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第2章 地球活動編

第65話 殲滅潜入(4) 藤原千鶴

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 49階から50階層への階段。

 長い階段をゆっくり下っていく。
 千鶴ちずる達のA班には《殲滅戦域》所属のエージェントが三名もいる。さらに《第一級魔道特殊急襲部隊――MSAT》の三分の一も加わるのだ。街中を一人で歩くより、よほど安全なはず。それなのに得体の知れない不安だけは徐々に高まっていく。


 遂に50階に到達する。
 一面青色の海を模した美しいカーペット。一定間隔に配置されているお洒落なランプと真っ白い天井から吊るされているシャンデリアの光が廊下の両壁にあるガラス張りの向こうの荘厳な深海の景色を映し出している。

「家畜の皆ぁ、遠路はるばる食料となりに御苦労様ぁ~~」

 妙に耳障りな甘ったるい女の声。
 通路のど真ん中に二人の男女が佇んでいた。
 一人は黒色のスーツを着た短髪ショートヘアの女性。もう一人は巨躯の黒髪の大男。
 
「蝙蝠の幹部共か……」

 《ブライ》が無感情にボソリと呟くと同時に《MSAT》の約半数が一斉に眼前の二人の男女を取り囲み銃口を向ける。
 《MSAT》が持つ銃器は当たり前だが通常の銃火器ではない。青魔術により聖印が刻まれた銀の弾丸。並みの吸血種なら触れただけで塵と化す弾丸を審議会が有する魔道科学の粋を集めた銃で撃つのだ。その吸血種に対する威力は想像を絶する。
 もっともこの『聖滅銃』にも欠点がある。吸血種に対する凄まじい威力と引き換えに射程距離が短いのだ。
 《MSAT》が苦戦した理由は個々の吸血種達が桁外れに強力なっていたことも勿論がある。だが、最も大きな要因は吸血種達が魔術による遠距離攻撃を選択してきたことにある。
 当初、作戦本部は闇帝国ダークエンパイアの過去の戦術パターンを事細かに分析した結果、接近戦を得意とする戦闘を展開してくると予想していた。
 闇帝国ダークエンパイアの吸血種の個としての戦闘能力は他の王家の吸血種達と比較し圧倒している。それ故か、過去の戦闘を分析するとまとまりがなく軍としての体裁をなしていない。それがこの度の対策本部が出した結論だったはずだった。
 それが蓋を開けてみると全く真逆の様相を見せていた。
 『聖滅銃』をメインとした中距離を中心としたチーム戦による一斉殲滅を目論んでいた《MSAT》は遠距離からの爆撃のような魔術による攻撃を受け甚大な損害を受けてしまう。
 緻密な連携を見せる吸血種達に対し、結局《殲滅戦域》という個が圧倒したわけだ。これが皮肉とは言わずして何を言おう!
 兎も角、『聖滅銃』の射程距離は十分。さらに取り囲んだ《MSAT》のおよそ18人分の向けられた銃口。いくら眼前の吸血種が強力だろうが、欠片も残さず消滅することだろう。

「既に勝負は決しました。貴方達の負けです。諦めて投降しなさい」

 口にしたものの吸血種達が投降を受け入れるとは微塵も考えていない。
 審議会が動いたのだ。本事件に関連した吸血種は仮に投降すれば確実に地獄界への強制送還及び人間界の永久入界禁止は確実。そうなれば人の血がなければ生きていけぬ吸血種達に待つのは確実なる死だからだ。

「投降~~? 何それ? あはっ――あはははは!!」

 黒色のスーツを着た短髪ショートヘアの女性は腹を抱えて狂ったように笑い始めた。

「な、なんだ此奴……」

 この圧倒的劣勢な状況での突然のカミングアウトに《MSAT》の隊員の一人が眉をひそめる。

「笑うな!」

 短髪ショートヘアの女の吸血種に《MSAT》の一人が『聖滅銃』のトリガーに触れる指に力を籠める。その行為に《MSAT》の誰も異を唱えない。
 《MSAT》は審議会でも超が付くほどのエリート部隊。《殲滅戦域》とは異なり、普段命令無視をするような者達ではない。それほど眼前の女は異様だった。

