秋津皇国興亡記

三笠 陣

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第七章 対斉戦役編

130 二十五万の奔流

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 ホロンブセンゲが本営と定めていた盤山は、焦げ臭い焼け跡が立ち並ぶ廃墟と化していた。

「倭人の妖術師の仕業です」

 ホロンブセンゲが皇帝から借り受けた宮廷呪術師の一人が、そう言った。

「夷狄の妖術師はかなりの手練れです。我々が本営に張った結界を破壊したのですから」

「焼けた兵糧はどれくらいの量になる?」

 この騎馬民族出身の将軍がまず気にしたのは、その点だった。

「この攻勢のために集積した兵糧の約三分の一が、倭人の爆裂術式で吹き飛びました」

 そう報告したのは、ホロンブセンゲの副将を務めるガハジャンであった。

「盤山は、すでに拠点としての価値を喪失したといえるでしょう」

「まったく、前線で指揮を執っていて正解だったな」

 ホロンブセンゲは周囲の者たちに深刻さを感じさせないよう口調に注意しながら、そう言った。

「盤山の本営にいれば、今頃兵糧諸共吹き飛ばされていたぞ」

「将軍が健在であるのは、確かに不幸中の幸いといえましょう」

 実際、正規軍・義勇軍合わせて二十五万の斉兵は、ホロンブセンゲの勇名の下に結束しているといっていい。すでに老齢に差し掛かりつつあるとはいえ、彼は弱体化した斉軍の中で唯一の常勝将軍といえる存在だったのである。

「周辺の街や村に使いを出して、食糧を差し出させろ。その代わり、来年の税については大幅に減免すると伝えよ」

「かしこまりました」

 欽差大臣として皇帝から全権を委任されているホロンブセンゲは、その権限を最大限活用して焼き払われた兵糧分の食糧を周辺住民から徴発することにした。倭人によって遼河が封鎖されたため、盛京省には華北に運ぶことの出来なかった米穀が蓄えられているはずであった。
 とはいえ、本来であれば華北の商人たちに売りに出すはずであった米穀を軍が大した補償もなく奪うわけであるから、相応の反発はあるだろう。しかし、兵糧不足で全軍の結束が崩壊し、数万の兵士たちが野盗と化すよりはまだいいと考えたのである。
 少なくとも、軍としての結束が取れているのならば、農民たちが反発しようとも軍の武力で押さえつけることが出来る。
 これまで何度も反乱を鎮定してきた経験を有するホロンブセンゲは、そう考えていた。

「南翼は左芳慶提督に委ねておけば問題なかろう。懸念すべきは、北翼の方だ」

 攻勢初日の今日、遼河(太子河)の渡河に成功し対岸に橋頭堡を築けたのは南翼の左芳慶軍のみであり、牛荘方面の北翼は倭軍の頑強な抵抗に遭って再び河に追い落とされていた。
 緑営の勇将・左芳慶提督であるならば、このまま軍を預けていても問題ない。しかし、牛荘・海城が奪還出来ないとなると、斉軍の中で南翼の左芳慶軍だけが突出する形となる。北の海城、南の蓋平から左芳慶軍が挟撃される危険性があった。
 そのためにも、早期に牛荘・海城の奪還を果たさなければならないのだ。
 特に現状、海城に拠る倭軍に対して龍兵爆撃以外での圧力を加えられておらず、行動の自由を得た海城の倭軍の一部が南下し、営口方面を攻略中の左芳慶軍を側面から急襲する恐れがあった。
 このためホロンブセンゲは、盛京・遼陽方面の救援に向かわせた呉鉄生の軍に対して、軍の一部を海城に振り向けるよう、すでに命令を出していた。呉鉄生軍は、攻勢初日して鞍山の救出に成功している。海城を攻めたとしても、背後を突かれる危険性は少ない。

