1993年にJリーグが開幕して32年目を迎えている。創設当初の10クラブの1クラブ当たり平均営業収益(売上高)は30億円程度だったが、2019年度にヴィッセル神戸が、そして2023年度に浦和レッズの売上高は100億円を突破。現在のJ1クラブの平均売上高は50億円と着実に成長している。
ところが、2019年7月にJ1・鹿島アントラーズの株式61.6%がわずか16億円で取引されるというショッキングな出来事があった。かつての親会社・日本製鉄が保有していた発行済株式の72.5パーセントのうち、61.6%をメルカリが買い取ったわけだが、サッカー界では「さすがに安すぎるのではないか」という声が上がった。
その印象をより強めたのが、今年9月のJ3・大宮アルディージャの経営権譲渡だろう。長年、クラブ運営に携わってきたNTT東日本はオーストリアの飲料メーカー・レッドブルに株式100%を売却。その金額は非公表ながら約3億円といわれており、「東京都内のタワーマンションが買えるくらいの金額」といった感想も聞こえてきた。
2018年3月~2022年4月の4年間、Jリーグ専務理事を務めていたJ2・ファジアーノ岡山オーナーの木村正明氏は「クラブの企業価値を算定する方法論が確立されていない」と問題意識を強めたという。
そしてJリーグを離れて約1年が経過した2023年6月、東京大学先端科学技術研究センター特任教授に就任。岡山を立ち上げる前にゴールドマンサックス役員だった経験も踏まえ、学術的な視点からスポーツの価値を解明すべく、本格的な研究をスタートさせた。
木村氏がまず着目したのは、過去のJリーグクラブ売買時の取引価格だ。2018年にサイバーエージェントが当時J2の町田ゼルビア、2021年にミクシィがJ1・FC東京の経営権を取得した際、額面価格と買収株価は1株5万円だった。
Jリーグ発足時から額面価格は変わっていないため、このような金額でやり取りされたのだ。一方、前述の鹿島の場合は、純資産をベースに取引価格が決められたもようだ。
このように日本では、取引価格の算定基準が定まっていない現状を踏まえ、木村氏らスタッフは、80本超の英語の論文・文献を1年かけて読み込み、欧米のクラブ価値基準がどうなっているかを調査した。
たとえばイングランドでは、1992年にプレミアリーグが発足したが、当時の選手年俸は低く、1994年時点での欧州最高年俸選手がドイツ代表のスーパースター、ローター・マテウス(当時バイエルン・ミュンヘン)の5000万円と言われる程度だった。
1990年代に1986年メキシコワールドカップ(W杯)得点王の元イングランド代表FWゲーリー・リネカーが名古屋グランパス、1990年イタリアW杯得点王の元イタリア代表FWサルヴァトーレ・スキラッチがジュビロ磐田に赴くなど、欧州で活躍した超有名選手が続々とJリーグに参戦していたのも、欧州での安すぎる年俸が背景にあったのだ。
しかし、欧州ではその後、「クラブの価値を可視化し、選手の市場価値を明確にしなければならない」という機運が高まり、放映権料の高騰も相まってクラブの価値がグングン上昇していく。
顕著な例が2003年のロシアの富豪・ロマン・アブラモビッチ氏によるイングランドの名門・チェルシーの買収だろう。当時の買収金額は約230億円だったが、2022年の売却価格は6800億円に膨れ上がった。
アメリカの場合は、4大スポーツと言われるメジャーリーグ(MLB)、バスケットボール(NBA)、アメリカンフットボール(NFL)、アイスホッケー(NHL)のクラブはほとんど黒字になっていない。彼らが重視しているのはインカムゲイン(投資資産保有で得られる収入)ではなく、キャピタルゲイン(保有資産売却差益)なのだ。