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第七章 対斉戦役編
128 斉軍大反攻
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皇暦八三五年十二月十六日に開始された、欽差大臣ホロンブセンゲ将軍による冬季大反攻は、実に総兵力二十五万という規模で行われた作戦であった。
開戦当時、直隷平野には都・燕京周辺に五万、天津に三万、山海関に三万、錦州に一万の計十二万の兵力が存在していた。ここに遼河西岸の田庄台を中心に展開する五万を加えた軍勢を、ホロンブセンゲは皇帝から与えられていた。
そこにさらに、オンリュート郡王である彼自身の率いる八旗軍約三万が加わり、ホロンブセンゲ軍は二十万という兵力を擁することが可能となったのである。
この他、現地の地方官たちが募集した義勇兵、傭兵たる勇軍なども戦闘に加わったため、実際の数はホロンブセンゲ自身も確認出来ないが、非正規兵も含めれば二十五万以上と見積もられていた。
とはいえ、ホロンブセンゲ一人で正規軍だけでも二十万もの数を誇る大軍を指揮することは出来ない。
この軍にはホロンブセンゲの副将でもある副都統ガハジャンといった彼直属の武将たちの他、勇将と名高い左芳慶提督(斉朝における提督とは、緑営の最高指揮官。斉朝に十二人存在する)といった漢人指揮官、遼河西岸地域の布政使(斉朝における地方官の一つ。こうした地方官は、有事の際には軍の指揮官も兼ねる)など、複数の指揮官が存在していた。
斉軍の正規軍たる八旗・緑営の部隊単位は「営」であり、一営は定数五〇〇人(実際には満たせていない部隊も多い)、騎兵営と歩兵営の二つが存在していた。皇国軍のように砲兵科や工兵科、輜重科といったその他の兵科は存在せず、歩兵営の中に大砲を操作する技能を持った兵が存在するだけで、営の中に配属されている長夫と称される者たちが工事や運搬を担当していた。
歩兵営の中で銃の保有率は六割に達していれば良い方であり、それも火縄銃や抬槍(二人以上で操作する大型火縄銃。射程は二〇〇〇メートルから四〇〇〇メートル程度であったが、命中精度は悪かった)といった銃が大半を占めていた。他は刀矛弓弩などで武装しており、その前近代性が目立っている。
それでも、ホロンブセンゲは反攻作戦の準備として、皇帝から借りることに成功した宮廷術師たちを用いて倭人の司令官に対して呪詛を仕掛け、さらに遼河東岸の倭軍陣地に対して瘴気を流し込むなどして、倭軍を混乱状態に落とし込もうとした。
幻影の術で自軍の行動を秘匿し、祈祷の術で天候不順を作り出して敵龍兵の動きを封じるなど、反攻作戦の奇襲効果を高める措置も合わせてとっている。
もっとも、騎馬民族出身の生粋の武人であるホロンブセンゲは、勝利のためとはいえ呪術師の力を借りなければならないことに、内心で忸怩たる思いを禁じ得なかった。彼自身は、呪術師たちを妖術の使い手と蔑視すらしていたという。
それでも武人である彼は、勝利のために使えるものはすべて使うという覚悟を以て、大斉帝国の有する人的資源を最大限活用して、遼東半島を奪還するための反攻作戦に臨んでいた。
ただし、作戦は発動直前になって修正を余儀なくされた。
倭人の軍による遼陽・盛京方面への冬季攻勢が始まり、歴代皇帝廟のある二都市が夷狄の攻撃に晒されたのである。このため、軍勢の一部を遼陽・盛京方面の救援に派遣する必要が生じてしまったのだ。
斉国の武人として歴代皇帝廟が夷狄に犯されるのを見過ごすわけにはいかず、政治的にもまた特に満洲・蒙古出身の八旗の兵士たちの士気の観点からも、これを放置するわけにはいかなかった。
そのため、ホロンブセンゲは遼河下流域を治めていた布政使・呉鉄生に彼自身の集めた勇軍および緑営合計八万の兵を預け、遼陽・盛京の救援に向かわせていた。この数字は皇国陸軍の第一、第二軍を合計した数とほぼ同数であったが、遼陽守備隊三万、盛京守備隊一万を合わせれば、兵力において皇国軍を圧倒することが出来るものであった。
