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最終章

アレックスの愛

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 アレックスがカリーナの部屋を訪れたのは、その日の夜更けのことであった。
 アレックスが部屋へ入ると、カリーナはこちらを向き、静かに立ち上がり出迎えた。

「なんだか久しぶりの様に感じるな、カリーナ」

 カリーナは何も言わずに頭を下げる。

「リンドと会ったのか」

 唐突にアレックスから問いかけられた言葉に、カリーナの息がヒュっと止まる。

「今更何を隠す必要がある。私が知らないとでも思ったのか? 」

 アレックスの言葉に棘は無く、諭す様な声色だ。

「……申し訳ありません……」

 カリーナは何も言えず、ただ頭を下げ続ける。

「やめてくれ。そなたにその様なことをさせたくて聞いているのではない。私はただ聞きたいだけなのだ。教えてくれ、カリーナ」
「……はい。確かにリンド様はこちらへいらっしゃいました」

 そう言ってカリーナは恐る恐る顔を上げる。
 目が合ったアレックスの表情は、よくわからなかった。

「リンドと何を話した」
「これまで自分の気持ちを誤魔化してきてすまない、という事を仰っていました。ずっと私の事を想っていたと……」

 アレックスの視線が突き刺さる。

「それで?」
「……その後……」
「うん?」

 カリーナの方から話し始めるつもりが、すっかりアレックスのペースだ。
 覚悟を決めていたのに、カリーナはしどろもどろになりそうになる。

「……その後、私はリンド様と一線を越えました。お許しくださいませ。私は越えてはいけない場所へ足を踏み入れました。もうあなた様の妻になる資格はありません」

 カリーナは一気に捲し立てる様にそう言い、再び深々と頭を下げた。

「……」

 アレックスは何も言わない。
 沈黙が辛くてそっとカリーナは顔を上げる。

「アレックス様……」

 そこには涙を流すアレックスの姿があった。

「僕は知っていたよ、カリーナ。気付かないとでも思ったかい? ただ君の口から直接聞きたかったんだ……」

 はぁっとため息をついてアレックスは天を仰ぐ。

「ご存知だったのですか……ではなぜ、お止めにならなかったのです……?」

 この様子だと、リンドが城へ来ることも知っていた様な口ぶりだ。
 アレックスならばリンドを城から追い出すこともできたであろう。

「なぜだろう。自分でもわからない……強いて言うならば、無意識に罪滅ぼしのつもりだったのかもしれない……」

「罪滅ぼし……?」

 罪を償うはカリーナの方であり、アレックスには何の非もない。
 一体アレックスは何を言っているのであろうかと、美しい眉を顰めて複雑な顔をしているカリーナを見て、アレックスはフッと笑う。

「カリーナ……僕はリンドが君に惹かれていたのを知っていたんだ。君と出会う、ずっと前からね」

「え……?」
「それを知っていたのに、初めて君と出会って、自分の気持ちを抑えられなくなった。君を奪われたく無くて、リンドが自分の気持ちを伝える隙のない様に決断を急がせた」

 初めて聞く内容に、カリーナの頭は真っ白になる。
 アレックスがリンドの想いを、カリーナと出会う以前から知っていたというのは、カリーナにとって目から鱗であった。
 リンドはカリーナに対して、少しもその様な素振りは見せていなかった。

「僕が君へ求婚する旨を伝えたら、さりげなく反対されたよ。だがそれに対して僕は王命をチラつかせて黙らせた。リンドに反論の隙を与えなかったんだ」

 リンドがカリーナとアレックスの結婚に乗り気でないことは知っていた。
 だがそれはカリーナが敗戦国の元侯爵令嬢であり、王家とは釣り合わない故であると思っていた。

 まさかその頃からリンドが自分のことを想ってアレックスに結婚を反対していてくれたのだと思うと、少し嬉しくなる。

 だが。

「……ですが、私がお城へ移ってからもリンド様からは何の便りもありませんでした。アレックス様がおっしゃる様に私の事を想っていたならば、一度くらいはお顔を見せにきてくださってもよいものではありませんか?」

 そう、リンドはカリーナがシークベルト公爵家を出てからというもの一年もの間音沙汰無しであった。
 唯一あったのはカリーナの幸せを祈ると書かれた手紙だけ。
 その手紙もカリーナが灰にした。

「それは……リンドなりのけじめであったのだろう。君の幸せを心から願うからこそ、二度と君の前に姿は見せない覚悟を決めたのではないか」

 実は、とアレックスは付け加えた。

「カリーナが城へ来てしばらくした頃、体調を崩してしまった時があっただろう?  あまりに回復の兆しがない君の事が心配で、僕はリンドに君を見舞う様頼んだ」
「ええっ……!?」
「リンドの姿を見たら君が元気を取り戻す、本気でそう思っていたんだよ。自分からリンドと君を遠ざけたくせに、なんて愚かな事だと思うだろう?」

