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第2章 地球活動編
第66話 殲滅潜入(5) 藤原千鶴
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あれほどあっさり吸血種を屠った《化蛇》の水の弾丸や砲弾は闇の霧となったエムプサの身体に吸い込まれて消滅する。水の檻は闇そのものとなったエムプサを捕縛することは叶わない。
そして攻撃・捕縛の手段に欠くのはエムプサも同じ。彼女の出す闇の翼は《化蛇》の身体を幾度となく切断するが、その度に液体を飛散らせるだけで意味はない。
両者とも不毛な戦闘を余儀なくされていた。
「無様だな。いつまで遊んでいるつもりだ?」
巨躯の黒髪の大男――モルモーが唾を吐きかけるような侮蔑をたっぷり含んだ言葉をエムプサに投げかける。
「黙れぇっ! こ、この私がこんな混ざりものの家畜風情にっ!」
髪を振り乱し、目を吊り上げ、恐ろしい形相で《化蛇》を睥睨する。
「くくっ……ようやくテメエの弱いところがわかった」
《化蛇》の言葉を最後にその水の身体の中心に大量の光が急速に収束していく。
「くっ!?」
危機を感じ取ったのか、エムプサの身体は細かな黒色の粒子状まで分解されサラサラとした闇へと変わる。
「遅ぇんだよ、鈍間ぁ。《ウオーターレーザー》」
収束された暴虐の幾多もの光の束は空中に漂う水滴に反射しつつも闇化したエムプサの身体を焼き尽くす。
「ぐっ! 貴様ぁぁ!!」
闇化が解け、右腕と額から血を流しながらも床に片膝をつくエムプサ。
勝利を確信したのだろう。《化蛇》はニヤニヤと嘲笑を浮かべつつも床に膝をつくエムプサを眺めている。
「エムプサ、忘れたか?
我らはこの度、陛下の勅命でこの任務についている。貴様が万が一にでも敗北すればそれは陛下の顔に泥を塗ることになるのだぞ?」
「…………」
背後からのモルモーの言葉でエムプサから今までの悪鬼のごとき形相が消え、ひどく神妙な顔つきとなる。
エムプサは無言で背後の空間から漆黒の剣を取り出すと空中に掲げ、静かに言霊を紡ぐ。
「黒姫、喰らいつくせ!」
ゾクリッと全身から血の気が引くのを感じる。
漆黒の剣――黒姫から生じた常夜の闇は無数の触手を《化蛇》に向けて高速で伸ばす。
「む!?」
ピクリとも反応できなかった千鶴とは異なり、いち早く危険を察知した《化蛇》は身体を液体状にして床に溶け込ませ、
しかし――。
「残念~無駄でちたぁ~」
触手の先端は鋭い牙となり《化蛇》の消えた床に吸い込まれていく。
そしてその足に齧り付きズルリッと引きずり出す。
「ぎゃ!!?」
黒い触手は引きずり出した《化蛇》の身体を床に叩きつける。
ドゴッ!
「グフッ! ば、馬鹿な。水化が解除された? そもそも水化した俺になぜ触れられ――ひっ!?」
左の太腿に齧り付いた触手を取り外そうとする《化蛇》は気配を感じたのか周囲に視線を向け軽い悲鳴を上げる。
数百にも及ぶ触手が《化蛇》を取り囲むように鋭い牙をガチガチッと鳴らせていた。
それは歯の大合奏。
「ばはは~い」
エムプサのパチンッという指の音を契機に黒色の触手達は《化蛇》の身体に超高速で殺到する。
「や、やめ……ぐぎゃ! ぐぼっ! ごはっ…………」
グシュッ! ゴキッ! ズシャッ! バリバリッ!
黒色の触手達に咀嚼され徐々に悲鳴すらも遠くになって行く。
生理的嫌悪をたっぷり含んだ音。黒い塊が蠢ている様は凄まじい悪寒を千鶴に起こさせた。
瞬きをする間もなく《化蛇》の身体は細かな肉片となって黒色の触手の腹に収まってしまう。
「う、嘘だろ……あの《化蛇》が……」
《第一級魔道特殊急襲部隊――MSAT》の隊員が声を絞り出す。
そう。滅んだのはあの水の化身――《化蛇》なのだ。
吸血種達は最高幹部でも800番台付近だったはず。本来、世界序列402位の《化蛇》に贖うはずもないのだ。
つまり、エムプサという吸血種は――。
パシュッ!!