反攻が開始されると、ホロンブセンゲは本営を置いていた遼河西岸の街・盤山から遼河(太子河。遼河が河口付近で二つに分かれた内の東側の支流)の川岸近くまで馬を進めた。
倭人の砲撃があるので危険だとする部下たちを押し止めてまで、彼は最前線で指揮を執ることに拘っていた。
遼河から立ち上る朝靄を破って、斉軍の大砲や火龍槍、抬槍が一斉に火を噴き、対岸の倭人陣地を打ち据えていく。
西洋列強や皇国から見ると骨董品同然の地面固定式青銅砲であるが、それでも鉄球や石球を六〇〇〇メートルも飛ばすことが出来る(有効射程は一五〇〇メートルから一八〇〇メートル程度であったが)。原始的ロケット砲である火龍槍は、倭人の陣地に火災を起こして混乱に陥れるだろう。
さらにホロンブセンゲは、この地に震天雷という爆弾を持ち込んでいた。
皇国では「てつはう」などという名で知られているこの中華式爆弾は七〇〇年近く前に当時の中華王朝で開発された兵器で、発明当初は火薬の製造技術の限界から大きな音で敵兵や馬を驚かせる程度のものでしかなかった。しかし、その後の綏朝時代になると火薬技術が進歩し、中に鉄菱を仕込んで音で敵を威嚇すると同時に周囲に鉄菱を撒き散らして敵兵を負傷させることが出来るようになっていた。
この震天雷を、ホロンブセンゲは禁衛軍の翼龍部隊を使って皇国軍陣地に投下させたのである。
「倭人どもは突然の攻撃に慌てふためいていることだろう。今のうちに、兵を渡河させよ」
遼河西岸の高地から戦場を見下ろしながら、ホロンブセンゲはそう命じた。
遼河東岸に倭人の軍勢が陣を張っている以上、必然的に川を渡る必要が出てくる。そのため、ホロンブセンゲは反攻作戦に当たって満洲や華北から沙船(黄河航行用の喫水の浅い船)や小舟をかき集めていた。
将軍の命令が全軍に伝わると、船に乗った兵士や馬が一斉に対岸の倭人陣地に向かい始めた。
すると、対岸から猛烈な防御射撃が開始される。
遼河の川幅は、三〇〇メートルから五〇〇メートル前後。その間、兵士を乗せた船は倭人の砲撃に晒されながら、船頭が必死に艪を漕いで対岸を目指していく。
不幸な沙船が敵弾の直撃を受け、乗っていた兵士や馬と共に木っ端微塵に砕けて冷たい川を流されていく。それでも、川を埋め尽くす勢いで船を漕ぎ出した斉軍は止まらない。ついには、斉軍は数の有利を活かして皇国軍の防御射撃を強引に押し切った。
「……」
ホロンブセンゲは、その様子を険しい表情と共に見ていた。
遼河対岸への渡河に成功したとはいえ、満洲を潤す大河の水面には死体となった兵士や破片となった船が無数に浮かんでいる。
如何に圧倒的な兵力を用意出来たとはいえ、この戦いが厳しいものとなることをホロンブセンゲは感じざるを得なかった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
皇国陸軍にとって幸運であったのは、ホロンブセンゲ軍が呪術通信の妨害まではしてこなかったことだろう。これは単純に、数十キロにわたる前線全域で瘴気を発生させることに斉側宮廷術師たちが忙殺され、呪術通信を妨害する余裕がなかったことが原因であった。
とはいえ、それで第三軍の陥りかけている危機的状況が改善されるわけでもなかった。
敵の兵力は明らかに第三軍のそれを凌駕しており、遼河沿いの防御陣地を維持するのが難しくなりつつあったのだ。
「第十四師団より報告によりますと、斉軍は遼河東岸に橋頭堡を築きつつある模様です。遼河を渡る敵兵の数も、徐々に数を増しています」
「人海戦術とは、厄介な……」
第三軍司令部には、緊迫した空気が流れていた。
十六日正午時点で、斉軍は営口、牛荘、鞍山、遼陽の四地点で大規模な反攻を開始していることが判明している。また、この戦争で初めて敵龍兵の存在が確認され、一時は皇帝親征の可能性も考えられたが、その点については捕虜情報などが得られていないため不明のままである。
このうち、鞍山、遼陽方面の敵については、一色公直大将率いる第二軍の担当なので、ひとまず考慮に入れなくていい。もちろん、第二軍が敗走すれば別であるが、今はそうしたことまで考えている余裕が司令部にはなかった。営口―牛荘間約三〇キロの戦線をどう維持するのかという目の前の問題について、意識を集中させる必要があったのだ。
