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第2章 地球活動編
第58話 拉致事件捜査本部 藤原千鶴
しおりを挟む2082年9月7日(月曜日)午後11時30分
魔術審議会日本東京支部 魔術審議会第二研究室
魔術審議会第二研究室内には千鶴を含め数人の優秀な捜査官のみが存在する。
ただし全ての捜査官が京都三家出身者で構成されていることからも、審議会は本作戦を藤原家と倖月家との政争と見做していることは明らかだ。
拉致被害者の中には幼い子供が多数いた。伏見左京支部長は魔術師としては尊敬しているが幼い子供の命がかかった事件をただのくだらない政治事とするところなどは正直気に入らない。
もっとも千鶴も正義を為したいのなら権力も利用する必要があることくらい理解している。
おそらく倖月家の息のかかった者達が知れば何らかの妨害工作くらいはしてくるだろうから。この度のような下種共の手から弱き市民を救うためには悔しいが藤原家の力が必要なのだ。
まあ藤原家などいくらでも利用すればよいのだ。その名にそれほどの価値はないのだから。
千鶴は再度資料に目を通す。
理由はともあれ伏見支部長はどうやら本気らしい。
本作戦資料によれば魔術審議会東京支部組織魔術犯罪対策課課長――宇治夢嗣の捕縛と闇帝国の幹部の討伐のために選抜された《殲滅戦域》のエージェントは四人。
その中でも二人は別格だった。
一人は世界序列第124位――《狂王》。審議会きっての戦闘好きであり、その名が示す通り一度バーサク状態になると敵が肉塊になるまで戦闘を止めはしない。そんな狂ったエージェント。
もう一人は世界序列98位――《ブライ》。資料でこの男の名を見たとき目を疑った。
世界序列100位内は非常識に強い《殲滅戦域》の中でも特別な存在だ。彼らは普段戦略級の作戦でしかお目にはかからない。拉致事件ではおそらく各国の大統領クラスが誘拐でもされない限り発動はされまい。
つまりこの拉致事件の拉致被害者の中には審議会にとって大統領にも匹敵する保護対象が存在することを意味する。
そしてこの度の拉致事件の首謀者は闇帝国。
闇帝国の帝王の世界序列は117位。世界序列100位内とそれ以降は1000番内とそれ以降以上の差があるのは審議会の魔術師ならば皆が知る一般常識だ。
まさかたかが拉致の実働部隊に闇帝国の帝王が直々に加わるわけもあるまい。
この時点で本事件の勝敗は決したと言ってもよい。
(これは喜ぶべきなのでしょうね……)
《人に序列などない》。それが千鶴が信じる数少ない信念の一つ。伏見支部長のこの度のやり方はこの信念を真っ向から否定するようなものだ。おいそれと肯定はできないが、おかげで子供達の保護が盤石になったことも事実。割り切るしかあるまい。
「横浜港羽黒ふ頭A-5ねぇ……今晩にでもイタリアにある本国にでも出航するってところか……」
捜査員の一人が資料を乱暴に机に放り投げた。その額にはみみず腫れのような青筋が張っていた。
伏見支部長が選んだキャストは実にわかりやすい。
一応京都三家出身ではあるが、いずれもその家の名にそれほどの価値を見出せず、魔術審議会への任官を選んだ。そんな京都三家の中でも変わり種。
彼らは一度自らの意思で絶大な権力を捨てた者達。故に審議会内でも倖月家という権力にしがみ付く宇治夢嗣のような俗物を死ぬほど軽蔑している。
それでも審議会内で我が物顔で振る舞う程度ならまだ救いようがあった。それがよりにもよって本来守るべき無辜の市民を人類の敵たる吸血種に売り渡すなど到底許容できるはずもない。奴は日本の伝統ある魔術師に対しても唾を吐いた。
故にこの場の捜査員の指揮は極限まで高まっている。
「みたいですね。この報告書によればイタリア行きの貨物船が多数横浜港羽黒ふ頭A-5付近に入港しているようですし」
「海底都市か……」
横浜港羽黒ふ頭A-5付近の海の底には件の海底都市がある。造りかけの無人の残骸だが、それでも海底都市としての最低限の機能は確保されている。なにせ海底の中だ。姿を隠すにはもってこいだろう。
何より厄介なのが海底都市の入り口付近の倉庫街は倖月家の所有地であることだ。倖月家の管理する私有地に足を踏み入れるには審議会といえどもそれなりの明白な理由が必要だ。
司法の発行する令状なしで踏み込めば仮に拉致被害者が全員保護されたとしても後で重大な責任問題となる。
宇治夢嗣の奴も審議会の人間。ならば審議会に存在する弱みも熟知済みなのだろう。やりにくいことこの上ない。
兎も角、千鶴達には思った以上に時間は与えられていないようだ。
「で、あの腐れ外道は?」
太い眉に四角いゴツイ岩石の様な顔の輪郭を持つ男性が千鶴に尋ねて来た。スーツ越しでもわかる盛り上がった屈強な筋肉を持つ体躯。丸太のように太い手足と岩の様な巨大な拳。
魔術審議会刑事第一課課長――安屋敷巌ノ助。個人魔術犯罪における事実上のトップであり、千鶴の直属の上司。そして、千鶴の母方の叔父にあたる人でもある。
彼は千鶴が審議会に入る切っ掛けを作ってくれた人であり、頭が上がらない人の筆頭でもある。
「今日の午後8時30分に自宅に帰宅したと組魔対策課からは報告をうけています。
午後9時ジャスト、屋敷に奴が乗車している車が入るところの目撃証言もあります。
ただ……」
「『ただ……』、何だぁ~!?
