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4.忘れたい、消えない過去
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しおりを挟む「旦那は子供が欲しくない人で。……気をつけてたんだけどね?」
「ちょ――」
「――すいませーん」
槇ちゃんが店員を呼び、ビールを注文する。私は、もう一度カルーア。
店員は空いた皿を持って戻って行く。
「槇ちゃん、今の――」
「――私も子供がいなくてもいいと思ってたの。だけど、いざ出来たら、やっぱり産みたくなっちゃって」
「そりゃ……」
当然と言えば当然の感情だ。
どうしても産みたくない事情があるのでなければ、宿った命を守ろうと思う女性がほとんどだろう。
「旦那はね、自分の稼いだお金を子供のために使われたくないって」
「はぁ!?」
思わず大きな声が出た。
隣のテーブルの三人がこちらを見た気がしたが、私はそちらを見なかった。
「結婚する時に決めたの。家賃と光熱費は旦那、生活費は私、医療費、衣服費、嗜好品は各自、って」
共働きの夫婦の内情に詳しくはないから、そういう夫婦がいてもおかしいとは思わない。
ただ、それは奥さんがいつまでも働き続けられる場合だ。
妊娠し産休、育休に入れば、同じようにはいかない。
「妊娠がわかってから、暴力が始まったの。モラハラパワハラセクハラのオンパレード。つわりが始まる前に流産したの。で、離婚」
ははっ、と何でもないように笑う槇ちゃんに、私は同じように笑いかけられるはずもない。
「別れて正解でしょ」
「そうね。でも、妊娠する前は結婚を後悔することはなかった。ベタベタする恋愛関係は好きじゃなかったし、気が強い私に嫌な顔をすることもなかった旦那との生活は、すごく楽で。だから――」
「――近藤ともうまくいかなくなるって?」
槇ちゃんが頷いた。
離婚に限らず、『こんな人だなんて思わなかった』と思うような別れ方をすると、自分の人を見る目が信じられなくなるのは、よくあることだろう。
私だって、そうだ。
将来を夢見て一緒に暮らした男には置き去りにされ、大人で包容力があると思って結婚した男には浮気されまくった。
結果として、匡が私と別れたことにはそれなりにまともな理由があったにしても、それはあくまでも匡側の言い分だ。
十六年も経ってネタバラしされても、遅い。
「いいんじゃない? それで」
「なにが?」
「槇ちゃんが男を信じられるようになるかは、近藤次第ってことでしょ? お手並み拝見ってことでいいんじゃない?」
小首をかしげて言うと、槇ちゃんが笑った。
「私、すんごい嫌な女みたいじゃない」
「寝た後に『待て』させてるんだから、みたいじゃなくて嫌な女でしょ」
ずっと食べてみたかったものがあって、それを食べられたとする。でも、次に食べられるのはいつになるかわからない。それはきっと、そのものの味を知る前より渇きを誘うだろう。
だって、それがとても美味しいと知ってしまったから。
「ま、槇ちゃんがどんなに嫌な女でも? 本当に欲しいなら近藤が頑張るだけでしょ」
「他人事だと思って言ってるんだろうけど、千恵も十分嫌な女よ」
「アラフォーバツイチ女には誉め言葉かもね」
お互いにハハッと笑うと、どちらからともなくグラスを差し出した。
「どうせなら、とことん振り回してやろ」
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