「海城方面はどうだ?」
児島参謀長が問いかける。
「市街地が龍兵爆撃を受けたとの報告はありますが、郊外に築いた陣地に被害はないとのこと。また現在に至るまで、敵地上部隊の来襲は確認していないようです」
現状、第三軍の担当区域で敵軍の圧迫を受けているのは、遼河沿いの東部防衛線のみだ。海城を基点とする北部防衛線にまで、敵部隊は侵入していない。ある意味で、遼陽に向かった第二軍が、北部防衛線に向かうはずだった敵兵力を吸引してくれたともいえる。
つまり、第二軍の戦線が突破されない限り、北部防衛線は安全だ。
問題は、東部防衛線をいかに維持するかということであった。
原因不明の体調不良者が相次いだために、第十四師団は本来の戦力を発揮出来ていない。それでも、結城景紀が素早く手を回してくれた牛荘の第二十八旅団は持ち堪えている。危機的な状況に陥っているのは、営口を中心に展開し遼河防衛線南翼を担当している第二十七旅団の方であった。
現在、第二十七旅団は渡河してきた斉軍を河川陣地で押し止めることが出来ず、遼河川岸から牛荘―営口を繋ぐ街道上に築いた第二防衛線に後退して、斉軍のそれ以上の進撃を押し止めようとしていた。
第十四師団直轄の野砲兵第十四連隊(三個野砲兵大隊から成る)の内、二個大隊をこの方面に投入して、何とか防いでいる状況である(残りの一個大隊は牛荘方面に展開中)。
「その海城の独混第一旅団より、結城の若君御付きの術者を第十四師団の支援に回す許可を求める通信が入っておりますが?」
「何?」
結城景紀御付きの術者とは、あの白髪赤目の少女・葛葉冬花のことだ。陽鮮では、何度も爆裂術式を放って帯城倭館の防衛に貢献したという。
ある意味で、景紀にとっても虎の子であろう術者を、他部隊の支援に回してくれるというのだ。児島としては、断る理由もなかった。
「直ちに許可しろ。ただし、海城防衛に支障を来さぬ範囲で構わんと伝えろ」
葛葉冬花が霊力を消耗して、海城防衛戦が発生した際に使い物にならなくなっては困るので、この参謀長はそう付け加えるのを忘れなかった。
「さて、営口は危機的状況、牛荘はなおも勇戦敢闘……。難しいところだな」
児島は地図を見ながら唸った。
現状では、遼河防衛線を放棄して海城―蓋平間の街道上に設けた第三防衛線まで下がらせるのが最善であるように思える。そうでなければ、営口が斉軍に奪還された際、牛荘が第三軍の中で突出することになってしまうからだ。
だが、牛荘は遼河下流域最大の河川港である。ここを斉軍が奪い返した場合、彼らの補給が非常に容易になる。それを、皇国軍として許すわけにはいかなかった。
「海軍の河川砲艦は今、どこにいる?」
主君である有馬貞朋が、遼河流域の防衛のために海軍に派遣を要請した艦艇。それがあれば、遼河流域の守備は幾分か容易になる。葛葉冬花という、霊力の消耗次第では使い物にならなくなる不確定要素よりは、海軍艦艇の方がよほど戦力として安定している。
「現在、旅順にて補給中のはずです」
「急いで営口に回航するよう、海軍に要請しろ」
「しかし、冬の渤海湾は風浪が激しいため、営口回航にはなおも時間がかかると予測されますが」
「それでもないよりはマシだ。急ぎ、海軍の連絡官に回航を要請するんだ」
叩き付けるように児島が言うと、慌てた様子で伝令が作戦室から駆け出ていった。
とはいえ、遼東半島をぐるりと回って砲艦が遼河下流域に到達するまで、最短でも二日か三日はかかるだろう。となれば、葛葉冬花の霊力消耗なども考えると、営口は持ち堪えられない。
だが、早急な後退命令は逆に戦線の崩壊を早めかねない。
「栃木城の騎兵第一旅団に下令。大石橋まで進出し、別命あるまで待機」
児島は、後退によって生じるであろう混乱や後退してくる部隊の収容のために必要な措置を、まずは講ずることにした。
だが、彼の懸念していた戦線の崩壊は、思わぬところから始まった。
十六日一六〇〇時過ぎ。
血相を変えた呪術通信兵が、作戦室に飛び込んできたのだ。
「鞍山方面に展開中の歩兵第八旅団が、斉軍によって包囲された模様! 遼陽攻撃中の第二軍主力も、斉軍の反攻によって打撃を受け後退を開始した模様です」
