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Ⅲ.祝福の子
第6話 偶然②
しおりを挟む湖畔屋敷での日々は、毎日が新鮮で楽しい。
ぼくは朝食後、湖まで下りていくのが日課になった。
一人で行こうとすると、サフィードが追ってくる。
「殿下、ご一緒に参ります」
「サフィードも、休暇だと思って屋敷でゆっくりすればいいのに。セツも今日はシヴィルたちの手伝いをしてるし」
「休暇なら、こちらに来る前に十分いただきました」
どうやら、父君の危篤騒ぎで実家に戻ったことを言っているらしい。普段休みを取らないのだから、少しぐらい休んでも構わないのに。
「サフィーは元々全然休まないんだから、どれだけ休暇を取ったって構わないんだよ」
「殿下をお守りするのが私の仕事です」
「仕事には休みが必要だろう? 山賊を倒した後だって、ろくに休まず付いてくれているじゃないか」
二人で並んで歩く道は、うららかな光が差し込んでいる。まるでのんびりと散歩をしているかのようだった。
「⋯⋯殿下は、私がいない方がよろしいでしょうか」
「え?」
サフィードを見れば、眉間に皴を寄せている。
「⋯⋯黒の森でも、先日の山でも。ろくに殿下をお守りできない私では、護衛として力不足なのかもしれません」
ぼくは、サフィードの服の袖をぐいと引っ張った。
「ぼくの守護騎士は一人しかいない。13の時からずっと」
サフィードは、はっとしたようにぼくの瞳を見た。
守護騎士は、フィスタの王族に伝わる制度だ。
王族は13の歳に自分の近衛の中から筆頭となる騎士を一人選ぶ。神殿長の前で女神に誓ったその騎士だけは、例え国王でも簡単に代えることは出来ない。
「⋯⋯申し訳ありません。私としたことが愚にもつかぬことを」
「んー。じゃあ、サフィーが自分から休みを取らないなら、ぼくが特別な仕事をあげるよ」
「殿下?」
「今から行くところで『殿下』は禁止だからね」
サフィードを連れて、湖に辿り着くと、賑やかな声が聞こえた。
「あ! イルだ。イルが来たよー!!」
「用意しておいたよ! 釣竿!!」
そう言って、子どもたちが走ってきた。
「ありがとう! 初めてなんだ。ドキドキするなあ」
「イル、その年まで釣りもしたことないなんて、やっぱり坊ちゃんなんだなあ」
子どもの中でも、年嵩の少年がませた口調で言う。
「ふふ。釣り以外のことなら、結構色々出来るんだよ」
「その人、誰?」
サフィードを見て、訝し気な声が上がる。
「ぼくの友だち」
「剣を持ってる! ⋯⋯騎士様?」
「剣士だよ。今日はね、釣りを一緒にしようと思って」
ぼくは二本の釣竿を受け取って、呆然としているサフィードに一本渡した。
釣りのコツを教えてもらって、竿を湖に向けていると、しばらくして糸が動いた。
「わ、わああっ」
慌てていると、サフィードが竿を一緒に持って手伝ってくれる。
銀色の鱗をきらめかせて一匹釣り上げると、歓声が上がった。
その後は、次々に、それぞれの竿に引きがあった。
「こんなに釣れたことないのに!!」
少年たちが歓声を上げる。
彼らは、釣れた魚を親に渡し、日々の暮らしの糧にする。多く取れれば近隣に分けたり、保存食にするという。
「王子様がいらっしゃるからだ!」
一人の子どもが言うと、他の子どもたちも頷き合った。
「丘の上の屋敷に女神様の大事な王子様が来てる。だから女神様が喜んでいらっしゃるんだって」
サフィードが、動揺したのか引き上げようとしていた魚を逃してしまう。
「大丈夫。俺たちの、分けてやるよ!」
慰められて苦笑しているのが見えた。
魚を入れる桶に湖の水を入れる。
子どもたちの真似をして、ぼくも桶を手に湖の水がすぐ汲めるところまで歩いた。しゃがみこんで桶に水を汲み入れていると、サフィードが追ってきた。
「イル、危ないです。私が」
「大丈夫だよ。⋯⋯うわっ!?」
サフィードに向けて言った瞬間に、水に濡れた土につるりと足が滑る。
「殿下っ!!」
あやうく湖に落ちそうになるところを力強い腕に引き寄せられた。水が飛び散り、桶が足元に転がる。
「ありが⋯⋯」
振り返った先に、艶やかな黒髪と黒曜石の瞳があった。鼻先と鼻先が触れ、唇を温かいものがかすめる。
お互いに大きく目を見開く。
サフィードが腕を離し、ぼくは無意識に唇に手を当てた。
⋯⋯二人とも、言葉は無かった。
「みんな、ぼくたちはそろそろ帰るね」
子どもたちに声をかける。きゃあきゃあ言いながら騒いでいた子どもたちが、一瞬静かになった。
「イル、また来る?」
一番幼い子が、服の裾をつかむ。
「うん、来るよ。また色々教えてくれる?」
「うん! それに、今度お祭りがあるんだよ。イルもおいでよ」
「ああ。仮面つけて踊るやつだね?」
「そう!! みんなで今作ってるんだ。イルもサフィ―も来たらいいよ」
ぼくは、子どもたちに向かって頷いた。
子どもたちの中では一番年嵩の少年が、魚が入った桶を二つ渡してくれた。これは二人の分だ、また今度来た時に桶を返してくれればいいからと。
「こんなにたくさん。驚かれますね」
「屋敷の料理人は腕がいい。何とか料理してもらおう」
ぼくたちは、屋敷への道を必死で歩いていた。
ぼくの持つ桶は小さいが、サフィードの持っている桶は大きい。中に入った魚が時折跳ねて、飛沫を飛ばしている。
「こんなところを襲われたらひとたまりもないね」
サフィードの瞳がわずかに揺れるのを見て、ぼくは自分が失敗したのを知った。
二人とも黙りがちになるのを、何とかしたかっただけなのに。
「ご、ごめん。無神経だった」
「いいえ。殿下のお言葉に問題があるわけではありません。動揺する自分が未熟なのです」
サフィードがぼくを見つめる。澄んだ瞳が、ふっと和らいだ。
「今日は、思いがけず楽しい時間を過ごしました。⋯⋯ありがとうございます」
ぼくは、何となく頬が熱くなるのを感じた。
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