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第1章 テンセズにて

第16話 一線

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 ――シオスンの事件が片付いてから2か月が経った。

 副町長を中心に、地区の代表者を集めた議会を作り、民主主義的に町の運営をしていくような制度を作った。
 うまく回り始めたのを確認したアティアスは、副町長を町長に昇格させるとともに、ゼバーシュ伯爵から派遣されて来ていたドーファンも引き上げることになった。
 ようやくこれで町は落ち着いた。

「そろそろ俺たちも一度帰るかな。親父達の顔を見に」

 アティアスがノードに言う。

「前戻ったのは半年前か? 長かったな」

「そういえば、アティアス様のご自宅のあるゼバーシュはかなり南方ですよね? あまり覚えていませんが、確かここから馬車でも5日くらいかかる距離があったような……」

 エミリスの質問に、アティアスが心配そうに答える。

「そうだ。かなり遠いから、野宿をしながらいくつかの町を経由して行くことになるな。俺たちは慣れてるが、エミーは大丈夫か?」
「少し不安なところはありますが、がんばります!」

 彼女は笑顔で答えた。

「そうか。明後日出発しようと思う。明日は準備だ。……明日の夜、ナハト達を呼んで食事会をしたいと思う。それの準備を頼みたい」
「承知いたしました。私にお任せください」

 言動の丁寧さは以前から変わらないが、この2か月で随分と自信を付けたように思えた。
 頼られているのを実感し、それに応えようと彼女が頑張っている姿をアティアス達も見てきている。それだけ彼女が信頼されているということでもあった。

 翌日、借りていた家の片付けや引き渡しの手続きを行った。
 自分たちの荷物をまとめると共に、荷物運びのために馬を一頭購入した。用が済めば到着した町で売り、必要な人がまた買っていく。
 そういう馬を買取販売する業者がどの町にもあった。そこでは一時的に馬を預かってくれたりもするので重宝していた。

 アティアスは馬車をあまり使わず、自分の足で歩くことを好んだ。今回はエミリスのために馬車の手配も考えたが、彼女はアティアス様に合わせますと固辞した。

 そして、一通り出発の準備が整ったのは夕方だった。

 ◆

 エミリスはそれから夕食の準備を始める。

 2か月もの間、練習に付き合ってくれた三人——たまにナハトにも稽古の相手になってもらっていた——を呼び、楽しんでもらおうと張り切って作る。夕食にはときどき招待をしていたこともあり、彼らの好みも良く把握していた。

「よっ! ちょっと早いけど呼ばれてきたぜ」

 食事の準備が半分くらい終わった頃だろうか、ナハト達三人が来た。

「こんばんは。すまない、わざわざ来てもらって」

「気にしないでくれ、私達も世話になったのだからね」
 アティアスの言葉にトーレスが返した。

「うわー、相変わらずエミーの料理はすごいね。……これがもう食べられなくなると思うと悲しいわぁ」

 ミリーがテーブルに並べ始められていた料理を見て、感嘆すると共に、少し残念そうな顔でため息をつく。

「そりゃ仕方ないさ。彼女にとってはアティアスが一番なんだからね」
 トーレスがミリーを諭す。
 エミリスにも聞こえたのだろうか、少し照れながら料理を続ける。

「みんなには本当に世話になった。……そもそも、手助けしてくれなかったら俺は死んでたかもしれないからな。感謝してもしきれない。もしこれから困ったことあれば、俺を頼ってくれ。必ず力を貸すことを約束する」

 アティアスが頭を深々と下げる。

「そんなことにならないよう頑張るさ。……ただ、次に会ったら酒くらい奢ってくれよ」
 ナハトが笑う。
 雑談していると、料理が全て出来上がったのか、エミリスも厨房から出てきた。

「お待たせしました。さあ、冷めないうちにどうぞ」

「じゃ、乾杯しようか!」
 ノードが言う。

「だな! アティアス達のこれからに」
 それに呼応して、ナハトが頷く。

 ジョッキに冷えたビールを注ぎ、エミリスにはいつものワイングラスを手渡す。ここしばらくお酒を口にしていなかった彼女は困惑するが、最後の夜くらいは良いかと受け入れる。

「それじゃ、乾杯!」
「乾杯‼︎」

 アティアスの音頭に皆が合わせる。
 そして各々が喉を潤す。

「うめー!」
「料理も食べよう」

 パーティが始まった。
 エミリスも久しぶりにワインを味わう。
 相変わらず美味しかった。そしてこのあと自分がどうなるか、なんとなく想像できてしまった。

 ◆

「こんなの見ると応援したくなるよねー」

 少し酔いが回り気分の良くなったミリーはケラケラと笑う。

「うふふふふ……あてぃあすさまぁ……」

 完全に出来上がってしまっているエミリスは、アティアスの背中に顔を埋め、すりすりと頬擦りしていた。
 普段はしっかり自制しているのに、お酒が入ると制御が効かなくなってしまうのはいつもと変わらない光景だった。

「可愛いわよねー」

 いつものことながらどうしたものかとアティアスは思うが、自分が懐かれているのに悪い気はしない。

「俺はどうしたら良いのか……?」

 とはいえ、いつまでもこれでは困るし、かと言って引き剥がすのも後味が悪い。

 しばらく悩んでいたが、そのうち彼女は疲れたのか、抱きついたままだんだんと頭の位置が下がっていく。最後は床にそのまま寝転がってしまった。

「うぅーん……わたし……」

 すやすやと眠る彼女は一体どんな夢を見ているのか。見ている分には面白いがそのまま放置するわけにもいかない。
 アティアスは仕方なく彼女の身体を起こすと、ナプキンで涎を拭いてから抱き上げる。

「それじゃ、寝かせてくるよ」
「ごゆっくりー」

 何をゆっくりするのか。
 頭の中でミリーにツッコミを入れつつも、エミリスをベッドに連れて行き、そっと寝かせる。
 布団を掛けてあげながら、ふと酔っ払って真っ赤になった彼女の顔を見ると、目が覚めたのか、うっすらと目が開いていた。

「今日も美味しい料理をありがとう。……ゆっくりおやすみ」

 そんな彼女に労いの言葉をかけると、彼女も潤んだ目をしたまま呟く。

「……ありがとうございます。…………わたし……アティアスさまが大好きです」

 まさかの不意打ちにアティアスは一瞬どきっとするのを感じた。
 今までは、彼女に対して妹のような感覚も残っていて、彼女の好意を素直に受け入れて良いものか悩んでいた。
 ところが、今の彼女の表情は妙に艶っぽく見え始めて、アティアスは生唾を飲み込む。

 とはいえ、エミリスは完全に酔っぱらっている状態でもあり、ここで肯定しても恐らく覚えていないだろう。
 それでは可哀想だ。

「……ありがとう。明日からも大変だけど頼むよ」

 否定も肯定もせず、曖昧な返事を返すと、彼女の頭をそっと撫でてから額に軽く口付けをした。
 今日はここまでで我慢してもらうつもりだった。

「はい……わたし、もっともっとがんばります……」

 しかし彼女はそう答えながら、アティアスを捕まえるようにぐいっと彼の首に手を回し、自分から唇を重ねた。
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