それは、第三軍の戦線よりも先に、第二軍の戦線が崩壊しかかっていることを知らせる報告であった。
開戦当時、直隷平野には都・燕京周辺に五万、天津に三万、山海関に三万、錦州に一万の計十二万の兵力が存在していた。ここに遼河西岸の田庄台を中心に展開する五万を加えた軍勢を、ホロンブセンゲは皇帝から与えられていた。
そこにさらに、オンリュート郡王である彼自身の率いる八旗軍約三万が加わり、ホロンブセンゲ軍は二十万という兵力を擁することが可能となったのである。
この他、現地の地方官たちが募集した義勇兵、傭兵たる勇軍なども戦闘に加わったため、実際の数はホロンブセンゲ自身も確認出来ないが、非正規兵も含めれば二十五万以上と見積もられていた。
とはいえ、ホロンブセンゲ一人で正規軍だけでも二十万もの数を誇る大軍を指揮することは出来ない。
この軍にはホロンブセンゲの副将でもある副都統ガハジャンといった彼直属の武将たちの他、勇将と名高い左芳慶提督(斉朝における提督とは、緑営の最高指揮官。斉朝に十二人存在する)といった漢人指揮官、遼河西岸地域の布政使(斉朝における地方官の一つ。こうした地方官は、有事の際には軍の指揮官も兼ねる)など、複数の指揮官が存在していた。
斉軍の正規軍たる八旗・緑営の部隊単位は「営」であり、一営は定数五〇〇人(実際には満たせていない部隊も多い)、騎兵営と歩兵営の二つが存在していた。皇国軍のように砲兵科や工兵科、輜重科といったその他の兵科は存在せず、歩兵営の中に大砲を操作する技能を持った兵が存在するだけで、営の中に配属されている長夫と称される者たちが工事や運搬を担当していた。
歩兵営の中で銃の保有率は六割に達していれば良い方であり、それも火縄銃や抬槍(二人以上で操作する大型火縄銃。射程は二〇〇〇メートルから四〇〇〇メートル程度であったが、命中精度は悪かった)といった銃が大半を占めていた。他は刀矛弓弩などで武装しており、その前近代性が目立っている。
それでも、ホロンブセンゲは反攻作戦の準備として、皇帝から借りることに成功した宮廷術師たちを用いて倭人の司令官に対して呪詛を仕掛け、さらに遼河東岸の倭軍陣地に対して瘴気を流し込むなどして、倭軍を混乱状態に落とし込もうとした。
幻影の術で自軍の行動を秘匿し、祈祷の術で天候不順を作り出して敵龍兵の動きを封じるなど、反攻作戦の奇襲効果を高める措置も合わせてとっている。
もっとも、騎馬民族出身の生粋の武人であるホロンブセンゲは、勝利のためとはいえ呪術師の力を借りなければならないことに、内心で忸怩たる思いを禁じ得なかった。彼自身は、呪術師たちを妖術の使い手と蔑視すらしていたという。
それでも武人である彼は、勝利のために使えるものはすべて使うという覚悟を以て、大斉帝国の有する人的資源を最大限活用して、遼東半島を奪還するための反攻作戦に臨んでいた。
ただし、作戦は発動直前になって修正を余儀なくされた。
倭人の軍による遼陽・盛京方面への冬季攻勢が始まり、歴代皇帝廟のある二都市が夷狄の攻撃に晒されたのである。このため、軍勢の一部を遼陽・盛京方面の救援に派遣する必要が生じてしまったのだ。
斉国の武人として歴代皇帝廟が夷狄に犯されるのを見過ごすわけにはいかず、政治的にもまた特に満洲・蒙古出身の八旗の兵士たちの士気の観点からも、これを放置するわけにはいかなかった。
そのため、ホロンブセンゲは遼河下流域を治めていた布政使・呉鉄生に彼自身の集めた勇軍および緑営合計八万の兵を預け、遼陽・盛京の救援に向かわせていた。この数字は皇国陸軍の第一、第二軍を合計した数とほぼ同数であったが、遼陽守備隊三万、盛京守備隊一万を合わせれば、兵力において皇国軍を圧倒することが出来るものであった。
反攻が開始されると、ホロンブセンゲは本営を置いていた遼河西岸の街・盤山から遼河(太子河。遼河が河口付近で二つに分かれた内の東側の支流)の川岸近くまで馬を進めた。
倭人の砲撃があるので危険だとする部下たちを押し止めてまで、彼は最前線で指揮を執ることに拘っていた。
