MSJ開発頓挫、型式証明取得まであと一歩…甘い需要予測という不都合な真実

 三菱航空機のMRJ90(88席)は最大離陸重量39トンを超えていたので、スコープ・クローズ条項の重量制限に抵触してアメリカでは飛べない機体だった。しかし、三菱航空機は同制限は緩和されるものと固く信じてMRJ90の開発を続けた。緩和されると信じた根拠は、2000年の同時多発テロによる旅客需要急減に対応するためリージョナルジェットの活用が約2.5倍に急拡大し、この際にスコープ・クローズ制限が50席から76席に緩和されたことだった。76席から90席までの制限緩和も自然な流れと考えていたのだが、これは一方的な思い込みであった。

 世界的なパイロット不足は、もともと強かったアメリカのパイロット組合をより強い立場にし、ましてや雇用の安定に関して何のメリットもないスコープ・クローズ制限緩和は労使交渉の場で俎上にすら載せられなかった模様である。

 三菱航空機もスコープ・クローズ制限緩和がないことを悟り、2018年にはMRJ90の開発後に米国向けにMRJ70(76席)を製造し型式証明を取得する方針を打ち出した。2019年6月にはMRJの名称を、「三菱スペースジェット(MSJ)」に改称し、MRJ90を「スペースジェット M90」と改め、またMRJ70をベースに米国市場に対応できる「スペースジェット M100」(76席~88席)を外国人技術者を中心に設計し開発することを宣言した。この「スペースジェット M100」は、米国向けであると同時に日本向けにも使用可能であった。

 したがって「タラレバ」ではあるが、三菱航空機が開発の初期段階から外国人技術者を招聘し、かつ米国でのスコープ・クローズ制限緩和を当てにせずにMRJ90ではなく「スペースジェット M100」(76席~88席)で開発を始めていたならば、型式証明も一度で済み開発遅延も小さく型式証明に行き着けたのではないか。この点は惜しまれる。

スペースジェット開発で得た知見と財産、北米で進む三菱のMRO事業

 MSJの型式証明取得作業は3900時間の試験飛行を含め8合目まで進行したものの、開発費がかかりすぎ無念の撤退となった。逆にいえば、型式証明取得のノウハウを8割方獲得したことは大きな財産といえる。一方で三菱重工はスペースジェットの整備・保守を北米で行う目的でCRJの型式証明を含む知的財産と施設設備を購入したのだが、これが今や大きな財産となっている。三菱重工の100%子会社であるMHIRJアビエーショングループ(MHIRJ、本社:カナダケベック州ミラベル)は米国に3カ所の整備基地を持ち、MRO(整備・保守・オーバーホール)事業者として北米の地域航空会社のリージョナルジェットCRJの運航を支えている。さらに、このMRO事業に資本を投下しリージョナルジェットの整備だけではなく対象を小型の狭胴機(単通路機)A220にまで広げようとしている。このMRO事業では米国連邦航空局(FAA)、多くの航空会社、航空機・部品メーカーとの折衝が必要であり、三菱重工は不足していた航空業界の多くのノウハウと知見を学ぶことができる。

 不幸にしてMSJの開発は失敗に終わったが、その教訓を糧にすると共に型式証明取得のノウハウ、三菱重工の100%子会社MHIRJが北米で展開するMRO事業から得られるノウハウと経験値が、次世代の航空機開発に活かされることを期待したい。

(文=橋本安男/航空宇宙評論家、元桜美林大学航空・マネジメント学群客員教授)