秋津皇国興亡記

三笠 陣

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第七章 対斉戦役編

129 独立混成第一旅団の初動

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 牛荘東方十五キロの地点にある海城では、早朝に市街地が龍兵爆撃を受けただけで、それ以外に敵の来襲は確認出来なかった。
 龍兵爆撃に関しても“てつはう”が投下されただけなので、海城の現地民が音に驚いて騒ぎを起こし、それを海城民政支庁の憲兵隊が鎮圧したことで、ひとまずは平穏を取り戻している。
 ただしこの日一日、遼河方面から砲声や爆音が断続的に響き続けていた。また、海城北方三〇キロには鞍山が存在し、そちらからも遠雷のような音が時折響いていた。
 陣地を築いた二つの高地の頂上からは、冬の澄んだ空気のためか、立ち上る黒煙まで見ることが出来た。
 だが、それでも独立混成第一旅団は海城を動かなかった。第三軍から海城の守備を命ぜられていたからだ。
 旅団が牛荘方面の救援に向かい、万が一北方の鞍山や遼陽の第二軍の戦線が突破されれば、海城は無防備のまま斉軍の攻撃に晒される。これは、鞍山方面の救援に向かった場合でも同じである(そもそも、海城―鞍山間の街道は除雪がされていないため、短時間で救援に向かうことが事実上、不可能)。
 だからこそ、第三軍司令部は独混第一旅団を海城から動かさなかった。海城は交通の要衝であり、容易に斉軍に奪還されるわけにはいかない。
 独立混成第一旅団はこの日、海城から一歩も動かなかったが、景紀のシキガミたる冬花は別であった。
 彼女は景紀の命令に従い、単騎翼龍を駆って第十四師団の支援に当たっていた。
 牛荘から営口までの戦線に上空から何発もの爆裂術式を打ち込み、さらには対岸の斉軍陣地などにも複数の爆裂術式を打ち込んで、第十四師団の戦線崩壊を防ぐ一助となっていた。
 独混第一旅団の司令部呪術通信隊が歩兵第八旅団の第二軍司令部への救援要請を傍受すると、景紀は今度は冬花に北方に飛ぶように命じた。この措置に関しては、完全に景紀の独断であった。
 積雪や距離の問題から旅団による鞍山救援は間に合わないが、翼龍を駆る冬花ならば間に合う。そういう判断であった。
 明日以降、海城に攻め寄せるであろう斉軍を北方から牽制するために、少なくとも第二軍の諸部隊にはある程度の戦力を維持していてもらわなければならない。
 歓喜山や隻龍山頂上の観測所からは、冬花が牛荘や鞍山の斉軍に打ち込んだ爆裂術式が確認出来、兵士たちが喊声を上げたという。如何に海城の防衛が命ぜられているために動けないとはいえ、友軍が危機的状況に陥っているのに救援に駆け付けられない鬱憤を、兵士たちは冬花の爆殺術式を見ることで晴らそうとしたのだろう。





「有馬閣下はまだご回復されないか……」

 日が暮れても、独混第一旅団の司令部作戦室には有馬貞朋公の容態が回復したという情報はもたらされなかった。

「このままだと、少し拙いことになるぞ」

 机の上に広げられた戦況を示す地図を睨みながら、景紀は呻いた。
 第三軍は、結城・有馬の連合軍である。封建的軍隊の色彩を残す皇国陸軍故の弊害が、司令官である有馬貞朋公の不在によって徐々に現れつつあった。
 結城家領軍たる第十四師団司令部が、第三軍司令部ではなく景紀に後退の可否を巡る判断を求めてきたのである。どうやら第十四師団は、有馬家当主が不在ならば結城家次期当主に判断を仰ぐべきと考えたらしい。封建制度的に見れば正しい判断であるが、近代的軍隊としては完全に指揮権継承序列を無視している。
 景紀は第十四師団司令部に対して第三軍司令部に判断を仰ぐように返信して、自らは第十四師団の統率には関わらない姿勢を見せた。
 そもそも、旅団でしかない独立混成第一旅団には、一軍を円滑に指揮出来るだけの幕僚や通信の余力がない。各部隊から届く無数の呪術通信を処理出来るだけの呪術兵が存在していないのだ。
 戦国時代に比べて複雑化した軍の組織は、最早封建的な指揮系統では対応出来なくなっていた。
 それでも、第十四師団司令部が第三軍司令部ではなく景紀の方を見て戦闘をするだろう懸念は残った。
 主家の次期当主の前で無様を晒すわけにはいかないという司令部の見栄が、戦術的な判断を誤る結果を生み出さなければいいが……。
 六家の人間が前線に出張るというのも善し悪しだなと、景紀は思わざるを得なかった。
 それによって兵士の士気が上がる場合もあるだろうし、逆に政治的な判断が先に来て戦術的な判断が軽視される危険性もある。