遼河から立ち上る朝靄を破って、斉軍の大砲や火龍槍、抬槍が一斉に火を噴き、対岸の倭人陣地を打ち据えていく。
西洋列強や皇国から見ると骨董品同然の地面固定式青銅砲であるが、それでも鉄球や石球を六〇〇〇メートルも飛ばすことが出来る(有効射程は一五〇〇メートルから一八〇〇メートル程度であったが)。原始的ロケット砲である火龍槍は、倭人の陣地に火災を起こして混乱に陥れるだろう。
さらにホロンブセンゲは、この地に震天雷という爆弾を持ち込んでいた。
皇国では「てつはう」などという名で知られているこの中華式爆弾は七〇〇年近く前に当時の中華王朝で開発された兵器で、発明当初は火薬の製造技術の限界から大きな音で敵兵や馬を驚かせる程度のものでしかなかった。しかし、その後の綏朝時代になると火薬技術が進歩し、中に鉄菱を仕込んで音で敵を威嚇すると同時に周囲に鉄菱を撒き散らして敵兵を負傷させることが出来るようになっていた。
この震天雷を、ホロンブセンゲは禁衛軍の翼龍部隊を使って皇国軍陣地に投下させたのである。
「倭人どもは突然の攻撃に慌てふためいていることだろう。今のうちに、兵を渡河させよ」
遼河西岸の高地から戦場を見下ろしながら、ホロンブセンゲはそう命じた。
遼河東岸に倭人の軍勢が陣を張っている以上、必然的に川を渡る必要が出てくる。そのため、ホロンブセンゲは反攻作戦に当たって満洲や華北から沙船(黄河航行用の喫水の浅い船)や小舟をかき集めていた。
将軍の命令が全軍に伝わると、船に乗った兵士や馬が一斉に対岸の倭人陣地に向かい始めた。
すると、対岸から猛烈な防御射撃が開始される。
遼河の川幅は、三〇〇メートルから五〇〇メートル前後。その間、兵士を乗せた船は倭人の砲撃に晒されながら、船頭が必死に艪を漕いで対岸を目指していく。
不幸な沙船が敵弾の直撃を受け、乗っていた兵士や馬と共に木っ端微塵に砕けて冷たい川を流されていく。それでも、川を埋め尽くす勢いで船を漕ぎ出した斉軍は止まらない。ついには、斉軍は数の有利を活かして皇国軍の防御射撃を強引に押し切った。
「……」
ホロンブセンゲは、その様子を険しい表情と共に見ていた。
遼河対岸への渡河に成功したとはいえ、満洲を潤す大河の水面には死体となった兵士や破片となった船が無数に浮かんでいる。
如何に圧倒的な兵力を用意出来たとはいえ、この戦いが厳しいものとなることをホロンブセンゲは感じざるを得なかった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
皇国陸軍にとって幸運であったのは、ホロンブセンゲ軍が呪術通信の妨害まではしてこなかったことだろう。これは単純に、数十キロにわたる前線全域で瘴気を発生させることに斉側宮廷術師たちが忙殺され、呪術通信を妨害する余裕がなかったことが原因であった。
とはいえ、それで第三軍の陥りかけている危機的状況が改善されるわけでもなかった。
敵の兵力は明らかに第三軍のそれを凌駕しており、遼河沿いの防御陣地を維持するのが難しくなりつつあったのだ。
「第十四師団より報告によりますと、斉軍は遼河東岸に橋頭堡を築きつつある模様です。遼河を渡る敵兵の数も、徐々に数を増しています」
「人海戦術とは、厄介な……」
第三軍司令部には、緊迫した空気が流れていた。
十六日正午時点で、斉軍は営口、牛荘、鞍山、遼陽の四地点で大規模な反攻を開始していることが判明している。また、この戦争で初めて敵龍兵の存在が確認され、一時は皇帝親征の可能性も考えられたが、その点については捕虜情報などが得られていないため不明のままである。
このうち、鞍山、遼陽方面の敵については、一色公直大将率いる第二軍の担当なので、ひとまず考慮に入れなくていい。もちろん、第二軍が敗走すれば別であるが、今はそうしたことまで考えている余裕が司令部にはなかった。営口―牛荘間約三〇キロの戦線をどう維持するのかという目の前の問題について、意識を集中させる必要があったのだ。
「海城方面はどうだ?」
児島参謀長が問いかける。
「市街地が龍兵爆撃を受けたとの報告はありますが、郊外に築いた陣地に被害はないとのこと。また現在に至るまで、敵地上部隊の来襲は確認していないようです」
