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第2章 地球活動編
第57話 捜査の開始 伏見左京
しおりを挟む2082年9月7日(月曜日)午後9時20分
魔術審議会日本東京支部 支部長室
学校の教室の程の広さの部屋一杯にグレーの仕立ての良い絨毯が敷き詰められ、その隅に設置されている本棚には数多の魔導書が並べられている。
伏見左京は支部長室の大きな机に突っ伏して頭を抱えていた。
左京を悩ませている頭痛の種は先刻、13覇王である番外者参謀――思金神が提出してきた資料にある。
それは魔術審議会始まって以来の汚職の証拠。
先月、《妖精の森》により完膚なきまでに叩き潰された不磨商事から魔術審議会東京支部組織魔術犯罪対策課課長――宇治夢嗣が金銭を受け取りその魔術犯罪をもみ消していた証拠。
組織魔術犯罪対策課は文字通り、魔術結社による魔術犯罪の摘発の部署。いわば魔術犯罪の防波堤であり、魔術師個人の犯罪を取り締まる刑事科とはその規模も重要性も段違いだ
魔術審議会日本支部の中でも最重要部署の課長による不正。これだけでもマスコミにリークされれば凄まじい混乱が生じる。下手をすれば今まで先人が積み上げて来た審議会の信用は地に落ちる。
そして宇治夢嗣の馬鹿が次の不磨商事の後釜に選んだ金ずるは闇帝国――吸血種の帝王。
確かに裏社会の住人の誘拐ならば審議会は司法の要請がない限り動かない。
だが今回は任侠一家である御堂組組長――御堂泰三が司法に届け出て魔術審議会には一定の調査義務が生じていた。それを宇治夢嗣は碌な調査もせずに動かなかったらしい。
それに審議会が能動的に動かないのは純粋な裏社会で生きる者達が犠牲になった場合に限っての話だ。この資料にあるようなその家族などは一般市民と何ら変わらない。その者達を不磨商事や闇帝国に売り渡して金銭を受け取るなど言語道断というものだ。
何より頭が痛いのが思金神がこの資料を提出してきた理由だ。よりにもよって闇帝国が誘拐した者の中に《妖精の森》所属の者がいたらしい。
そのため《妖精の森》はこの誘拐に関与した闇帝国の吸血種と宇治夢嗣に制裁を加える。
仮に魔術審議会が宇治夢嗣を加護するなら、番外者は13覇王の全権利を放棄し、《妖精の森》は魔術審議会の統制を抜けて以後一切の協力はしない。このように宣言してきた。
要約すると次のようなことだ。
《妖精の森》がこの度誘拐に関与した闇帝国の吸血種と宇治夢嗣に制裁を加えるので黙認しろ。加えて制裁後の事後処理をしろ。しなければ全てをマスコミに暴露し、《妖精の森》は今後一切魔術審議会に関わらない。そういうメッセージ。
これが宇治夢嗣でなければ《殲滅戦域》の発動による捕縛という形で片が付いた。《妖精の森》も審議会が先に捕縛・処罰してしまえば怒りの鉾先を失う。少なくともあの思金神が何のメリットもないただの憂さ晴らしを望むとは考えにくいわけであるし。
しかし、宇治夢嗣は宇治家。宇治家は倖月の最大派閥である《伝統派》の首領――倖月伊佐治の妻の親戚筋にあたる家。魔術審議会の総意として捕縛すれば倖月家と少なくない禍根を残すことになる。
倖月家は《妖精の森》と同様、ただの魔術組織ではない。13覇王――倖月竜華を擁し、経済界にも根を張る巨大魔術組織だ。この倖月家天下の日本で魔術審議会が活動するには、少なくとも消極的な倖月家の協力が必要なのだ。
この問題は無論、師であり直属の上司でもある魔術審議会東アジア最高顧問――五十子時宗に報告し、指示を求めた。その返答は『上手く処理せよ!』だった。つまり番外者にも倖月家も納得するように話しを収めろということだろう。それができれば世話はない。内心で壮絶に舌打ちをしていると、支部長室がノックされる。
「入れぇ!」
左京の言葉に長いサラサラとした銀髪をサイドテールにしたスーツの女性が一礼して部屋に入って来る。
女性は敬礼すると腕を後ろに組み姿勢を正す。
「第一級捜査官――藤原千鶴。お呼びいただき参上いたしました」
この女は――魔術犯罪対策課係長――藤原千鶴。苗字からも明らかであるように千鶴は七大領家たる藤原家の長女。
千鶴は本来家督を継ぐはずだったが、退屈な藤原家当主を弟に押し付けて魔術審議会に就職した変わり種。
一見、左京と同じ境遇のようにも思えるが、伏見家で厄介者にすぎなかった左京とは対照的に、当主たる千鶴の弟を含め、両親、祖父母共に千鶴を溺愛している点で全く状況は異なる。
「急に悪いな千鶴。
俺が口で説明するよりもこの資料を見てもらった方が手っ取り早い」
左京が思金神から提出された資料を机の真ん中に滑らせると千鶴は一礼をして資料を手に取り目を通し始める。
資料に目を通すにつれて千鶴は目を尖らせて体を震わせ始める。
「あ、あの腐れ外道めぇ!!」
遂に資料をグシャグシャに握り潰した。
「落ち着け。千鶴。
お前が握り潰したそれは本事件の重要証拠書類だ」
