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第四章

116 女神

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 試合終了後、ミモザは中央教会を訪れていた。
 女神に聖騎士の交代を報告するためだ。
 これは聖騎士になった者が一番初めに行う儀式だ。ここでステラは女神との面会を果たし、二周目を望んだのだ。
 教会の聖堂に建つ女神の像の前へと、みんなに見守られながら歩み出る。
(はてさてどうなることやら)
 これまでの流れで言うなら、きっとミモザの前には女神は現れずに終わるだろう。
 女神像を見る。白い象牙でできたそれは、真っ直ぐな長い髪を背中に流し、目を閉じて手を合わせて祈るようなポーズをした美しい女性の姿をしている。
 事前に教えられていた通り、ミモザは像の前にひざまずくと頭に乗せたローリエの冠を脱ぎ、女神像へと捧げるようにして持った。
「この度聖騎士を賜りました、ミモザと申します。どうか女神様の祝福を賜りますようお願い申し上げます」
 頭を下げる。
「……………」
(何も起きないな……)
 やっぱりな、と思いながら冠を頭へと戻した。
 その途端、
「………え?」
 ぐるりと視界が回った。
「…………っ」
 気がつくと視界は光に包まれていた。その眩しさにミモザは手をかざして目を細める。
「やぁやぁこんにちは、よく来たねー」
 続いて聞こえてきたのは軽薄な調子の女性の声だ。眩しさを堪えてなんとか見上げるとそこには、
「……女神様」
「はいはい女神だよー」
 教会にあった女神像そのままの姿の女性がひらひらと手を振っていた。