「明日は私自ら、北翼の指揮を執る。南翼については左提督に任せる旨、伝達せよ」

「はっ、かしこまりました」

 恭しく一礼したガハジャンが、そのまま駆けていく。

「……」

 その背中を見遣りながら、ホロンブセンゲは夜の暗がりの中に沈む遼河対岸を鋭い視線で睨み付けていた。

◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆

 斉国将軍ホロンブセンゲによる反攻作戦の初日は、少なくとも斉軍の有利に終わったといえる。
 作戦が奇襲的な成功を収めた背景には、斉側による呪術の積極的な利用があったという要素が大きい。
 特に秋津側陣地に対して瘴気を流し込むという作戦は、後世の毒ガス作戦の嚆矢ともいえるものであった。
 皇国陸軍の中で比較的呪術に造詣の深い景紀が呪術の軍事的利用について“浄化”という観点を重視していたのに対し、斉軍がこの作戦で見せたのは呪術の“呪い・穢れ”という側面の利用であったことは、戦史において好対照を成しているといえよう。
 さて、斉軍の瘴気作戦と膨大な兵力の奔流によって生じた皇国軍最初の蹉跌は、鞍山の歩兵第八旅団が斉軍に包囲されたことであった。
 鞍山は皇国軍の海城・牛荘占領に伴って盛京軍が放棄した街であったため、第二軍としてもそれほど兵力を割く必要性を認めていなかったことが、一個歩兵旅団の包囲という結果を招いてしまったともいえる。第二軍主力も遼陽を攻略中に呉鉄生軍八万の急襲を受けたために、前面の遼陽守備隊三万を合わせた十万近い兵力を相手にすることとなり、歩兵第八旅団の救援を行う余力はなくなっていた。
 こうした第二軍の劣勢は、単に兵力差という原因だけでなく、山中を行軍してきたが故の野砲不足、弾薬不足という火力不足が原因でもあった。
 突撃を敢行する斉兵を次々と薙ぎ倒していった斉発砲や多銃身砲の銃弾は、敵兵のあまりの多さに昼過ぎには不足を来すようになっていたのである。
 最終的に歩兵第八旅団を壊滅から救ったのは、冬花の爆裂術式と夜の到来であった。
 鞍山の皇国軍を包囲していた呉鉄生軍の一部が冬花の爆裂術式によって吹き飛ばされ、その混乱によって生じた斉軍の包囲網の間隙を夜襲によって突破することで、辛うじて歩兵第八旅団は遼陽の第二軍主力と合流することが出来たのである。
 しかし、第二軍主力自体も斉軍八万の圧力を前にして遼陽攻略を断念せざるを得ない状況に陥っていた。十六日の戦闘が終わった時点で、一色公直の率いる第二軍は攻撃発起点であった藍河の線にまで後退することを余儀なくされていた。
 この時、第一軍は積雪の影響もあって未だ奉天に辿り着けておらず、その手前の本渓湖(奉天まで約七十キロ、遼陽の東約二十キロの地点)付近に存在していた。こうした状況もあり、第二軍だけが呉鉄生軍八万(遼陽の守備隊も含めれば十一万)の圧力を受けることになったともいえる。
 征斉大総督であり第一軍司令官でもある長尾憲隆大将は、まずは斉軍約十万の圧力を受ける第二軍の救援を決定した。これは、第一軍主力と第二軍主力が比較的近い位置に存在していたことが影響している。
 一方、長尾憲隆が置いた野戦司令部から離れた地点に展開する第三軍についての指揮は、有馬頼朋(実際には児島誠太郎)に完全に任せることにした。冬季攻勢の実施によって兵力が遼東半島から奉天までの広い範囲に分散してしまい、征斉大総督による全軍の統一的な指揮運用が不可能となってしまったからである。
 皇国軍征斉大総督司令部が、斉軍による冬季大反攻をまったく予測出来ていなかったが故の失態といえる。
 なお、この時点で征斉大総督・長尾憲隆や第二軍司令官・一色公直は、斉軍の作戦目的を大規模な両翼包囲であると考えていた。つまり、南翼である遼河河口付近で皇国軍に圧力を加えつつ、北翼を大きく旋回させて最終的には東西方向より盛京省南部から遼東半島にかけて展開する皇国軍を包囲殲滅するという作戦目的である。
 これは、二人の実施した遼陽・奉天攻略を目指した冬季攻勢が、逆にホロンブセンゲの当初の作戦構想を歪めてしまったという事情があるにせよ、概ね正確な予測といえた。
 このため、当初の防衛線である営口―海城―賽馬集―朔州という遼東半島防衛線まで後退することが検討されたものの、長尾大将は容易にその決断を下そうとしなかった。
 実はこの時点で、第一、第二両軍は安易な前進も後退も困難な状況に陥ってしまっていたのである。積雪や路面の凍結の具合によっては十キロの道のりを進むのに半日以上の時間を費やしている部隊もあり、さらに寒さに慣れていない第二軍の将兵を中心に凍傷患者も続出していた。また、積雪がある中での急速な後退はここまで運んできた重装備や車両などを放棄することにも繋がり、なおさら二司令官の後退への決断を慎重なものとしていた。
 このため、第三軍は第一、第二軍の救援を得られない状況となってしまったのである。
 とはいえ、一方でホロンブセンゲ軍も完全な優位に立てているわけでもなかった。
 営口付近の遼河の渡河に成功して遼河東岸に橋頭堡を築いたとはいえ、この日の戦闘で南翼の左芳慶軍は五〇〇〇人近い戦死者と二万人近い負傷者を出していた。牛荘を奪還しようとした緑営総兵・馮玉崑の軍も一万人近い戦死傷者を出し、呉鉄生軍もまたそれに近い兵力を喪失していた。
 斉軍の有利は、人海戦術に基づく膨大な犠牲の上に成り立っているものだったのである。
 さらに冬花が盤山の兵糧を焼き払った影響もあり、兵站の面にも不安を抱えざるを得ない状況に陥っていた(そもそも、遼河が封鎖されたために満洲の米穀を入手出来ない影響もあって、ホロンブセンゲ軍が事前に集積した兵糧は最初から兵力に対して不足気味であったと言われている)。
 つまり、十二月十六日の戦況は斉軍に有利に進みつつも、全体的に見れば未だ戦況は流動的であったといえるのである。

◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆

 皇暦八三五年十二月十七日。
 海城の冬の気温は零下を下回ることがほとんどで、特に寒い日などは摂氏零下十度近くにまで落ち込む。例え暖かい日でも摂氏二、三度にしかならないので、常に寒いことには変わらない。
 防寒装備を着込んでいる皇国陸軍独立混成第一旅団の兵士たちであったが、それでも露出している顔面の眉毛などに白い氷を付けている者たちも多かった。
 景紀の命令通り、十二月十七日の朝食は全将兵が温かい食事にありつけていた。
毎度、温かい食事を提供するとなると薪などの消費量が増えることになるが、景紀や貴通は冬営用に備蓄していた分を切り崩すことで対応した。もちろん、第三軍司令部にも糧食や弾薬の輸送の他、薪なども輸送してくれるよう要請を出している。
 それに、万が一薪が不足した場合は陽鮮の倭館攻防戦で八重がやったように、冬花の火焔術式を使って凌ごうと考えていた。
 海城の独混第一旅団はこのように朝から斉軍の来襲に備えていたのであるが、ホロンブセンゲ将軍の命によって南に転進した呉鉄生軍の一部が来襲したのは、午後になってからのことであった。
 これは単純に、海城―鞍山間の街道が戦乱を恐れた住民の逃亡などの理由によって除雪されておらず、皇国軍と同様に斉軍もまた進撃する上での困難に見舞われていたからである。





「あれなら、何とかなりそうだな」

 海城北方に存在する歓喜山、隻龍山という二つの高地の内、より標高が高く遼陽街道を扼する位置に存在する隻龍山に独混第一旅団の旅団野戦司令部が置かれていた。景紀は、そこから高地頂上に移動して双眼鏡で北方を見つめながら呟く。
 二つの高地の周辺には、迷宮のように幾重もの塹壕が張り巡らされており、同時代的に見ればいささか以上に神経質な印象を受ける陣地が構築されている。
 その陣地の北側を流れる五道河の北岸に積もる白い雪の中に、黒く蠢く粒たちが見えた。斉軍は、五道河北岸の小王屯、沙河沿、頭河堡の三方向から海城に迫りつつあった。
 こちらを両翼包囲にて撃滅しようとしていることが一目で判る布陣である。



「はい、恐らく一万を越えるか越えないかといったところでしょう」

 同じく高地の頂上付近で双眼鏡を構えながら、貴通が同意する。
 旅団の戦力は輜重部隊や衛生部隊などの後方支援部隊も含めて約五〇〇〇。内、歩兵連隊は約二〇〇〇名の兵力があり、これに予備兵力および逆襲戦力としている騎兵連隊約一五〇〇名を加えれば、およそ三五〇〇名の将兵が前衛陣地に籠っていることになる(なお、砲兵大隊は約六〇〇名)。
 攻撃側は防御側の三倍の兵力が必要という軍事的原則に基づいて考えれば、一万前後の敵兵力であれば十分に対応可能であった。

「まあ、連中は俺たちの他に北側の第二軍も相手にしなけりゃならないからな。そんなに多くの兵を俺たちの方に振り向けられないか」

「図らずも、第二軍が斉軍の兵力を誘引することになったわけですね」

「ああ」

 会話をしつつ、二人は敵軍の観察を続ける。

「今日は敵龍兵の姿はなし、か……」

 午後に至るまで海城やその郊外に築いた独混第一旅団の陣地に敵龍兵は現れていなかった。皇国軍の軍龍に比べて体格的にも体力的にも劣る斉軍の翼龍は、昨日の酷使によって消耗してしまった可能性も考えられた。

