彼女の遊んだ十八禁ゲームのデータを移行するってありえない。
「那津美さんって、悪い男が好きなんだね」
 データの中身まで確認したんですか。推しキャラまでバレてしまいましたね。

 何て彼は楽しそうなんだろう。
 私たち、一時間前まで何してたかもう忘れちゃったの?
 私、初めてだったのよ、あなたは気づかなかったかもしれないけど。
 あなただって、初めてだったよね? 少なくとも慣れた感じじゃなかったよ。
 私があなたにとって単にやりたいだけのおばさんだったにしても、何か思うことあるんじゃないの?
 なのに、人のパソコンを勝手にいじって十八禁ゲームプレイヤーだと暴く方が楽しいんですか?

 流斗君が後ろから抱きしめ囁いた。
「今度は、あのラスボスがやったみたいに、縛りプレイやろうか」
 私の中の何かがプチン、と切れる。
 反射的に私は振り返り彼の胸を突き飛ばした。
「触るなセクハラ教授! 大っ嫌い! 出てって、出てってよお!」


 彼は私の推しキャラの制作スタッフの一人だった。打ち合わせ会議に何度かお邪魔したと言ってた。
 暗黒皇帝陛下が縛りプレイをすることまで知っている。結構、細かくかかわっていたのだろうか? いたたまれない。恥ずかしい。
 彼が何をどう言って帰ったのか覚えていない。

 呆然としつつ、私は大切なことを思い出した。
 倉橋さんから届いたプレゼント、押し入れにしまわないと。



 あのあと、流斗君から「本当にごめんなさい」と何度もお詫びのメッセージが来ている。
 彼に抱かれたことは、はずみとはいえ、幸せな時間だったし後悔してない。
 でも、自分が、あの美しくもいやらしいゲームのプレイヤーだと、随分前からバレていたこと、そして彼が制作スタッフだったことが恥ずかしく、返事する気になれなかった。



 大学の祭り出展の準備は着々と進んだ。
 ブースの説明や確認で研究室を回る。情報棟でお世話になった尾谷先生から、祭りの各地区の様子がわかるウェブカメラのシステムが出来上がったと知らされた。

 巨大モニターに、六か所程会場の様子を映す。映す会場は自動的に変わるが、会場の動きに応じてAIが反応するようにしたそうだ。
 研究室の学生さんが共同して開発してくれた。

 管理者側もタブレットにモニター映像を表示させる。こちらは、もっといろいろ細かい確認を行える。複数のタブレットを管理者数名で管理すれば、簡単なコミュニケーションも取れるし、どのタブレットがどんな操作をしたか、タブレットがどの位置にあるかもわかる。

 祭りの会合でリクエストしたことも取り入れてもらい、かゆいところに手が届くシステムを作ってくれている。
 尾谷先生は「せっかくなので、前から試したかった実証実験もやります」とイケメンスマイルを返してくれた。

 先生はすごい研究を進め、家に帰れば新婚の奥さんが待っている。
 好きな人に「出てけ」呼ばわりして逃げ回っている情けない私と大違い。
 もともとこのモニター、流斗君が提案してくれたんだ。こんな時にも流斗君を思い出してしまう。

 そして。

 私は、提案した仕事をやらなければならない。
 だから、朝河流斗准教授の部屋の扉をノックした。


「先生、失礼します。広報の素芦です」
「どうぞ」
 三日ぶりに聞く、流斗君の声。とても穏やかだ。
 私は扉を開け「ご無沙汰しています。ブースの最終確認お願いします」と笑顔を作った。
「そこに座ってください」
 他人行儀な声で指示された椅子に私は腰かける。彼は、私にミルクティーの缶を手渡した。
 私は「ありがとうございます。いただきます」と受け取る。

 彼の左腕に、私があげたスマートウォッチが巻かれていた。
 小柄な割に逞しい筋張った腕に、黒いバンドが引き立っている。
 鬱々とした気分が途端に晴れ、思わず私は喜びの声をあげた。
「先生、時計替えたんですね。お似合いです」

 彼がハッと私を見つめ、時計を隠した。
 まじまじと凝視され、彼にとってその言葉が不快だったことがわかる。
「スマートウォッチって便利ですか?」
「一体あなたは……」
 流斗君は更にじっと私を睨みつける。
 大学ではただのバイトと准教授という建前で、初めて時計を見る演技をしてしまった。

「お時間取らせてすみません。祭りの最終確認、始めますね」
 私は、タブレットに見取り図を表示させた。
「宇宙棟のブースはこちらです。タイムスケジュールはこちらで、先生も講演されるんですね」
「宇宙観測衛星の打ち上げが近いので、そこをPRしたい。祭りのテーマの、ウサギや亀とは重なりませんが、いいですか?」
「ぜひ。西都科学技術大学が携わるプロジェクトでも大きな話ですから」

 淡々と打ち合わせが進む。
「それと、朝河先生が提案してくださったウェブカメラモニター、尾谷先生の学生さんが作ってくれました。ありがとうございます」
「そうですか。それはよかった、後、何かありますか?」

 大きな瞳の視線が突き刺さる。
 自分から無視しといて冷たくされると、何か寂しくなる。
「先生、お忙しい中ありがとうございます。後は、宇関の祭りを楽しんでくださいね。あ、これいただいていいですか?」
 私は、ミルクティーの缶を手に取る。
 数秒の間の後「どうぞ」と顔を背けたまま、彼は答えた。
 笑顔を張り付けたまま「失礼しますね」と答える。
 と、彼が立ち上がって近づいてきた。

素芦もとあしさん」
 丸い瞳が、その口元が、何かを渇望しているようにも見えた。
「その、さっき祭りのマップ見て思ったんですが」

 彼が何かを私に求めてると思ったのは、私の勘違いなの?
 そうよね、今回は、祭りの打ち合わせに来たんだ。自分から拒絶したくせに、相手に素っ気なくされると寂しくなる。
 とても身勝手な寂しさ。

「あ、何か、誤字ありました?」
「いえ、よくできたマップだけど、僕がブログで見たようなウサギと亀の伝説とか、他にも地元の人しか知らない祭りの由来とか解説あったらいいと思うんです」
 私は笑顔を張り付けた。
「ああ、それは気がつきませんでした。ありがとうございます」
 今度こそ、私は礼を言って部屋を出た。


 三日前と会った時とは全然違う彼がいた。本当に彼は遠くの星に行ってしまった。
 返事をしない私が悪いとわかっていても、寂しい。
 でも。

 私はミルクティーの缶をきゅっと抱きしめる。
 初めて彼がごちそうしてくれたのと同じ飲み物。
 初めて研究室を訪ねたとき、下らないことで喧嘩した。その時くれたのがこのミルクティーだった。
 だから。
 まだ彼は私に、何らかの感情を持っているんだって、思いたい。
 それは私の都合のいい願望だろうか。

 恥ずかしい。でも、今のまま仕事以外口も聞かない関係は嫌だ。せめて普通の友だちに戻りたい。
 でも。だからこそ。
 まず、流斗君が指摘した祭りマップの問題、修正しよう。
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