「明日以降、鞍山方面の敵が南下してくる可能性がある。今夜、兵士たちに休息を取らせる時は、なるべく温かくさせて起きたらすぐに行動出来るようにさせろ。烹炊班の方は、朝一で温かい食事を兵に提供出来るよう、準備させておけ」

「了解です」

 景紀の隣で地図を覗き込む貴通が頷いた。

「他、何か現状で懸念すべき点はあるか?」

 景紀は、作戦室に集まった旅団主要四指揮官の顔を見回す。

「敵の龍兵対策については?」そう言ったのは、加東正虎龍兵隊長。「防空程度の短時間・短距離での飛行ならば搭乗員が凍傷に罹る危険性は低いでしょう」

「ならば任せる。敵の爆弾の性能が低いとはいえ、上空を飛び回って“てつはう”を何発も落とされては兵士の士気にも関わるからな」

「了解であります」

「他は?」

 景紀は再度、全員を見回すが何もないようであった。

「なら、今日はこれで解散。明日以降の諸君らの健闘を期待する」

「はっ!」

 主要四指揮官は景紀に向かって敬礼すると、部屋を後にした。

「貴通、お前も烹炊班への手配が終わったら、今日はもう寝ろ。明日以降、互いに万全の調子でいたい」

「了解です。そういう景くんも、しっかり寝るんですよ?」

 陽鮮の時のような遣り取りに、互いに小さく笑い合って兵学寮同期の二人は作戦室を後にした。

  ◇◇◇

 その頃、冬花は邸宅の中に与えられた部屋の寝台の上にうつ伏せで横になっていた。
 流石に午後いっぱい翼龍を駆って術を使い続ければ、霊力も体力も消耗する。弓を引くために両足だけで翼龍を操らなければならないなど、地上で術を行使するのとはまた違った難しさがあるのだ。それが霊力と体力を普段、術を使う以上に消耗してしまった原因であった。
 景紀や第三軍司令部からは無理のない範囲で構わないと言われていたが、冬花にも景紀のシキガミであるという意地があった。遼河の東岸に攻め寄せた斉軍だけでなく、川向こうの斉軍の陣地も目に付いたものは爆裂術式で焼き払った。敵の兵站に打撃を与えようと思ったのだ。
 敵陣の中には強固な結界を張ったものもあったので、それなりに霊力を消費してしまった。
 その中で敵の翼龍に捕捉されたこともあったが、呪術で乱気流を起こして撒くか、矢に誘導用の術式を組み込んで撃墜した。
 ただ、今こうして気怠い疲労が全身にのし掛かっていることを考えると、自分の挙げた功績が主君の評価に繋がるからと少し気張りすぎたかもしれないと反省している。

「冬花、いいか?」

 そんなことを考えていると、扉の外から景紀の声がした。

「ええ」

 起き上がるのも億劫なので冬花は顔だけを扉の方に向けて返事をすれば、扉を開けて軍服姿の景紀が入ってきた。その顔は、少しばかり呆れ気味だ。

「ったく冬花、お前張り切りすぎだろ」

 呆れの中に心配を混ぜ込んだ声が、冬花の耳に心地よく響く。彼の声を聞くだけで、頑張った甲斐があったと思える。シキガミたる自分の役目は、主君を守り、主君の敵を討ち払うこと。例え呪術師として批難されるような術の使い方をしていようとも、景紀の役に立てているのならばそれで良かった。