「おい、待て、エムプサ!」

「《黒翼》」

 巨躯の黒髪の大男の焦りを含んだ叫び声を歯牙にもかけず、短髪ショートヘアの女の吸血種――エムプサはボソリと呟く。
 頭上から照らすシャンデリアの光によってエムプサには影ができていた。その床に映しだされた影から黒色の靄が急速に泉のごとく湧き出し翼の形を司る。
 情けないことに千鶴ちずるが認識し得たのはここまでだった。
 ブンッという風切り音。直後、ドシャッと幾つもののものが床に落ちて叩きつけられる音が聞こえる。
 いつの間にか視界は千鶴ちずるの前に移動した《ブライ》の背中により遮られていた。

「指揮官殿は見ない方がいい」

「え、それってどういう――」
 
 そう。このとき《ブライ》のいつになく厳しい声に従っておけばよかったのだ。
 だが千鶴ちずるは視線を音のした床に落としてしまう。
 そこには赤い大きな水たまりがあった。その水たまりに横たわるものを見たとき――。

「ひっ!?」

 口から悲鳴が漏れる。当然だ。そこにはエムプサを取り囲んでいた《MSAT》の真っ二つに横断された身体が横たわっていたのだから。
 酸っぱいものが喉までせりあがって来る。それを飲み込み、頭をフル稼働させる。
 今、指揮官たる千鶴ちずるが冷静さを失えばこの戦争は審議会の敗北で終わる。それは捕らわれている罪もない市民がこの吸血種達の食糧となることを意味する。それを許せば千鶴ちずるは捜査官としてやっていくことはできなくなる。そう思えるから。
 流石は幾多もの死地をくぐり抜けてきた《MSAT》のエージェント。顔は緊張で強張り、蒼ざめてはいるものの既に複数の防御結界を展開させつつエムプサから距離をとっている。

「あ~あ、殺しちまいやがって――エムプサ、貴様、陛下のお言葉を忘れたか?」

 巨躯の黒髪の大男は血と肉で真っ赤に染め上げられた床を一瞥するとエムプサに射すような視線を向ける。

「うっさいなぁ~わかってるわよ。
 高位の魔術師はレア以外にも能力向上に使えるかもしれないってあれでしょ?」

「ああ、それだ。テメエのこの度の失態、ジェネラルに報告させてもらう! ただで済むとは思わんことだな?」

「モルモー、貴様……」

 目じりを吊り上げてエムプサは巨躯の黒髪の大男――モルモーを睥睨する。
 エムプサとモルモーの二柱は千鶴ちずるの存在を忘れたかのように相互に睨みあう。
 二柱からあふれ出す出鱈目な魔力により大気は圧縮しバチバチッと小さな破裂音を上げる。
 突如、天井から数十本の水柱がエムプサ達の頭上へ目掛けて高速落下する。
 エムプサが黒い翼で薙ぎ払い、モルモーが右腕で無造作に水柱を振り払うと水柱は跡形もなく消滅する。

「パタパタ五月蠅ぇ蝙蝠共がぁ、何調子こいてんだぁ?」

 天井の一部がドロリと溶けて青色の液体が落ちて来る。そして青色の液体は人型を形成していく。
 骨と皮だけのようないかにも不健康そうな男――世界序列402位の《化蛇かだ》。
 エムプサとモルモーも眼球だけを《化蛇かだ》へと移動する。

「おい、《ブライ》さんよぉ、この身の程知らず共は俺が喰っていいよなぁ?」

「構わん。やれ」

 《ブライ》は即答し、千鶴ちずるについてくるように顎でしゃくるとスタスタとエムプサ達と《化蛇かだ》から距離をとる。

「エムプサ、テメエでまいた種だ。全部テメエで処理しろ」

 その言葉を最後にモルモーの姿が掻き消え、千鶴ちずる達の対面に姿を現す。
 ほどなくエムプサと《化蛇かだ》が対峙し、千鶴ちずる達A班とモルモーが見守るという構図が出来上がった。

