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Ⅰ.スターディア

第6話 末っ子王子と浮気者王子②

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「ちょっと! ぼくは大丈夫だから! 壊さないで!!」

 この扉、質の良い一枚板で精巧な彫刻までされてるのに!!
 慌てて王子の手を振り払って走り、扉の鍵を開けた。

 廊下にはセツにサフィード。騒ぎを聞きつけた兵士たちが集まってきていた。
 皆、ぼくの後ろに立つ人物を見て呆然としている。
 サフィードの燃えるような視線だけが、背後に向かって突き刺さった。

「物は大切に! 壊すような真似はなりません。セツ、こちらに!」
 セツがはっとして、中に入ってくる。
 ぼくは素早く耳打ちした。

「サフィード、皆さん、私は大丈夫です。ご心配おかけしてすみません」
 その場にいた人々に向かって声を張り上げると、ほっとした雰囲気が流れる。
 ぼくは振り返って、歩いてきた王子に向き直った。
「シェンバー王子、わざわざのお見舞い、痛み入ります。もう、ご心配なく」

 ぼくはセツと目を見合わせて、頷き合った。
 二人で王子の後ろに回り込み、揃ってドンっと背中を押す。

「な、なんだっっ」
 不意を突かれた王子は、よろけるようにして部屋の外に押し出された。その途端、扉を閉めてしっかりと鍵をかける。
 小柄でも二人揃えば、なんとかなるものだ。

 ぼくは扉に向かって声を張り上げた。
「お気持ちは十分伝わりました。心置きなく故国に帰れます。サフィード、殿下をお部屋までお送りするように!」

「承知しました!」と扉の向こうで声が聞こえた。

 扉が大きくドンッ!と叩かれ、言い争う声が聞こえる。
 その後は、すっかり静かになった。

 ぼくは長椅子に腰を下ろして、大きく息をついた。
「イルマ様⋯⋯」
「あー! つっかれたあ!! セツ、お茶淹れてー」
 セツが息を呑む。

「扉の向こうに、置いてきてしまいました⋯⋯」
 ぼくたちは、声もなく見つめ合った。




 翌朝。

 明け方に目が覚めたぼくは、フィスタで愛用していた服に着替えた。

 衣装箪笥いしょうだんすに用意された服に、ぼくはほとんど手を付けていない。スターディアの服は美しく触り心地もよいけれど、華美な物が多い。袖がひらひらしていたり、丈が長いものは動くのに不向きだ。

 フィスタの服は、正装以外は絹ですらない。木綿のシャツと膝下までの短いズボンは、こちらでは侍従にしか見えないだろう。

 ベッドを整え、寝間着をたたんで枕元に置く。
 洗顔を済ませ、さっと髪を整える。「庭に出てきます」と一言書いて小卓に置いた。

 そっと忍び足で廊下を歩き、螺旋状の広い階段を下りる。
 働きだした人々の目から隠れるようにして王宮の庭に出た。

 朝の空気は冷えていて、吸い込むと鼻の奥が痛い。
 暗かった空の色がどんどん変わっていく。

 ぼくは、人が動き出す前の時間が好きだ。
 庭に咲く花々に朝露が宿り、きらきらと輝いている。
 フィスタなら、この時間にはみんなが目覚めて、朝の祈りを捧げる時間だ。
 どこかに神殿はないだろうか。
 スターディアもフィスタも、同じ神を信仰している。
 朝一番の祈りを捧げたかった。

 王宮の庭は、どこまでも広い。
 ぼくの滞在している客室は王子たちの住まいに近い東にあった。
 王族や賓客を楽しませる目的で作られた庭は、庭師たちが丹精込めて世話している。

 中央から外れた小道をどんどん歩いて奥に行くと、小さな神殿を見つけた。

 そっと扉を開くと、先客がいる。

 女神の像の前にひざまずき、一心に祈りを捧げていた。神に捧げる言葉が耳に快く響く。
 ぼくは邪魔をしないように心の中で、同じように祈りを捧げた。
 窓から日輪の輝きが差し込むその時間は、静謐せいひつで誰にも邪魔されない。
 久々に心休まる気がして、ぼくは目をつぶって集中した。

「だれ?」

 はっとして目を開けた時には、瑠璃色の瞳がぼくを見ていた。
 一瞬、シェンバー王子かと思って驚いたが、目の前の人物の髪は淡い白金の色だった。それに、まだどこかに幼さを感じさせる線の細さだ。これは王族の一人だろう。王子たちとよく似た美しい顔立ち。

「どうして、ここに入ってきたの? ここは、王族以外、立ち入り禁止だ。勝手に入ったのがわかったら、罰を与えられるよ」
「え⋯⋯あ、すみません。知らなくて⋯⋯」
「新しく入った子なのかな? 誰かの侍従?」
 ぼくの服装を見た彼は、困ったように眉を寄せる。
「⋯⋯今日のことは黙っていてあげる。もう、入ってはだめだよ」
「は、はい。申し訳ありません⋯⋯」

 咄嗟とっさに謝って、立ち上がる。ぼくと彼の背丈はあまり変わらなかった。
 礼をして去ろうとした時、彼は言った。

「待って。ねえ、何て名前?」
「イ、イル⋯⋯」
「イル?」
 ぼくは、こくこくと頷いた。

 深い瑠璃色の瞳が、ぼくの顔をじっと覗き込んだ。
「珍しい色の瞳だよね。明るい蜂蜜みたいな。この国では見たことがない色」
「せ、西方の血が入っておりますもので⋯⋯」
 じりじりと後ずさって、扉が背中についてしまう。
 これ以上関わり合いになる前にと、慌てて礼をして扉を開けた。
 ずっと見られているような気がしたけれど、振り向く勇気はなかった。


「そんなことがあったんですか!」
「うん、考えてみればちゃんと自分から名乗ればよかったんだけどね。驚いたせいかな、うまく言えなくて」

 ぱくぱくと朝食を平らげながら、セツに話をする。
 それにつけても、あの子は誰だったんだろう?
 王族との食事会も体調が悪いとすっぽかし続けているから、誰が誰やらわからない。

「うーん、第3王子のミケリアス殿下ですかねえ。たしか、イルマ様より2歳下でいらっしゃるはず」
「へー、美形王子たちだねえ」
 神に仕える聖職者でもおかしくなさそうな、清らかな雰囲気の王子だった。
 どこかのただれた王子とは大違いだな。

 そう話していたところに、扉が叩かれる。セツの顔が引き締まった。

 本日もシェンバー王子は、やってくるのか。
 従者が来るのと王子が来るのとでは、わけが違う。
 いつまでも避けてはいられない。


 いざとなったら。

「⋯⋯夜逃げ、だな」
「ですね」

 王子に従者一人と騎士一人なら身軽でいい。
 ぼくとセツは、顔を見合わせて頷いた。
    
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