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Ⅲ.祝福の子

第5話 偶然①

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 小鳥のさえずりで目が覚めた。

 窓からは朝もやに煙る湖が見えた。鮮やかな朝焼けと明るい青空。羽毛のように細かな雲が金色に縁どられ、空いっぱいに広がる。

 なぜ、ぼくはユーディトのベッドで寝ているのだろう。
 横の長椅子で友人が眠っていた。
 テーブルの上には、二つ並んだ銀の酒器に葡萄酒の瓶。ああ、昨夜は飲みながら眠ってしまったのか。

 ユーディトが何か大切なことを言っていた。
 シヴィルは従兄弟で、恋人ではない⋯⋯それから?
 ⋯⋯昔も、今も、好きな人は一人だけ。

 ユーディトの好きな人って誰だろう。
 折角友人が伝えようとしてくれていたのに、眠ってしまうなんて。飲み口のいい酒には気を付けろ、と昔から次兄に言われていたのに。

「ユーディト、ごめん。また後で続きを教えてくれるかな」
 ぼくは、友人の体に柔らかな布をそっと掛けた。

 ベッドを整えて、窓の脇の扉を開ける。ユーディトの部屋からは、すぐに外に出ることが出来た。朝露に湿る草の上を歩いて行く。
 清浄な空気がそこここに満ちていた。

 ⋯⋯ああ、なんて気持ちがいいのだろう。
 朝の空気を吸い込むと、人影が見えた。

「シェンバー王子⋯⋯」

 剣を振っている姿は、真剣だった。声を掛けるのもはばかられる気がして、黙って眺める。
 王子の額から細かな汗が散る。均整の取れた身体には、しなやかな筋肉がついていた。自分をいつもからかう姿や感情のわからぬ微笑みではなく、一心に打ち込む姿があった。
 ⋯⋯あんな表情も出来るんだな。

 鍛練を終えて、汗を拭う。視線がこちらを向いて目が合った。王子は驚いたような顔をするし、こちらは何とも気まずい。まるで盗み見をしていたようだ。

「イルマ殿下。いつからそこに⋯⋯」
「おはようございます。目が覚めて外に出てみたら、王子のお姿が見えたので」
「見惚れましたか?」
「え? はい! すごく真剣な表情をされてたから、いつもそうだったらいいのにって」

 あっ!と思った時には、もう遅かった。
「くっ⋯⋯あっはっは!!」
 王子は身を屈めて笑っている。
「⋯⋯すみません」
「相変わらず正直な方ですね、殿下」

 向き直った王子は、屈託なく笑った。その表情も今まで見たことがないものだ。まるで少年のような笑顔。

「いつも鍛えていらっしゃるのですね」
「私が剣を持たされたのは、6歳の時です。14で初めて戦場に出て、成人と共に騎士団の統轄を命じられました。剣はいつも身近にあります」

 ぼくは王子の手を見た。白く長い指は固く引き締まっている。顔に似合わず武骨な、剣を握る者の手だ。


「⋯⋯ここは、本当にに女神の恩寵が満ちているのですね。何もかも、さらけ出してしまいそうになる」
「なにもかも?」
「貴方とよく似ています。傍にいると、自分のまとっているものが馬鹿馬鹿しくなるような気がする」

 王子の瞳が湖に向かっていたので、並んでぼくも湖を見た。太陽の光を受けて、湖水の色が鮮やかに変わろうとしていた。



 ☆★☆



「⋯⋯寝た、ですって?」

 シヴィルは思わず倒れそうになった。椅子に置いた手の指先が震える。朝になって、こっそりとユーディトの部屋に様子を見に来てみれば、従兄弟だけが部屋にいる。

「⋯⋯ああ」
「本邸から持ってきた銀の最高級の酒器、領内でもここ十年で最高の出来と言われる葡萄酒。そして、この屋敷で最高の部屋をご用意したはずです⋯⋯!!!」
「その葡萄酒がいけなかった。華やかで口当たりがよく、酒に弱いイルマが飲みすぎた」
「お止めになればよろしかったのに!」

 ユーディトは、ほんのりと頬を染めた。
「少し酔ったイルマも愛らしかった⋯⋯」

 ──テーブルの上に何もなくて良かった。あやうく、目の前の人物に叩きつけてしまうところだった。

「⋯⋯それで、お休みになった殿下をどうなさったのです?」
「私のベッドに運んだが」
 シヴィルはごくりと唾を飲んだ。ユーディトが穏やかな表情で語る。
「ゆっくりと朝まで休めたようだ。私が目覚めた時は、まだベッドに温もりがあった。やはり寝具は最高級のものを用意しておいてよかった」

 ──なぜ、そうなるんだ!?
 ふらりと眩暈がした。
 ──目の前に愛らしく横たわる羊がいたら、何を置いても喰らうだろう!!!

 昨夜の殿下のことを思い出しているのか。うっとりした眼差しの従兄弟が恨めしい。
 シヴィルの常識とユーディトの常識は乖離かいりしすぎていた。肉食獣に草食獣のことが理解できるはずもない。それでも、このままにしてはおけない。
「⋯⋯わかりました。ユーディト様、次に参りましょう」



 ★☆★



「ユーディト、ごめん」
 僕は開口一番、朝食の席で会ったユーディトに謝った。

「昨夜は話の途中で寝てしまって⋯⋯。しかもユーディトのベッドで」
「いや、いいんだ。疲れていたのに話をしようなんて、こっちが無理を言った」
 人のいい友人は優しく微笑む。

「イルマ。滞在中に湖のすぐ側で収穫を祝う祭りがあるんだ。一緒に行かないか?」
「お祭り?」
「そうだ。祭りの日は一日、無礼講になる。そして、夜は仮面をつけて一晩中踊り明かすんだ」

「行きたい。でも仮面がないや⋯⋯」
「別にどんなものでもいいんだ。皆、自分の好きなものをつけて、男女の区別も老いも若きもない。幾つか用意してあるから、その中から選んでくれたらいい」

 そんな祭りがあるなんて、今まで知らなかった。
「嬉しいよ、ユーディト。何から何までありがとう」
 
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