「言われなくても、こんな雑魚――」

 再度、エムプサの黒色の翼がぶれる。
 一瞬、黒い影のようなものが通り過ぎ、バシャッと水が跳ねる音。
 直後、《化蛇かだ》の上半身は重力に従い床に叩きつけられ、その身体は水滴となって周囲に飛散る。
 その無数の水滴は不自然に跳ね上がり、空中で停止して漂い彷徨う。

「スーパーピンボール」

 何処からともなく《化蛇かだ》の濁声が耳に入る。
 それを合図に数多あまたの水滴は高速で動き出し、床、天井、壁を高速で弾いて行く。そして遂にはその幾つもの水滴により視界が遮られる。
 その嵐の豪雨のような水の弾丸はエムプサの身体を瞬時に引き裂き、瞬く間にその身体をバラバラに解体する。

「ちっ!」

 床から水が盛り上がり姿を現した《化蛇かだ》が不機嫌そうに舌打ちをし、床にバラバラになって散らばるエムプサの破片に射すような視線を向ける。
 この《化蛇かだ》の警戒を解こうとしない姿から察するにまだ終わってはいないのだろう。
 確かにあれだけ細かに引き裂かれればその出血量は尋常ではないものとなろう。それが引き裂いたはずのエムプサからは血の一滴も流れてはいない。

「あら~、警戒するだけの脳みそがあるみたい~?」

 細切れになったエムプサの肉片と思しき塊は黒い霧となり、女性の姿を再度形作る。

「この俺と似たようなスキル持ちってわけか……」

 審議会にストックされた資料によれば《化蛇かだ》には実態というものがなく、水そのものを構成成分とする。故に通常の銃火器など通用するはずもなく彼と相対した敵は一方的に蹂躙される。
 このふざけた能力こそが《化蛇かだ》を世界序列の上位に食い込ませ審議会が戦略級の兵器と見做している理由でもある。

「違うわよ。私が持つのは偉大な皇帝陛下から頂いた崇高なりし力。お前ら混ざり物の家畜の持つものとは似ても似つかない」

「ほざけ」

 初めて《化蛇かだ》はエムプサを敵とみなしたのだろう。今までの人を馬鹿にしたような薄笑いが消えている。
 《化蛇かだ》から膨大な魔力が放出され別次元の生き物へと変貌していく。
 千鶴ちずるも初めて見るがおそらくこれが《覚醒》。同化者が本来の力を十二分に発揮した状態。
 五界の住人の力は通常の人間の魔術師のそれを遥かに超えている。同化とはその五界の超常的力を有する住人にとっても一段階上位の存在に至る方法である。その出鱈目な力故に通常その力の開放は《ナンバーズゲーム》以外では禁じられている。仮に《ナンバーズゲーム》以外で同化者の力の開放たる《覚醒》を使い、それが公になれば五界の総力をもって滅ぼされる。
 唯一ともいえるこの例外は審議会による殲滅戦の場合と事前に五界の首脳部から了承を得た場合のみ。
 そもそも魔術審議会は五界の助力によってできた組織。世界に魔術の存在が公表され多発する魔術的犯罪を防止しなければならかった人間と人間社会に一定の影響力を持ちたかった五界の間での妥協の産物が魔術審議会なわけだ。
 故に魔術審議会における人事や政策決定に一定の発言権が五界の首脳部には認められている。五界の首脳部のコントロールが及ぶ以上、審議会の殲滅に五界の同意などいりはしない。
 以上から五界は無条件で審議会による殲滅戦の場合のみ同化をすることを認めている。
 
 《化蛇かだ》の変化に応じるようにエムプサも極悪な漆黒の魔力を解放していく。
 こうして二者は激突した。


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