突如、床を蠢く黒色の触手達が弾け飛ぶ。
「バーカ、気を抜くからだよ」
身体の周囲に無数の黒色の球状の物体を浮かべる20代前半の茶髪のイケメン青年が血だまりに浮かぶ《化蛇》の残骸にゆっくりと近づくと唾を吐きかける。
彼は世界序列209位――《崩壊王子》。その二つ名こそが、彼が今黒色の触手を吹き飛ばした魔術。
即ち、《崩壊魔術》。新種の魔術であり、世界でも彼にしか扱えない魔術。
理論上、彼がその気になれば街一つを軽く塵に変えることも可能とされている。審議会はその危険性を考慮しこの《崩壊魔術》を第A級特殊魔術に指定した。
A級特殊魔術は禁術に準じた扱いを受ける。つまり特段の事情がない限り非公開事項であり、その存在自体が秘匿される。存在自体が秘匿されるのであるから、その発動には審議会審議会の包括的な了承が必要となる。そんな危険極まりない魔術群だ。
「あいつの持つ剣、神具だね。殺したら僕がもらう。
いいよね?」
「……ああ」
《ブライ》の肯定に皆から異論は出なかった。
《殲滅戦域》の殲滅の任務の報酬には殲滅対象の持つ武具の所有権の取得も含まれる。とは言え、殲滅対象から取得してもそれは本来一時的なものに過ぎず、所有権を確定させるためには特別の手続きが必要となるのが原則である。
もっとも《殲滅戦域》がそんな面倒な手続きを踏むはずもなく、審議会も黙認傾向にある。
今は世界序列402位の《化蛇》が敗北するというイレギュラーな事態が目下進行中だ。エムプサの持つ剣など真底どうでもよい。好きにすればいいのだ。
「あんた、中々やりそうねぇ。
でもぉ~、これならどう?」
その言葉を最後にエムプサの姿が掻き消える。
直後、《崩壊王子》の背後で凶悪な笑みを浮かべ黒姫を上段に振りかぶっていた。
「背中が御留守ようぉ~ん」
エムプサが黒姫を振り下ろす。落雷のような黒姫の一撃がその《崩壊王子》を真っ二つに縦断せんとその後頭部に高速落下する。
「低能」
黒姫が《崩壊王子》の周囲に浮かぶ無数の球体に触れると球体は崩壊し弾け飛ぶ。
「なっ!!?」
弾けた黒色の小さな球体は黒姫を持つエムプサへ巣を攻撃された蜂のごとく光速で押し寄せる。
「こんなものぉ――」
エムプサはバックステップで避けようとするが黒色光の線となった球体は忽ちまるで誘導弾のようにエムプサの身体を打ち抜き、その身体に数万にも及ぶ風穴を開ける。
「な、なぜ、修復しない? か、身体が……崩れ――」
エムプサに開いた無数の穴は徐々に大きくなり、彼女の身体を粉々に蝕んでいく。
それはおそらく1秒にすら満たないだろう。エムプサは粉々の粒子となり跡形もなく消し飛んでいた。
この光景を目にして肩の力が抜け落ち、体が床に崩れ落ちそうになる。
これで1柱は沈黙させた。当面の障害は黒髪の大男――モルモーのみ。正直、これ以上のイレギュラーな事態は勘弁願いたい。
「木端蝙蝠ごときが調子にのるからだよ」
《崩壊王子》が床に転がる《黒姫》を右手で掴み数回振る。
忘我の表情を顔に浮かべつつも、黒姫を見る《崩壊王子》。その美しい顔を凶悪に歪める顔から察するに、《崩壊王子》にとって一般市民や子供の命など些細なことすぎまい。
死んだばかりの仲間に唾を吐きかけたり、殲滅対象から武具を平然と強奪する。やはり《殲滅戦域》の本質は千鶴達よりも、吸血種達に近い。
巌ノ助に任務では《殲滅戦域》には絶対に気を許すなと再三にわたって忠告されたが、その意図が分かった気がした。
要するに《殲滅戦域》とはただの力の塊。その力とは善とは限らない。方向性のない力程厄介なものはない。その厄介な力をもって巨悪を潰すのだ。まさに文字通り毒を以て毒を制す状態なのだろう。
「それは皇帝陛下から賜ったもの。貴様ら家畜ごときが触れていいものではない」
身長ほどもある巨大なモーニングスターを顕現させたモルモーが《崩壊王子》の頭部に無数の棘がある柄頭を叩きつける。
それを右手に持つ黒姫で受け弾く《崩壊王子》。
「僕の神具――黒姫の試し切りには丁度いい」
ペロリッと下で下唇を舐めて《崩壊王子》はモルモーに向けて疾駆する。
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