「大変だったねー、お疲れ様。全部見ていたよ」
 彼女は軽い調子で労いの言葉を口にした。その言葉とは裏腹にその表情は面白がるように笑んでいる。
 純白の髪に肌、瞳は不思議な虹彩で虹色にきらめいていた。その身にまとう服すら真っ白で、その陰影は青い。まるで雪でできているかのようだ。
「どうしたの?」
「いやちょっと、真っ白すぎて目が痛くて……」
 ミモザはぱちぱちと瞬きをする。まったく目に優しくない色彩である。白内障の人が見たら発狂していることだろう。
「ああ、まぁ我慢しておくれよ、わたしだって好きでこんな姿なわけじゃないんだよ?」
「そうなんですか」
「そうだよ。誰だって選べることと選べないことがあるからねー」
「なるほど」
 ミモザが頷くと彼女はニヤリと笑った。
「君は選んだねぇ。実の姉を陥れた気分はどうだい?」
「まぁまぁです」
 ミモザは顔色ひとつ変えずにそう言った。それに女神は拍子抜けしたようにきょとんとした後、顔をしかめる。
「なんだぁ、つまんない。もっと苦しめばいいのに。良心の呵責ってやつにさ」
「それなりに良心の呵責はありますけどね、誰かに取り出して見せるものではないです」
 ひょうひょうと言うミモザに女神は再び「つまんないのー」と言うと、気を取り直したように両手を広げて見せた。
「ボーナスターイム!」
「はぁ……」
「ゲームの知識で知ってるだろ? 聖騎士にはわたしからプレゼントがある。なんでも願いを一つだけ叶えてあげよう!」
 その笑みは慈悲深い女神というよりは人を誘惑して貶める悪魔のようだ。
「ゲームのこと、知ってるんですね」
「そりゃあ知ってるさ。わたしは女神様だからね。知りたい?」
 にやにやと彼女は尋ねる。
「ゲームとこの世界の関係性」
「可能であれば」
 ミモザは素直に頷いた。女神はふふふ、と微笑む。
「類似する世界同士って影響し合っちゃうんだよねー」
「どういうことですか?」
 いきなりのよくわからない説明にミモザは首を捻った。女神はちちち、と指を振ってみせる。結論を急ぐなとでも言いたげな態度だ。
「異世界の人間がこの世界を知覚することが時々あるんだよ。だいたいは夢だったり、無意識下のことなんだけど。君の言うゲームを作った人はそういう人だったんだろうねー。まぁ、だからと言って全く同じになるなんてことはありえないんだけど。ただね、こちらの影響を受けてあちらの世界にこの世界を模したゲームができたように、あちらの世界の影響をこの世界も受けてしまうんだよ。類似性が高ければ高いほど両者は近づいていく。だから一度目はゲームと同じ展開になった」
「一度目」
「そう一度目。知っているだろう? ゲームの記憶で。今回は二度目だ」
 ミモザは頷く。そうなのだろうとは思っていたが、確かめようのない推測に答えをもらえるとは思っていなかった。
「一度目でレオンハルトが死んで、ステラが復活を願った。だからゲームになぞらえて繰り返してあげたのさ。まぁわざわざゲームになぞらえたのはわたしのちょっとした遊び心もあるけどね」
「……ではなぜゲームと違う展開になったのですか?」
「言っただろう。両者は近づくが同一ではない。そういうことも起こる」
 わかるようなわからないような話だ。ミモザは考え考え質問を口にする。
「僕が前世の記憶を思い出したのは……」
「それは予定調和だね。レオンハルトが生きている二周目を再現するためには君に動いてもらう必要があったんだ。ステラの願いが巡り巡ってそのような作用をもたらしたんだよ」
 風が吹けば桶屋が儲かるようなものだよ。とこともなげに彼女は言う。
「ゲームと違ったのは君ではなくレオンハルトだ。彼は類似した世界の影響を受けづらい人のようだ。だから最後までステラに好意を抱かなかった。彼が揺るがないから君もそれを支点にしてゲームとは違った動きをできたのだよ」
 まぁ彼も完全に世界の影響から逃れられるわけではないのだけれどね、と女神は笑う。
 頭がこんがらがりそうだ。ミモザはうーん、とうなった。
「でも、彼はゲームの登場人物で……」
「ん? ああ、だからね、ゲームを作った人は君たちのことを知覚して君たちをモデルにゲームを作ったんだ。世界も立場もすべてをトレースしてね。彼女の創作はステラの人生の一部分だけさ。しかしレオンハルトが好意を抱く必要のない一周目はうまくいったけど、レオンハルトがステラと結ばれないといけない二周目はその決定的なファクターが欠けてしまったせいでゲームの展開をなぞれなかったんだよ」
「……なるほど?」
(どこまでも規格外の人だ)
 ミモザは感心する。
 レオンハルトのことだ。彼はとことん特別な種類の人間らしい。
 女神は「わかったかな?」とミモザの目を覗き込むと、勝手にこの話は終わったと判断したのか
「さて、ではボーナスタイムだ! 君の願いは?」
 と再び尋ねてきた。
「えーと……」
 ミモザは困る。正直何も考えてはいなかった。
 どうせ女神には会えないだろうと思っていたからだ。
 彼女はふよふよと退屈そうに、だらしない格好で空中を漂う。
「なんでもいいよー、できれば面白いのか簡単なのがいいね。世界を繰り返すのは面倒だったけどなかなかいい見せ物ではあったよ」
「うーん……」
 ますますわからない。
 ふと一つ思いつくことがあってミモザは口を開いた。
「例えばですが、エネルギー不足を解消してほしいと願ったらどういった形で叶えられますか?」
「賢しいね、君は」
 女神はにやりと笑う
「そうだなぁ、野良精霊がどうしようもないくらい際限なく繁殖しまくって人間の住む場所が狭くなるかな」
「えっと、他の要素をいじらないでエネルギー問題だけ解決するというのは……」
「もうわかってるだろう? そんなことは不可能だよ。どこかを変えればどこかに影響が出る。例えば新しいエネルギーを発生させたとしよう。しかしそのエネルギーが無尽蔵のものであれば間違いなくそれは世界をなんらかの形で蝕むし、有限であれば今と同じように枯渇の問題は生じる」
「うう……」
「さて、どうする?」
 にやにやと笑う意地の悪い女神に、ミモザはため息をついた。
「やめます」
「うん?」
「願うのをやめます、何を願っても世界に迷惑をかけてしまいそうなので」
「ははは、別に影響が少ないことを願えばいいじゃない。金持ちになりたいとかさ。その程度なら影響は少なくて済むよ。」
「その少なくて済むという言い方が不安を煽るんですよ。……僕は頭が悪いので、このお話はどうかなかったことに。もしも何か問題が起きれば、僕が自力で解決します」
 ミモザは女神を真っ直ぐに見つめた。そして諦めたように苦笑する。
「僕には自分ができる範囲のことにしか責任を取る度胸がない。世界を変えるとかは荷が重すぎます」
「……潔いね。やはり師弟だな」
「え?」
「レオンハルトも何も願わなかったよ。もっとも理由は君とは違って『俺は世界に興味はない』、だったけど。自分のことは自分でやるから余計な口を挟むなだってさ」
「らしいですね」
「まったく失礼しちゃうよ」
 ぷりぷりと頬を膨らませて女神は怒ったポーズをとる。しかしすぐに表情を戻すとミモザに笑いかけた。
「けど嫌いじゃないね、彼も、君も」
 彼女はにやにやと意地悪く笑う。
「後々あの時僕に願っておけばよかったと、みじめに後悔しておくれよ!」
「せ、性格が悪いなー」
「はっはっはっ!」
 ひとしきり笑うと女神はもう用済みだと言わんばかりに手を振った。
「じゃあ用事がないならもう帰りなよ。もう二度と来ないでね」
「あ、はい」
 その途端にミモザの体が溶けるように足元から消え始める。徐々に体が光の粒子のように溶けてゆき、あともう少しですべてが消えると思った瞬間、女神はミモザに聞こえるように呟いた。
「しかし彼女も憐れだねぇ」
 憐れ? と聞き返そうにもミモザの口はもう消えてしまっている。
「レオンハルトのことを望まなければ、そのまま一周目の世界で今よりは幸せに暮らせたのにねー」
 そんな口のきけないミモザにわざと聞かせているのだろう。女神はにやにやと笑った。
「欲望は人を壊すよねぇ」
 その言葉を最後にミモザの意識は教会へと戻った。
(目がちかちかする)
 真っ白な世界に居たためか、今度はここが極彩色の世界のように感じられる。
 ぱちぱちと瞬きをしながら、ミモザは儀式をつつがなく終えるためにゆっくりと立ち上がった。
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