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第三部 父と子
ある庭師の話②
しおりを挟む毎朝、夜明け前に起きた。
朝一番の空気を吸い、誰よりも早く庭に向かう。空はわずかに明るくなり、紫と青が入り混じる。
冷え込む庭に向かうと白い固まりがあった。
近くまで行けば、白銀の毛皮を被った何かが、ふるりと動いた。
「え?」
毛皮がずれて輝く金の髪がのぞく。夜明け前の空のように美しい瞳の子どもが、こちらを向いた。
「あ、あんた⋯⋯」
「花を見に来たんだ。夜が明けるとしぼむって聞いたから」
子どもが見ていたのは、数年に一度、月下で咲く花だ。夜明けとともにしぼんでしまう。
夜半に透き通るような白の花びらが何枚も重なり合って開く姿は、夢のように美しい。
「夜中に見に行くと言ったら止められたから、朝一番で来たんだ。なんとか間に合った」
ふわりと大きく開いた花弁が少しずつ閉じていく。
二人で黙って、花を見つめていた。朝日が差し込んできて、子どもの髪が輝いた。まるで、太陽そのもののように。
「殿下!」
声のする方を見れば、凛々しい顔立ちに逞しい体の騎士が走ってくる。慌てて膝を地に付けた。
「こんなところにおいでとは! 皆、探しております」
「花を見ていた。とてもきれいだった」
子どもはにっこり笑い、騎士と一緒に帰っていった。
三年も経つと王宮勤めにも慣れて、俺は庭師たちの中でも親方に目をかけられていた。
一番弟子と呼ばれて本宮殿の奥庭の担当になったのは、二十の時。
俺は殿下と呼ばれた子どもの名を知った。金の髪に瑠璃色の瞳が王族の色であることも、あの時の小さな子どもが、日々剣を手にする二の王子だということも。
奥庭の担当になって王子を見る機会が増えた。
二の王子の名はルーウィック。武の王子でありながら花や音楽が好きな、心根の優しい王子だった。下々の者にもよく声をかけてくれる。いつもお側に付いている凛々しい顔立ちの騎士は怖かったが、王子が俺たちに話しかけても咎めはしなかった。
王子が子どもから少年へとすっかり成長した頃、夕暮れ前に奥庭の四阿にやってくるようになった。そして、一人静かに楽器を弾く。とても優しい、美しい音を。
庭に静かな調べが響く頃、小道を人がやってくる。その時に、王子はぱっと嬉しそうな顔をする。花のような笑顔は決して自分には向けられないけれど、目を離せない。どんな花よりも綺麗だと心が騒ぐ。
夕暮れになったら庭師の仕事はおしまいだ。それでも俺は庭園の片隅で誰よりも遅くまで仕事を続けた。
四阿の腰掛けに寝転ぶ王太子、楽器を奏でる王子。咲き誇る花々の香りの中で、自分には夢のように美しい時間だった。
昼過ぎから奥庭にやってくることも多かった王子は、いつのまにか俺の仕事をよく眺めるようになった。気がつくと後ろに立っていることも多く、ある日、声をかけられた。
「其方の育てる花は美しいな」
奥庭には何人かの庭師が交代で出入りしている。自分だけ、と言うわけではない。
「ほら、あそこ」
王子が指さした四阿に近い一角は、自分が任された場所だ。
「其方がいつも世話をしているだろう。順番に花が咲いて、あそこだけは花が絶えることが無い。とても楽しみにしている」
腹の奥が、かあっと熱くなった。何も応えることが出来ず、その晩はよく眠れなかった。
王子に声をかけられた日から、一層仕事に励むようになった。少しずつ王子と交わす会話も増えた。
珍しい異国の花の球根が手に入り、王子に伝えると嬉しそうに笑う。
「咲くのを楽しみに待っている」
鉢に植えて、夜は自分の部屋の片隅に置き、大事に世話をした。
花が咲いたら一番に、王子にお見せしよう。その日が何よりも楽しみだった。
心に灯った希望があっという間に消えるなど、考えもせずに。
二の王子が亡くなった。
王子の部屋に飾る花を取りに来た侍女が、泣き腫らした目で言う。
なんで?
どうして?
王子ってのは、守られてるもんなんだろ?
立派な騎士たちが、周りに、あんなにたくさんいたじゃないか。
王子の為に命を捧げるって、言ってたじゃないか。
「二の王子は王太子の盾なんだ。私は、戦場で死ぬとは限らない」
穏やかに笑っていた王子の言うことがよくわからなかった。
自分よりずっとずっと若くて。
輝く太陽の髪に夜明け前の空の瞳。誰よりも優しくて、よく笑う。
騎士たちが何人も、あなたの前で膝を付く。
死んだ?
空を見た。
雲一つなく、鳥が一羽、空高く飛んでいく。
『⋯⋯人は死ぬと、女神様の元に行くのだよ』
神官は、母が死んだ時にそう言ったけれど。俺にはどうしても、王子が死んだなんて思えなかった。
何もわからぬうちに、二の王子の葬儀が行われた。
王宮は静まり返り、半年間、喪に服すことが決まった。
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