「まったく、これじゃあいつもと立場が逆だな」

 そう言いながら、景紀は冬花が床の上に脱ぎ散らかしたままにしている革長靴や黒い脚絆、短洋袴ショートパンツを拾い上げて、綺麗に整えていく。
 身にまとっていると何となく窮屈な感じがするし、何より整えるのも億劫だったので冬花はそのまま脱ぎ散らかしていた。赤い火鼠の羽織りと白いシャツだけをまとった姿で、しかも耳と尻尾の封印を解いて冬花は寝台の上にうつ伏せになっているのだ。
 普段、隠居だの何だのとものぐさ発言をしている景紀と、今は完全に立場が逆転していた。そのことに、冬花はわずかな気恥ずかしさと温かさを覚えていた。何だかんだで、自分は景紀に構ってもらえるのが嬉しいのだ。
 戦地に来てからはどちらかといえば貴通の方が景紀に頼りにされている印象(彼女は将校としてしっかりとした教育を受けた人間なので納得はしているのだが……)があったので、なおさらだった。

「霊力や体力の方はどうだ?」

 景紀は冬花の寝台の横にしゃがみ込んで、そっと彼女の顔にかかっている髪を払った。

「一晩しっかり休めば、回復するわ。流石に、私もそこまで後先考えてないわけじゃないし」

 気恥ずかしさとくすぐったさを紛らわすため、ちょっと拗ねた口調になりながら冬花は答えた。

「ただ、向こうの術者も結構な高位術者みたいだったから」

「やっぱり、高位術者が出張ってきているか」

「みたい。遼河西岸の斉軍陣地の中に、結構強固な結界で覆われたものとかもあったから」

 有馬頼朋が呪詛に倒れたこと、数十キロにわたる前線全域で瘴気が流し込まれたことと、そして敵陣地が強固な結界で守護されていたこと、これらから考えて斉軍が複数の高位術者を従軍させていることは間違いない。
 対して皇国軍側の術者は、呪術による通信が行える程度の者たちが大半である。
 確かに自分や有馬貞朋公御付きの術者である弓削慶福など高位術者がいるにはいるが、軍に所属しているわけではない。
 冬花はあくまで景紀に付き従っているだけであるし、弓削慶福もまた同じだ。
 将家に仕える呪術師の役割は、本来は呪術や占術によって主家を守護することである。武士のように戦働きを期待されて家臣に加えられているわけではない。
 爆裂術式を使って敵軍を吹き飛ばしている冬花の方が、将家に仕える呪術師の中では例外的存在といえた。
 そして、それぞれの主君に仕えているという形でしかないため、術者相互の連携もほとんど取れていない。冬花は弓削慶福との間に直通の呪術通信回線を設けてはいたが、あくまでその程度である。
 対する斉軍側は、ある程度、高位術者同士が連携を取っていると見て良いだろう。
 そんなことを、冬花は景紀に掻い摘まんで説明した。

「……なるほどな。まあ、十字教が魔術を異端視している所為で、西洋諸国との戦争じゃあ魔術師同士の戦闘なんてほとんど起こったことがないから、こういう戦い方は俺たち皇国軍としても手探りな部分はあるからな」

「どうするの?」

「冬花だけが頼り」

 うつ伏せに寝転がったまま問えば、冬花の主君たる少年は実に簡潔な答えを返してきた。

「だってそうだろ?」

 思わず目を瞬かせる白髪の少女に、景紀は言う。

「向こうの高位術者に対抗出来る術者は、お前くらいなものだからな。だから、頼りにしているぜ、俺のシキガミ」

 にやりと景紀は、少し悪戯っぽい笑みを見せてきた。
 冬花の胸の内から、嬉しさと気恥ずかしさとこそばゆさがこみ上げてくる。戦場で、貴通よりも自分の方が頼りにされている。
 そのことが、嬉しかったのだ。

