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番外編
公爵夫人の望み①
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ジュリエッタを見送った公爵夫人はリサを伴い夫の執務室へと向かった。
執務室の中には上の空な様子の公爵が鎮座しており、手には署名のための羽ペンがある。
だがそれが何らかの文字を形成することはなく、ただ紙の上にインクを染みわたらせていた。
「あらあら旦那様。大切な書類にインクの染みが出来ておりますわよ? それはもう読めないのではなくて?」
妻の声にハッとし、我に返った公爵が見たのはインクまみれになり元々あった文字すら見えなくなった書類だった。
彼は書類と妻を交互に見渡し、ばつが悪そうな顔でそのまま目を逸らす。
「…………何しに来たんだ……」
「あら、妻が夫に会いに来ることに理由が必要で?」
そう言って不敵に微笑む妻に公爵は怪訝な顔を見せた。
彼女はいつも大人しく従順で弱弱しいといった印象しかない。
少なくとも、こんな夫を煽るような顔を見せたことなど一度もなかった。
「ふふ、随分と驚いた顔をしていらっしゃいますね? 貴方のそんな顔は初めて見ますわ。娘に続き妻までもが予想外の言動をとったのですから、当然と言えば当然ですかね?」
まるで人が変わったかのように挑発的な台詞を吐く妻に公爵は唖然とした。
そんな夫に構わず夫人は話を続ける。
「貴方はジュリエッタがここに残ると思ったのでしょう? 当主である自分が、これからもハルバード公爵家の息女として扱うと言えば、彼女は泣いて喜ぶと。……そんなはずないじゃありませんか、馬鹿馬鹿しい」
「なっ!? 名門ハルバード家の令嬢になれるんだぞ? 平民が貴族に、しかも公爵令嬢になれるとあらば泣いて喜ぶものではないか!」
「……ほんとう貴方は物事の上辺しか見えないのですね? 呆れた、その目は節穴なのかしら……。実の母親から無理矢理連れ去った誘拐犯から『正式に娘と認める』なんて言われて、喜ぶはずないじゃありませんか? 根本から間違っているんですよ……」
「誘拐犯だと!? 何を言うんだ! 私は父親だぞ? 娘を邸に迎えて何が悪い!」
「生まれた時からずっと顔を見せなかった方がいきなり父親面ですか? 母親から引き離されて、訳の分からない場所に連れてこられて、したくもない教育を受けさせられて、酷い男に嫁がされて……。こんな非道な行いを平気でする人に、父親と名乗る資格なんてありませんわ!」
「それは仕方のないことだ! 公爵家の娘として生まれた以上、果たさなければならない責務というものが……」
「ジュリエッタは公爵家の息女として生まれてません。平民になった母君の子として生まれたのです。そしてそのまま平民として育った彼女に、公爵家の責務を果たさねばならない理由などどこにもありませんわ。……だいたい、貴方は彼女にも選ばれなかったではありませんか?」
夫人の言葉に公爵は息を詰まらせた。
何故それを知っている、という心の内が表情にありありと浮かんでいる。
「あら? わたくしがそのことを知っていることが意外ですか? わたくしが何の情報収集すらも出来ない女だと見くびってらっしゃるのね。夫が相手をした女性のことを調べるのは正妻としての嗜み。その女性に子供が出来れば後継者問題に発展するやもしれぬのですから」
「何を……後継者はもう決まっているではないか」
「ええ、わたくしたちの間に出来た唯一の子。嫡男のエドワードが次期公爵であることは確かですね。まあ先ほどのは言葉の綾、わたくしが本当に調べたかったのは貴方の目的です」
目的、という言葉に公爵の肩がピクリと動いた。
何も出来ないと思っていた妻が自分の目的を探っていたことに驚きを隠せない。
「何故、貴方が愛してもいない女性と子供を作るのか。何故、その子を邸に連れてくるのか。何故、我が子を酷い相手に嫁がせるのか。調べていくうちにそれが分かりましたよ」
まるで衛兵の取り調べのように責める妻の口調に公爵は二の句が継げない。