「へ……? す、すいませんっ!!」
真っ青な顔でクシャクシャのボール状になった資料を伸ばして復元を試みる千鶴。
(これがなければ本当に優秀な捜査官なのだがな……)
千鶴の欠点がこの正義感の強さ。特に幼い子供が犠牲になる犯罪に対しては烈火のごとく反応してしまう。
今回の事件を無事終息させるためにはこの千鶴の正義感を上手く利用するしか手がない。正確には千鶴のバックにいる藤原家だ。
この日本において京都三家と倖月家は絶大な力を有する。今は丁度三年前、《鳳凱祭》で勝利した倖月家が日本の各組織の最重要ポストのほとんどを占めている。
もっとも倖月家の天下と言ってもそれはナンバーワンとナンバーツー程度の違いでしかない。両者は暗黙の了解で敗者にも一定の配慮をしている。具体的には部長が倖月家なら副部長が京都三家からという塩梅だろうか。
そしてこの配慮は自らが敗者になった際の自営的な処置にすぎず、二大勢力の関係が良好であるわけでは断じてない。寧ろこの二大勢力の仲は最悪と言って良いほどだ。互いに政治的な足の引っ張りあいなど日常茶飯事なのだ。
おまけに《鳳凱祭》の勝利者による最重要ポストの独占の権利は汚職等で失脚した場合には当該職に限りではあるが失効する。
つまりこの魔術審議会内では倖月家と関わりが深い宇治夢嗣が汚職の理由で捕縛すれば、次の東京支部組織魔術犯罪対策課課長は京都三家から選ばれることになる。
ここで本事件の最大の問題にぶち当たる。
倖月家と京都三家の面倒な争いに関わりたいものなど存在しない。下手をすれば家族や親戚、一族にまで巻き込まれかねないからだ。
特に不磨商事と宇治夢嗣の繋がりも今回の闇帝国による拉致事件の奴の関与についてもメインは間接証拠ばかりであり、やや決定打に欠ける。いわば限りなく黒に近いグレーの様な状態と言えばよいだろうか。通常なら十分捕縛に値する証拠であっても倖月家縁の者を捕縛するには不十分。より、直接的な証拠が必要なのだ。
今の状態では今回の拉致事件につき宇治夢嗣の内定調査など命じても碌に調べもせずにうやむやにされるだけだろう。
それでも普段なら今回の拉致の被害者を保護しさえすれば宇治夢嗣を捕縛できなくてもそこまでのダメージは魔術審議会にはない。限りなく黒に近い証拠を倖月家と宇治家に突きつけて次の人事で宇治夢嗣に自主降格を迫れば済む話だからだ。
しかしこの度はあの番外者が介入してきた。しかも仲間を吸血種の餌として売り飛ばされて怒髪天を衝く状態だ。
魔術審議会内の汚職が外部者にリークされる形で世間に公表されれば市民の審議会への信頼は地に落ちる。
それに現在番外者と利害関係があるのは魔術審議会全体なのだ。ここで奴に臍を曲げられれば国連、より正確に言えばあの魔道超大国の一人勝ちになる可能性すらある。それだけは避けたい。
以上の事情を踏まえれば本事件の最上の解決法は番外者より先に千鶴が事態を収拾すること。
本人がどう思おうと千鶴は藤原家。形式的には京都三家の勢力であり、彼女が陣頭に立ってこの茶番を収めればこれはあくまで倖月家と京都三家の政争に終始する。二大勢力の争いなど日常茶飯事だ。マスコミの興味を魔術審議会始まって以来の不正から二大勢力の政争へと論点をずらすことが可能となる。さらに世間も審議会内部での摘発ならばその自浄作用を疑いはすまい。
京都三家にとっても本事件はまさに棚から牡丹餅状態であり、嬉々として千鶴を擁護することだろう。
また倖月家も千鶴が指揮を執っている以上、審議会が倖月家に喧嘩を売ったと判断はすまい。寧ろ、本事件を京都三家との政争として処理し他に影響が波及しないように宇治夢嗣を切り捨てる処置をとるはずだ。
一番ネックの番外者においても魔術審議会内で拉致被害者を先に保護し、宇治夢嗣を摘発すれば振り上げた拳を下ろさざるを得ない。
まさに千鶴は本作戦を遂行するうえで最良の人物なのだ。
「いいさ。先方にはデータで再提出してもらう。
それより、お前に宇治夢嗣の捕縛に向けて動いてもらいたい。
具体的な作戦内容についてはおって知らせる」
「はっ!! 了解いたしました」
敬礼をすると颯爽と部屋を出ていく。
千鶴は頭の回転は恐ろしく速いが政治的な話に疎い。というより政治的な話を意図的に耳に入れないようにしている節がある。これは左京の勘だが、彼女が魔術審議会に入ったのも京都三家を取り巻くドロドロとした政に心底うんざりしていたからだろう。
(無事、終息してくれればよいが……)
番外者の13覇王加入から僅か数日間しか経過していない状況での審議会を揺るがすほどの大事件。
アルスと番外者の会話から察するにこんなものは序の口にすぎまい。近い未来に左京ごときでは想像がつかない大事が発生する。そんな確信にも似た予感がする。
左京はキリキリ痛む胃に顔を顰めつつも引き出しから胃薬を取り出し口に放り込んだ。
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