現状、第三軍の担当区域で敵軍の圧迫を受けているのは、遼河沿いの東部防衛線のみだ。海城を基点とする北部防衛線にまで、敵部隊は侵入していない。ある意味で、遼陽に向かった第二軍が、北部防衛線に向かうはずだった敵兵力を吸引してくれたともいえる。
つまり、第二軍の戦線が突破されない限り、北部防衛線は安全だ。
問題は、東部防衛線をいかに維持するかということであった。
原因不明の体調不良者が相次いだために、第十四師団は本来の戦力を発揮出来ていない。それでも、結城景紀が素早く手を回してくれた牛荘の第二十八旅団は持ち堪えている。危機的な状況に陥っているのは、営口を中心に展開し遼河防衛線南翼を担当している第二十七旅団の方であった。
現在、第二十七旅団は渡河してきた斉軍を河川陣地で押し止めることが出来ず、遼河川岸から牛荘―営口を繋ぐ街道上に築いた第二防衛線に後退して、斉軍のそれ以上の進撃を押し止めようとしていた。
第十四師団直轄の野砲兵第十四連隊(三個野砲兵大隊から成る)の内、二個大隊をこの方面に投入して、何とか防いでいる状況である(残りの一個大隊は牛荘方面に展開中)。
「その海城の独混第一旅団より、結城の若君御付きの術者を第十四師団の支援に回す許可を求める通信が入っておりますが?」
「何?」
結城景紀御付きの術者とは、あの白髪赤目の少女・葛葉冬花のことだ。陽鮮では、何度も爆裂術式を放って帯城倭館の防衛に貢献したという。
ある意味で、景紀にとっても虎の子であろう術者を、他部隊の支援に回してくれるというのだ。児島としては、断る理由もなかった。
「直ちに許可しろ。ただし、海城防衛に支障を来さぬ範囲で構わんと伝えろ」
葛葉冬花が霊力を消耗して、海城防衛戦が発生した際に使い物にならなくなっては困るので、この参謀長はそう付け加えるのを忘れなかった。
「さて、営口は危機的状況、牛荘はなおも勇戦敢闘……。難しいところだな」
児島は地図を見ながら唸った。
現状では、遼河防衛線を放棄して海城―蓋平間の街道上に設けた第三防衛線まで下がらせるのが最善であるように思える。そうでなければ、営口が斉軍に奪還された際、牛荘が第三軍の中で突出することになってしまうからだ。
だが、牛荘は遼河下流域最大の河川港である。ここを斉軍が奪い返した場合、彼らの補給が非常に容易になる。それを、皇国軍として許すわけにはいかなかった。
「海軍の河川砲艦は今、どこにいる?」
主君である有馬貞朋が、遼河流域の防衛のために海軍に派遣を要請した艦艇。それがあれば、遼河流域の守備は幾分か容易になる。葛葉冬花という、霊力の消耗次第では使い物にならなくなる不確定要素よりは、海軍艦艇の方がよほど戦力として安定している。
「現在、旅順にて補給中のはずです」
「急いで営口に回航するよう、海軍に要請しろ」
「しかし、冬の渤海湾は風浪が激しいため、営口回航にはなおも時間がかかると予測されますが」
「それでもないよりはマシだ。急ぎ、海軍の連絡官に回航を要請するんだ」
叩き付けるように児島が言うと、慌てた様子で伝令が作戦室から駆け出ていった。
とはいえ、遼東半島をぐるりと回って砲艦が遼河下流域に到達するまで、最短でも二日か三日はかかるだろう。となれば、葛葉冬花の霊力消耗なども考えると、営口は持ち堪えられない。
だが、早急な後退命令は逆に戦線の崩壊を早めかねない。
「栃木城の騎兵第一旅団に下令。大石橋まで進出し、別命あるまで待機」
児島は、後退によって生じるであろう混乱や後退してくる部隊の収容のために必要な措置を、まずは講ずることにした。
だが、彼の懸念していた戦線の崩壊は、思わぬところから始まった。
十六日一六〇〇時過ぎ。
血相を変えた呪術通信兵が、作戦室に飛び込んできたのだ。
「鞍山方面に展開中の歩兵第八旅団が、斉軍によって包囲された模様! 遼陽攻撃中の第二軍主力も、斉軍の反攻によって打撃を受け後退を開始した模様です」
それは、第三軍の戦線よりも先に、第二軍の戦線が崩壊しかかっていることを知らせる報告であった。
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