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89.久しぶり、隊長
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「久しぶり、隊長」
「久しぶりじゃね。俺のことを覚えちょったか。じゃっどん、俺はもう隊長じゃなかよ?」
木から飛び降りて目の前に立ったナグル。オナガは懐かしそうに目を細めて見つめる。
あれから十年以上経過している。ぼんやりとしていて幼さを感じさせていたナグルは、狡猾な顔つきに変わっていた。それでも根は変わらないのだろう。
「俺にとって隊長は、オナガ隊長だけだから」
無表情でそう言った彼は、昔の素直な少年に見えた。
もう禁衛でも隊長でもないオナガは困ったように眉を下げるが、ナグルは当然だと言いたげである。
「上手くいっとらんのか?」
「さあ? 元々俺、オナガ隊長とムク以外には嫌われてたから」
「そげんこつはなかろう」
オナガは否定するが、ナグルは自嘲するように口元に弧を描く。
「そうだ。俺は正気だから。ほら」
と、左の手首から先を外してみせるナグル。オナガは目を瞠る。悲哀の浮かぶ眼差しを受けてくつりと笑ったナグルは、左手を元に戻した。
「大丈夫だよ。ちょっと動きが悪くなっただけで、チュウヒ副隊長たちみたいに壊れなかった。場所が良かったんだろうね。神子サマも見逃してくれているみたい」
くつくつと陰のある笑い方は、オナガの知っている彼は見せなかった表情だ。
やはり華紋を切り離したことで性格に影響が出てしまったのだろうか。それとも歳月の流れが彼を変えてしまったのか。
「何度か声を掛けようかと思ったんだけどさ、陛下に知られたらまた何されるか分からないから」
ビンスイは未だにオナガを憎んでいるようだ。
王である彼に平民のオナガが煮え湯を飲ましたのだから、当然と言えば当然か。可能であれば八つ裂きにでもしたいところだろう。
オナガはもちろん、彼の部下であった禁衛の隊員たちも。
「皆は元気にしちょるか?」
「ん。変わりないよ。後から入ってきたやつの方が威張ってるけど」
オナガが追放された際に、第二部隊から数人の隊員が禁衛に昇格している。
王が出せる命令に制約のある第一上がりの隊員よりも、自由に言うことを聞かせられる第二上がりの隊員を優遇するのは必然であろう。
ナグルも分かっているから、口では文句を言いつつ不満などは感じられなかった。
「神子も、達者か?」
「ん。残念ながら」
凄味のある笑みを浮かべるナグル。神子となったセッカをオナガは今も想っているが、オナガ以外の者にとっては、自分たちを縛る憎むべき存在の一人に数えられてしまう。
分かってはいても愛する人が憎悪の対象となっている事実に、オナガの胸が重くなる。
「心配しなくても大丈夫だよ。隊長の大切な人だって分かってるから。殺してやりたいけど、そんなことしたら隊長、俺を許してくれないでしょ? ほら?」
困ったような悲しそうな表情を向けられて、オナガは無意識に殺気を放っていたことに気付く。
「すまん」
すぐに引っ込めると、ナグルは苦笑して気にしていないとばかりに首を振った。
「そいで、何か用があったとじゃなかか?」
オナガと接触したことがビンスイに露見すれば、どのような罰を受けるか分からない。それでもオナガの前に現れたのだ。
余程のことがあったのではないかと、オナガは気を引き締めて答えを待つ。
「大したことじゃないよ? 今度入った見習いに、ちょっと気になる奴がいたから教えてあげようと思っただけ」
「ほう?」
「一度だけ、蕊頂で見かけた。それに動きも変」
ナグルの声が低くなり、表情が抜け落ちる。オナガの目も釣られるように鋭くなった。
「禁衛か?」
「所属はしていない。でも接触した奴らから記憶が抜かれてて、よく分からない」
顎に手を当ててふむと唸るオナガだが、考えてみても分からない。自分の目で確かめるしかないだろう。
「わざわざすまんな。用がそれだけなら俺はもう行くぞ? あまり俺がここにおると、お前が疑われるかもしれんからな」
くるりと背を向けて歩き出したオナガ。遠ざかっていく背中を見つめていたナグルの表情が歪む。
「隊長!」
気付けば呼び止めていた。
ナグルの知らない赤い長袍を着たオナガが、足を止める。
「もう、隊長が背負うことないと思う」
神子の命令を拒絶する意思も持てない禁衛たち。断ち切ろうとして壊れ、オナガによって生かされている第七部隊の隊員たち。
ナグルには、どちらもオナガの足枷にしか見えなかった。オナガ一人ならば、もっと楽に生きていけるはずだ。