「第六十四戦隊に伝達。攻撃隊を発進させて、敵部隊を攪乱せよ」

「はっ!」

 司令部付きの呪術兵が、直ちに通信を海城飛行場に展開する龍兵第六十四戦隊に飛ばす。
 加東正虎少佐の龍兵部隊は敵龍兵の来襲があった場合に防空戦闘を行う予定になっていたが、短距離短時間での飛行ならば凍傷の危険性が少ないということで、敵部隊に対する対地攻撃も余裕を見て行うこととなった。
 景紀は、その対地攻撃を命じたのである。
 すでに朝から翼龍は発進準備を整えており、程なくして甲高い翼龍の鳴き声と共に景紀の頭上を十二騎の翼龍が通過した。景紀や貴通ら将兵が、それを帽振れで見送る。
 やがて、五道河の北岸に迫りつつある斉軍の集団の中で爆発が連続する。龍兵の投下した爆弾が炸裂したのだ。
 だが、三方向から五道河の渡河を目指そうとしている斉軍に対しては、翼龍の数が不足していた。一定数を防空戦闘に備えて待機させなければならないため、対地攻撃に振り向けられる翼龍は十二騎が限度なのだ。
 そのため、三方向から南下を続ける斉軍は変わらずに前進を続けていた。

「あまり混乱の気配がないな」

「ええ、これまで僕らが相手にしていた斉軍とは別物と考えるべきでしょう」

「実際、連中は歩兵第八旅団を包囲して壊滅一歩手前にまで追い込んで、第二軍に後退を強いたっていう戦果を挙げている。油断してかかると、痛い目を見そうだ」

 これまで二人が遼東半島において戦ってきた斉軍は総じて戦意が低く、すぐに後退してしまう傾向にあった。しかし、この攻勢に参加している斉軍兵士たちは、そうした傾向が感じられなかった。
 投弾を終えた翼龍が再び隻龍山の上を通過する。再度の爆装が完了次第、そして翼龍と搭乗員の体力が続く限り、また出撃するだろう。

「敵軍、間もなく射撃開始線に差し掛かります」

 隻龍山頂上で砲隊鏡を覗き込んでいた観測手が告げる。

「宮崎大佐および永島少佐に伝令。敵が射撃開始線に到達次第、撃ち方始め」

 独混第一旅団に所属する独立野砲第一大隊には、十二門の十一年式七センチ野砲(皇暦八二九年である嘉応十一年正式採用)を装備している。この砲は「七糎」とされているが実際の口径は七十五ミリであり、有効射程三五〇〇メートルの、列強諸国でも最新鋭の鋼鉄製後装式旋条砲であった。
 歓喜山・隻龍山両高地に、永島惟茂少佐率いる独立野砲第一大隊は展開していた。
 有効射程三五〇〇メートルであるから、両高地から十分に五道河北岸を射程内に収めることが出来た。
 一方、前線陣地に拠る宮崎茂治郎大佐率いる独立歩兵第一連隊は、十三年式三十七粍歩兵砲を四門、装備している。こちらの砲の有効射程は一八〇〇メートル。前線陣地に配備されていたのは、そのためであった。
 さらに前線陣地には、騎兵第十八連隊に所属する騎砲兵中隊(騎兵砲四門を装備)の装備する十三年式三十七粍騎砲も加わっている。こちらは十三式歩兵砲の砲身を短くするなどして軽量化した砲であり、部品や砲弾の互換性はあるものの(なお、砲身など一部を除くほとんどの部品に関しては十一年式野砲とも互換性があった)、砲身が短いことによって有効射程は一五〇〇メートルほどでしかない。
 歩兵部隊に騎兵砲部隊を組む込むという措置は、単純に景紀が防衛に際して砲兵の集中運用を図ったためである。これにより、独混第一旅団の防衛陣地には主陣地に七十五ミリ野砲十二門、前衛陣地に三十七ミリ歩兵砲・騎兵砲八門を配備する布陣で海城防衛戦に臨もうとしていたのである(この他、機関銃の原型の一つともいえる多銃身砲を旅団は三十四門保有しており、内二十四門が前衛陣地に配備されていた)。
 そして、敵の隊列が旅団の設定した射撃開始線に差し掛かった瞬間、二〇門の砲が一斉に火を噴いた。
 高地の斜面から轟音が景紀たちの元に届き、陣地の各所で白煙が上がる。
 少しの間を置いて、五道河対岸で二十個の爆発が発生する。
 砲手たちが発射の反動で後退した砲車を元の位置に戻し、また砲弾を装填していく。
 この時代の列強諸国の砲は徐々に後装式旋条砲に置き換わりつつあるとはいえ(一番早かったのは秋津皇国とアルビオン連合王国。次がプルーゼン帝国。帝政フランクなどはこの三国よりも十五年以上遅れた)、それはあくまでも装填方式と射程に変化をもたらしたに過ぎなかった。
 依然として、一回の射撃に時間がかかることには変わりがない。
 砲兵に革命的な変化が訪れるのは、駐退復座機の実用化を待たねばならなかった。
 とはいえ、それでも日々の訓練の成果もあり、皇国軍の射撃速度は迅速といえた。対岸に次々と爆炎が上がる。
 だが、砲弾に仲間を吹き飛ばされながらも斉兵は前進を止めなかった。
 前衛陣地の中央ともいえる五道河南岸の後三里橋付近に、敵先鋒集団が差し掛かる。
 五道河は遼河と違い、川幅は二、三十メートル程度でしかない。橋については独混第一旅団が海城を占領した際、退却する斉軍によって焼き払われたままになっているので、彼らは凍り付くような冷たい河を渡河せざるを得ない。
 その河にも、木を組んで作った障害物が設置されているので、簡単には渡れない。渡り切ったとしても、川岸や前衛陣地前面には鉄条網が張り巡らされている。
 そんな五道河に、砲部隊をまったく随伴していない斉兵が、剣や矛を構えながら喊声を上げながら正面から突っ込んでいった。
 途端、塹壕の各地から黒色火薬の白煙が噴き上がり、さらには軽快な射撃音が連続する。
 三十年式歩兵銃と多銃身砲による銃撃が開始されたのだ。
 吶喊を開始した斉兵が次々と薙ぎ倒されていき、川面が瞬く間に赤く染まった。敵兵の死体が川下へと流れていく。
 後三里橋陣地は、十分にその威力発揮して敵兵の渡河を許さない。