「……」

 すると、何故か景紀の目線が逸れた。自分の背中、それも下半身の方に向いている。

「?」

 何だろうと思っていると、わさわさという音が部屋に響いていることに気付いた。

「―――っ!?」

 次の瞬間、冬花はハッとなって自分の尻尾を掴んだ。封印を解いたままの尻尾が、左右に元気よく振られていたのだ。

「うーーーっ……」

 恥ずかしさと恨めしさの籠った視線で、冬花は主君を睨み付けた。すると、景紀は堪えきれなかったように噴き出した。

「ぷっ……、くくくくっ、はははははっ!」

「馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿ぁ……!」

 耐えられずに、冬花は寝台の枕に顔をうずめて呻きを上げる。

「もう嫌……、この尻尾切り落としたい……」

 尻尾を封印するのも忘れて、妖狐の少女は枕に顔を押し付けたままくぐもった声で言う。

「悪い悪い」

 そうしていると、笑いが収まったらしい景紀や優しい手つきで冬花の髪で梳いてきた。

「子供の頃にも言っただろ? お前の本来の姿も、十分に可愛いって」

「うーーーっ……」

 バッと顔を上げて、威嚇するような呻きを上げながら冬花は主君を睨み付ける。恥ずかしさと恨めしさと嬉しさで頭がおかしくなりそうだった。





 ひとしきり悶えて落ち着きを取り戻した冬花だったが、それで体力をさらに消耗してしまい、ますます寝台の上にぐったりしてしまった。落ち着いたというよりも、単に悶えるだけの体力が切れてしまっただけともいえるが。

「俺のシキガミとしての力を他の連中に示そうとしてくれるのは判るんだがな、まだ戦闘は始まったばかりなんだぞ?」

 苦笑しつつ、景紀は苦言を呈してくる。自分の仕えるべき少年は、こちらが張り切ってしまった理由をお見通しらしい。

「だって……」

 それ以降の言葉が、出てこない。戦地で景紀に頼りにされている貴通への対抗心や嫉妬心があったなど、景紀に言えるものではなかった。

「さっきも言ったが、俺はお前を頼りにしているんだ。じゃなきゃ、お前を戦地にまで連れてこない。英市郎の言う通り、内地に置いてきたさ」

 寝台に腰掛けて見下ろしてくる景紀は、多分、自分が下らない張り合いをしていたことに気付いているのだろう。

「……俺の血を呑めば、少しは回復が早まるか?」

 少しだけ躊躇いがちに、景紀が問うてきた。多分、彼はぐったりとした自分の様子を心配してそんなことを言ってくれたのだろう。呪術師にとって、血とは生命力に直結した霊的価値の高い物質。陽鮮で蠱毒に冒された時のように、啜れば冬花の回復は早まるだろう。
 特に自分と景紀は呪術的な契約関係にある。契約者の血は、特にその霊的効力が高い。
 だけれども、冬花には葛藤があった。
 自分は、妖狐の血を引く人間だ。それが人の血を啜るなど、化け物の所業と変わりがなくなってしまう。
 でも同時に、一人の陰陽師として契約者である少年の血を取り込みたいという欲望もある。
 霊力を消耗して疲れているからか、景紀の血を啜ることはひどく魅力的に思えた。

「ほら」

 冬花から言い出せないのを見て取った景紀が、躊躇いなく軍刀を自らの手首に滑らせた。こちらから血を要求させると自分が罪悪感に囚われると思って、景紀は自ら血を差し出すことにしたのだろう。
 あくまで、景紀がすき好んで自らの血を冬花に与えているのだと言い訳が出来るように。
 そんな主君の気遣いが、冬花にはひどく有り難かった。

「……じゃあ」

 躊躇いがちに景紀に身を寄せて、血の流れ出した少年の腕に舌を這わせる。
 その血が喉を通るたびに、冬花は失われた霊力が回復していくような感覚を覚える。鉄錆びた風味でしかない血が、ひどく甘美な飲み物のように思えた。
 主君の血を啜るという背徳的な行為であるはずなのに、冬花はどこか神聖な儀式に臨んでいるような気分だった。
 やがて冬花は景紀の手首から唇を離し、その傷口に治癒の術式を掛けた。

「ありがとう、景紀」

 謝れば、この主君は気にするだろう。だから、冬花は礼を言うことにした。

「早く元気になって、明日も俺の隣に控えていてくれよ?」

 慈しむように狐耳の乗る冬花の頭を一撫でして、景紀は立ち上がった。
 そこに名残惜しさを感じながらも、冬花は今の主君の言葉を胸の中で繰り返していた。その言葉があるだけで、きっと明日以降の自分は絶好調になれるだろう。
 そんなことを思いながら。
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