そんな思いをナグルはぶつけたのに、オナガは肩越しに手をひらひらと振っただけで、蕊山の地下に戻っていった。
「久しぶりじゃね。俺のことを覚えちょったか。じゃっどん、俺はもう隊長じゃなかよ?」
木から飛び降りて目の前に立ったナグル。オナガは懐かしそうに目を細めて見つめる。
あれから十年以上経過している。ぼんやりとしていて幼さを感じさせていたナグルは、狡猾な顔つきに変わっていた。それでも根は変わらないのだろう。
「俺にとって隊長は、オナガ隊長だけだから」
無表情でそう言った彼は、昔の素直な少年に見えた。
もう禁衛でも隊長でもないオナガは困ったように眉を下げるが、ナグルは当然だと言いたげである。
「上手くいっとらんのか?」
「さあ? 元々俺、オナガ隊長とムク以外には嫌われてたから」
「そげんこつはなかろう」
オナガは否定するが、ナグルは自嘲するように口元に弧を描く。
「そうだ。俺は正気だから。ほら」
と、左の手首から先を外してみせるナグル。オナガは目を瞠る。悲哀の浮かぶ眼差しを受けてくつりと笑ったナグルは、左手を元に戻した。
「大丈夫だよ。ちょっと動きが悪くなっただけで、チュウヒ副隊長たちみたいに壊れなかった。場所が良かったんだろうね。神子サマも見逃してくれているみたい」
くつくつと陰のある笑い方は、オナガの知っている彼は見せなかった表情だ。
やはり華紋を切り離したことで性格に影響が出てしまったのだろうか。それとも歳月の流れが彼を変えてしまったのか。
「何度か声を掛けようかと思ったんだけどさ、陛下に知られたらまた何されるか分からないから」
ビンスイは未だにオナガを憎んでいるようだ。
王である彼に平民のオナガが煮え湯を飲ましたのだから、当然と言えば当然か。可能であれば八つ裂きにでもしたいところだろう。
オナガはもちろん、彼の部下であった禁衛の隊員たちも。
「皆は元気にしちょるか?」
「ん。変わりないよ。後から入ってきたやつの方が威張ってるけど」
オナガが追放された際に、第二部隊から数人の隊員が禁衛に昇格している。
王が出せる命令に制約のある第一上がりの隊員よりも、自由に言うことを聞かせられる第二上がりの隊員を優遇するのは必然であろう。
ナグルも分かっているから、口では文句を言いつつ不満などは感じられなかった。
「神子も、達者か?」
「ん。残念ながら」
凄味のある笑みを浮かべるナグル。神子となったセッカをオナガは今も想っているが、オナガ以外の者にとっては、自分たちを縛る憎むべき存在の一人に数えられてしまう。
分かってはいても愛する人が憎悪の対象となっている事実に、オナガの胸が重くなる。
「心配しなくても大丈夫だよ。隊長の大切な人だって分かってるから。殺してやりたいけど、そんなことしたら隊長、俺を許してくれないでしょ? ほら?」
困ったような悲しそうな表情を向けられて、オナガは無意識に殺気を放っていたことに気付く。
「すまん」
すぐに引っ込めると、ナグルは苦笑して気にしていないとばかりに首を振った。
「そいで、何か用があったとじゃなかか?」
オナガと接触したことがビンスイに露見すれば、どのような罰を受けるか分からない。それでもオナガの前に現れたのだ。
余程のことがあったのではないかと、オナガは気を引き締めて答えを待つ。
「大したことじゃないよ? 今度入った見習いに、ちょっと気になる奴がいたから教えてあげようと思っただけ」
「ほう?」
「一度だけ、蕊頂で見かけた。それに動きも変」
ナグルの声が低くなり、表情が抜け落ちる。オナガの目も釣られるように鋭くなった。
「禁衛か?」
「所属はしていない。でも接触した奴らから記憶が抜かれてて、よく分からない」
顎に手を当ててふむと唸るオナガだが、考えてみても分からない。自分の目で確かめるしかないだろう。
「わざわざすまんな。用がそれだけなら俺はもう行くぞ? あまり俺がここにおると、お前が疑われるかもしれんからな」
くるりと背を向けて歩き出したオナガ。遠ざかっていく背中を見つめていたナグルの表情が歪む。
「隊長!」
気付けば呼び止めていた。
ナグルの知らない赤い長袍を着たオナガが、足を止める。
「もう、隊長が背負うことないと思う」
神子の命令を拒絶する意思も持てない禁衛たち。断ち切ろうとして壊れ、オナガによって生かされている第七部隊の隊員たち。
ナグルには、どちらもオナガの足枷にしか見えなかった。オナガ一人ならば、もっと楽に生きていけるはずだ。
そんな思いをナグルはぶつけたのに、オナガは肩越しに手をひらひらと振っただけで、蕊山の地下に戻っていった。
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