「やっぱり、いけそうだな」

 双眼鏡で河の様子を見下ろしながら、景紀は少し冷徹とも言える声でそう呟いた。

「問題は、両翼の敵です」

 そして、貴通がその呟きに応じる。
 西側の小王屯、東側の頭河堡からも敵は迫ってきている。
 旅団前衛陣地は後三里橋を頂点とした半円形の形をしており、今、五道河の東西で渡河を行っている斉軍の渡河を直接に阻止すべき陣地は存在していなかった。
 これは、やむを得ないことであった。
 すべての渡河可能地点に兵を置くとなれば、当然に兵力を分散させる必要が生じてしまう。そうなれば、薄く広く兵力を展開することになり、敵に突破されやすくなる。そして、一度どこかの渡河点が突破されてしまえば、広く兵力を分散させている自軍は防衛のための戦力を素早く集結させることが出来ない。
 結果として、陣地が突破される。
 だからこそ、景紀は海城を中心とした半円形の陣地を二重に構築し、兵が広く分散しないような態勢を取っていた。渡河点については、一番重要な地点だけを守ることでお茶を濁していた。

「大丈夫だ。陣地外の除雪はしていない。連中の脚は鈍るはずだ」

 実際、海城周辺の積雪量は三十センチほどあり、足は脛の辺りまで埋まってしまう。しかも、敵兵は河を渡河したばかりで足を濡らしている。ほとんど足を凍らせながら進んでくるはずだ。
 当然、凍傷の危険性があるが、敵の砲火に晒されている下で焚き火をして暖を取ることも出来ない。そのまま皇国軍陣地に対して突撃するしかないのだ。
 実際、景紀の予想通りの展開となった。
 前衛陣地左翼の言堡子、右翼の前二台子に突撃を敢行しようとする斉兵の足は鈍く、小銃や多銃身砲の格好の的になってしまった。
 雪原に、次々と体を赤く染めた敵兵が埋まっていく。

「穂積大佐、何か意見はあるか?」

 旅団長の口調で、景紀が己の幕僚に問いかけた。

「この状況では特に。現状のまま戦闘が推移すればまず問題なく斉軍を撃退出来るでしょう。唯一、懸念すべき点があるとすれば弾薬の消費量ですが」

 陽鮮での戦闘を経験している貴通らしい言葉であった。

「来春以降のことは考えなくていい。そもそも、ここを抜けられたら直隷決戦も何もあったもんじゃない」

「了解しました。ただ、本日の戦闘が終わったら各隊に弾薬の消費量について報告を上げさせて下さい。今後の消費量を予測して、第三軍司令部に要請しておきますから」

「判った。各隊に伝達しておこう」

 結局、この日は夕刻までに斉軍は皇国軍前衛陣地を突破することは出来ず、徒に雪原に死体を積み上げるだけの結果に終わってしまった。
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