 アレックスは自嘲する。

「それくらい、君に元気になって欲しかったんだ」
「アレックス様……」
「もちろんリンドには断られたよ。お互いの古傷を抉るだけだと。リンドは僕と違って、真っ直ぐな男だよ。君のためを思って身を引いてくれたんだ」

 もしその時にリンドが見舞いにきていたなら、どうなっていたのであろうか。
 城を出て、今頃二人で生活していたのだろうか?
 いや、きっとそうはならなかったと今のカリーナにはわかる。

 あの頃のカリーナは気持ちが揺れ動き不安定であった。
 アレックスを捨ててリンドの元へ行く覚悟もなかったかもしれない。

「あなた様のせいではありません。私が自分の気持ちに見て見ぬ振りをしていたことが全ての発端です。リンド様のことを忘れるために、アレックス様のことを利用したようなものです……」

 リンドと正面から向き合わず、アレックスに逃げてしまったも同然だとカリーナは思った。

「君がリンドの事を振り切れていない事には気付いていたよ。見つけてしまったんだ、君の部屋で……その、首飾りを……」

 カリーナは目を丸くする。

「勝手に部屋に入る様な真似をしてすまない。君を探しているうちにふと目に入ってね……あれはリンドから贈られたものだろう?  」

 本当にこの人は、全てをお見通しなのだ。

「あの首飾りを目にした時に、想い合う二人を引き裂いた報いを受けた様な気がしたんだ」
「確かにあの首飾りはリンド様のものです……ですが、あの首飾りを私はリンド様に送り返したのです。金輪際、あのお方と関わる事はないと思っていました」
「送り返された首飾りを見て、リンドのやつが一念発起したと言うわけか……皮肉なものだ」

 アレックスの言う通りである。
 永遠の別れのつもりで送った首飾りと手紙がきっかけで、リンドは自分の本心に気付いて行動を起こしたのだ。

「僕は君と会って初めて心から人を愛すると言うことを学んだ。君を手放したく無かった。だが時折見せる君の何とも言えない表情を見るたびに、自分の心が痛んだ。無理矢理君を手元に置いておく事が、君の幸せなのかと。そして僕の幸せなのかと。僕はカリーナには心から笑っていてほしい。出会った時の様な、素のままのカリーナが大好きだ」

 アレックスは一度呼吸を整える。

「だから。……だから、カリーナを手放す事にした。君の幸せが僕の幸せだ。君の笑顔が僕の幸せなんだ」

 吹っ切れた様な、どこか切なさを含んだ様な表情でアレックスはそう言った。

「アレックス様……あなたは私を憎まないのですか……? 私はあなたの想いを踏み躙った……何か罰を与えてくださいませ」
「確かに、裏切られた様な気持ちが無いと言ったら嘘になる。だが惚れた弱みだろうか。君に罰を与えようなどという気持ちにはならない」

 ただし、とアレックスは続けた。

「リンドは別だ。王妃となる予定のカリーナの居室に侵入し、想いを遂げた。本来なら死罪に当たる重罪であろう」

 やはり……とカリーナは覚悟する。

「シークベルト公爵領はローランド辺境伯の管轄とし、リンドはシークベルト公爵の座から降格させる。と言っても、あいつはもうすでにそのつもりで公爵の座を自ら降りた様だが」

「お命は奪わない、という事でございますか? 」

 アレックスは少し目を細めると、フッと自嘲気味に笑う。

「僕がそんなことをすると思ったかい? リンドは仮にも僕の従兄弟。非常に優秀な人材であることは誰よりもわかっている。彼にはこれまでとは違った形で、バルサミアを支えていってもらうさ」

 ああ、このお方は本当に賢王なのだ。
 一時の私情で動く様な器の広さでは無いのだ。

「アレックス様は、リンド様が今どちらにいらっしゃるかはご存知なのですか……? 」

 命さえあればいい。
 何処かで元気に生きている事さえわかればそれで満足だ。

「大方はね。ただカリーナに言うつもりは無いよ。それが僕からの君への罰かな」

 アレックスはそう言って意地悪そうに笑った。

「アレックス様……本当に申し訳」
「もうやめてくれ。もう終わりにしよう、カリーナ。お互い自分の幸せを見つけるんだ。君の幸せを、心から願っている」

 アレックスは微笑み、ひらひらと手を振ってカリーナの部屋を出て行った。

「さようなら、アレックス様……」

 閉じかけるドアに向かってカリーナは呟いた。
 太陽の様な人であった。

 カリーナはリンドを選んだが、アレックスの存在に大いに助けられていたのも事実である。
 アレックスの様な存在を裏切ってしまった自分の愚かさを、二度と忘れてはならないとカリーナは心に刻むのであった。

 その数日後、カリーナはたった一つのトランクとメアリーと共に、王城を旅立ったのである。

 
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