自分の妻はこんな女だったか、と若干怯えを含んだ目で見上げるも妻の攻めの姿勢は崩れない。
執務室の中には上の空な様子の公爵が鎮座しており、手には署名のための羽ペンがある。
だがそれが何らかの文字を形成することはなく、ただ紙の上にインクを染みわたらせていた。
「あらあら旦那様。大切な書類にインクの染みが出来ておりますわよ? それはもう読めないのではなくて?」
妻の声にハッとし、我に返った公爵が見たのはインクまみれになり元々あった文字すら見えなくなった書類だった。
彼は書類と妻を交互に見渡し、ばつが悪そうな顔でそのまま目を逸らす。
「…………何しに来たんだ……」
「あら、妻が夫に会いに来ることに理由が必要で?」
そう言って不敵に微笑む妻に公爵は怪訝な顔を見せた。
彼女はいつも大人しく従順で弱弱しいといった印象しかない。
少なくとも、こんな夫を煽るような顔を見せたことなど一度もなかった。
「ふふ、随分と驚いた顔をしていらっしゃいますね? 貴方のそんな顔は初めて見ますわ。娘に続き妻までもが予想外の言動をとったのですから、当然と言えば当然ですかね?」
まるで人が変わったかのように挑発的な台詞を吐く妻に公爵は唖然とした。
そんな夫に構わず夫人は話を続ける。
「貴方はジュリエッタがここに残ると思ったのでしょう? 当主である自分が、これからもハルバード公爵家の息女として扱うと言えば、彼女は泣いて喜ぶと。……そんなはずないじゃありませんか、馬鹿馬鹿しい」
「なっ!? 名門ハルバード家の令嬢になれるんだぞ? 平民が貴族に、しかも公爵令嬢になれるとあらば泣いて喜ぶものではないか!」
「……ほんとう貴方は物事の上辺しか見えないのですね? 呆れた、その目は節穴なのかしら……。実の母親から無理矢理連れ去った誘拐犯から『正式に娘と認める』なんて言われて、喜ぶはずないじゃありませんか? 根本から間違っているんですよ……」
「誘拐犯だと!? 何を言うんだ! 私は父親だぞ? 娘を邸に迎えて何が悪い!」
「生まれた時からずっと顔を見せなかった方がいきなり父親面ですか? 母親から引き離されて、訳の分からない場所に連れてこられて、したくもない教育を受けさせられて、酷い男に嫁がされて……。こんな非道な行いを平気でする人に、父親と名乗る資格なんてありませんわ!」
「それは仕方のないことだ! 公爵家の娘として生まれた以上、果たさなければならない責務というものが……」
「ジュリエッタは公爵家の息女として生まれてません。平民になった母君の子として生まれたのです。そしてそのまま平民として育った彼女に、公爵家の責務を果たさねばならない理由などどこにもありませんわ。……だいたい、貴方は彼女にも選ばれなかったではありませんか?」
夫人の言葉に公爵は息を詰まらせた。
何故それを知っている、という心の内が表情にありありと浮かんでいる。
「あら? わたくしがそのことを知っていることが意外ですか? わたくしが何の情報収集すらも出来ない女だと見くびってらっしゃるのね。夫が相手をした女性のことを調べるのは正妻としての嗜み。その女性に子供が出来れば後継者問題に発展するやもしれぬのですから」
「何を……後継者はもう決まっているではないか」
「ええ、わたくしたちの間に出来た唯一の子。嫡男のエドワードが次期公爵であることは確かですね。まあ先ほどのは言葉の綾、わたくしが本当に調べたかったのは貴方の目的です」
目的、という言葉に公爵の肩がピクリと動いた。
何も出来ないと思っていた妻が自分の目的を探っていたことに驚きを隠せない。
「何故、貴方が愛してもいない女性と子供を作るのか。何故、その子を邸に連れてくるのか。何故、我が子を酷い相手に嫁がせるのか。調べていくうちにそれが分かりましたよ」
まるで衛兵の取り調べのように責める妻の口調に公爵は二の句が継げない。
自分の妻はこんな女だったか、と若干怯えを含んだ目で見上げるも妻の攻めの姿勢は崩れない。
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