はっきり言え!! 俺は回りくどいのは性に合わん!!!」
巌ノ助はギロリッと千鶴に射るような視線を向けてくる。
巌ノ助は普段千鶴にだけは甘い。千鶴にこれほど有無を言わせず物言いをするなど初めてではなかろうか。
それがわかっているせいかこの場にいる全捜査官は皆神経の凝結した顔で息を飲んでいる。
「そ、その十数分後、屋敷の裏の駐車場から塵収集車と宅配業者の車が出ているんです」
初めての尊敬する叔父の鬼のような形相に若干面食らいながらも何とか話しを続ける。
「屋敷にはゴミ収集業者や宅配業者が午後9時頃に来るのが通例となっております。その点からは何ら不思議ではありません」
宇治夢嗣が闇帝国と接触があるとしても直接会う程馬鹿でも愚かでもあるまい。金銭や条件のやり取りなど今の情報化時代ではメール一つで容易に片が付く。だからこそ今の今まで宇治夢嗣の行いに気が付かなかったわけだし。
何よりあのプライドの塊のような宇治夢嗣がゴミ収集車やトラックの荷物に紛れて乗っているところなど誰が想像できようか。まあ、あり得まい。
要するにこれは本来伝える必要もない余計な情報。てっきり巌ノ助にまた怒鳴られるのかとも思った。
しかし――。
「その車の行き先は?」
巌ノ助は身を乗り出し鋭い眼光で千鶴を射抜く。
「ごみ収集業者と宅配業者は他の倖月家縁の家や企業を訪問し、現在それぞれゴミ集積所と営業所へ帰社する途中です」
「そうか……」
巌ノ助は腕を組み視線をテーブルに固定する。
肌がヒリヒリと焼け付くような胃が痛くなる空気の中、巌ノ助はバンッと両手をテーブルに叩きつける。
「蝙蝠共に日本を出られれば少々厄介なことになる。
宇治夢嗣の捕縛は後回しだ。今は拉致被害者の保護を最優先とする!!」
宇治夢嗣は不磨商事の横暴を許し、闇帝国などという蝙蝠に市民を売った最悪の売国奴。奴を野放しにすれば第二、第三の不磨商事、闇帝国を生むのは確実だ。
ここで千鶴達が宇治夢嗣の身柄確保前に被害者の保護に動けば諸悪の元凶の奴は倖月家を介して各方面に何らかの手回しをするかもしれない。
そうなれば仮に通常なら十分捕縛可能な証拠があろうと審議会に圧力が加わる可能性すらある。それほど今の倖月家は世界にとって無視できない存在となっている。
そうだからこそ千鶴達はこの数時間の貴重な時間を宇治夢嗣などという俗物の捕縛に動いていたわけだ。
巌ノ助の決断はおそらく単純明快。宇治夢嗣などという低俗な蛆虫は一度脇に置き、最優先事項である市民の保護に全てをかける。
この選択は宇治夢嗣に臭い飯を食わせる最大にして最後のチャンスを逃すことを意味する。
政治闘争では現在、京都三家より倖月家の方が圧倒的に優勢だ。藤原家の直系である千鶴は兎も角、他の捜査員は京都三家を自ら捨てた者達だ。仮に京都三家が本作戦を自らの不利なると判断すれば、確実に切り捨てられる。
特に巌ノ助は藤原本家から毛嫌いされている。これは藤原家が審議会に藤原家出身者の任官の斡旋を依頼した際に他の受験生に不公平であるという理由で巌ノ助が猛反発したからだ。
特に倖月家の所有の倉庫街に令状もなしに侵入するのだ、藤原本家の後ろ盾がない巌ノ助は少なくとも後で左遷くらいは受けるだろう。
「「「「「「「了解!!」」」」」」」
全捜査員が立ち上がり一斉に敬礼をする。
この作戦が仮に成功しても先に待つのは事実上自身の審議会からの脱退だ。反対の声くらい上がってもよいはずなのに、全員の目の奥には強烈な決意が映っていた。
「千鶴!」
捜査員が次々に退出していく中、千鶴も部屋を出ようとすると巌ノ助に呼び止められる。
「はい!」
振り返り敬礼をするものの巌ノ助の神妙な顔を見て息を飲み込む。
「嫌な予感がする。死ぬなよ」
本作戦は《殲滅戦域》が四人。その参加者の中には世界序列124位の《狂王》と世界序列98位の《ブライ》までいるのだ。闇帝国の兵隊ごときに贖えるとはとても思えない。少なくとも拉致被害者の救出自体は問題ないだろう。
やけに大袈裟な巌ノ助に疑問には感じつつも千鶴は大きく頷き、一礼して部屋を出た。
だが巌ノ助は幾多の死地をくぐり抜けた生粋の戦士。そんな戦士の勘にはそれなりの根拠がある。それを千鶴はその数時間後魂から理解することになる。
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