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Ⅰ.スターディア

第7話 末っ子王子と宿屋の白馬①

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「王子! シェンバー王子!!」

 慌てふためいた報告に、シェンバーは耳を疑った。
「イルマ殿下が⋯⋯どこにもいらっしゃいません!」

「!!!」
 シェンバーは、脳髄が沸騰しそうな思いをこらえるのに必死だった。
 ──どういうことだ。
 侍従長が主の怒りを察して、青い顔で口ごもる。
「それが、私どもにも何が何やらさっぱり⋯⋯」

 廊下を早足で進みながら、賓客のみに用意された棟に向かう。
 イルマ王子が使っている客室の扉は簡単に開いた。
 つい先日、必死に中に押し入り、締め出されたばかりの扉が。

「イルマ殿下の侍従は、いつも決まった時間に殿下の朝食を受け取りに参ります。しかし、『殿下はお疲れでゆっくりお休みになりたいと仰せだ。明日は朝食はいらない』と、昨夜のうちに連絡がありまして⋯⋯」

 隣の報告を聞きながら、苛々と部屋の中を見渡す。人の気配はどこにもない。
 寝室はきちんと整えられ、ベッドには使われた形跡がなかった。
 床には塵一つなく、まるでこれから新たに客人を迎えるかのようだ。
 スターディアで用意したものは、全てそのまま残されている。

「シェンバー王子! イルマ殿下付きの騎士もおりません!!」
 近衛の一人が慌ただしく報告する。
「⋯⋯あの男!」

 ──確か、サフィードと言った。
 王子の脳裏に、あの日の光景がよみがえる。
 イルマ王子に締め出された後、扉を殴りつけた手を掴んで止められた。怒鳴りつけても、騎士は王子相手に一歩も譲ろうとはしなかった。燃えるような瞳をしていたことを思い出す。

 窓を見れば、穏やかな日差しが差し込んでいる。
 もう昼を過ぎている。3人は、いつ王宮を出たのか。一体どこまで行ったと言うのか。
 シェンバーは、奥歯を知らず知らずのうちに、ギリと噛み締めていた。

「⋯⋯ただちに、近衛と第一騎士団の団長を呼べ」
 押し殺した声に、周囲の空気に緊張が走る。
「何としても、内密にイルマ王子を連れ戻すのだ」
「はっ!!」

 ──絶対に逃がすものか⋯⋯!
 ──部屋から追い出されただけでなく、この私がまんまと相手に逃げられただと?
 シェンバーの瑠璃色の瞳は、怒りで昏く輝いていた。




 ★☆★




「やったー!!! これで! じ・ゆ・う・だ──!!!!」

 ぼくは、両手を思いきり伸ばして、澄んだ空気を吸った。
 王都の西門を出て、街道を走る。

「き・も・ち・い・い──!」

「イルマ様。まだそんなに遠くまで来ていないんですから、静かになさってくださいよ!」
 セツが指を一本自分の口許に当てて、しーっと言った。咎められて、ぼくは口を尖らせる。
「せっかく、うるさい王宮から出てきたのに。これでシェンバー王子ともおさらばだ」
「しっ! だから王宮とか王子とか言っちゃだめですってば!!」
 セツは目を吊り上げて怒っている。
 仕方なく、ぼくはまとった外套の頭巾を被って小さくなった。



 夜のうちに、ぼくたち3人は王宮を出た。
 フィスタから持ってきた衣装を着て、荷物は最低限のものだけで。
 ぼくがろくに顔を見られていなかったのが幸いした。
 王宮の使用人用の出入り門から、ぼくとセツは抜け出し、サフィードはこっそり城下に繰り出す騎士たちに紛れて、城門の一つから出た。

 ぼくたちがいなくなったのがわかれば、すぐに追手がかかるだろう。
 フィスタまでは、街道を使っていくのが早いが、国境をどう越えるかが問題だ。
「国境さえ越えれば、フィスタから応援も来てくれるし、なんとか帰れると思うんだよね。サフィードがいるし」
 ちらっと見ると、騎士は嬉しそうに微笑んだ。

「連絡はついたのですか?」
「うん、大丈夫」
 父と兄と、ユーディトに取り急ぎ書簡を送った。
 大金を使って、寝ずに早馬で駆けてもらったおかげか、無事にぼくの報告は届いている。返信はしないよう念を押し、落ち合う場所も決めていた。

 イルマ様、よろしいですか。
 お金には生き金と死に金というものがあります。必要な時に使ってこそ、お金は生きるのです。そして、使う価値があるのですよ。
 金は大事な時にけちってはいけない。ルチアの教えの一つだ。

 スターディアの王都スアンは、王宮を中心に円形の巨大な都になっている。
 王宮のすぐ近くは貴族たちの屋敷、そして城下には平民たちの家々が立ち並んでいる。
 その周りは王都を囲うように長大な壁がめぐらされていた。
 縦横に走る道が整備され、東西南北に四つの大門がある。王都を出て街道を西に行き、国境を越えた先にフィスタがある。

 都に出入りするには、それぞれの門で通行手形を見せなければならない。
 ぼくたちは、西門近くまで歩き、夜通し旅人を迎えている宿に部屋をとった。
 
 ぼくとセツは、丈の短い上着に膝下までのズボン。そこに短めの外套を身に着けた旅装だ。商人の跡取り息子で従者と共に旅をしていると告げた。サフィードは、腰には剣を身につけているが、簡素な身なりは用心棒といったところだろうか。 
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