谷:紳助さん自身が若いときに新人コンテストに出て、わけのわからんヤツに審査されて、えらそうに言われて、落とされた経験があったのですね。なんでお前が漫才のことを言えるんだ、みたいな気持ちがあったと思います。
楠木:M-1は定着して、優勝すると、国民的なニュースとしてわっと知られるようになっています。今から見ると、テレビ的によくできたコンテンツで、途中のドラマとか、去年はどうだったとか、いろいろなストーリーを乗っけて楽しめます。
それでも、テレビの人たちは最初、テレビに合わないと思ったわけですよね。もっとドラマ仕立てにしたり、ドキュメンタリーで、親が死にそうな人はいないか、とか。当時の状況を考えると、いろいろなハードルを越える必要があったと思いますが、それでも「M-1はこういうものだ」というコンセプトは貫いているところに感心しました。
谷:とりあえず漫才を盛り上げるためには、漫才を見てもらわないといけないけれど、コーナーの1つとしてお茶を濁す程度に20、30分やるだけでは、漫才のおもしろさが1個も出てこない。ガチンコで漫才師が漫才をやるのがおもしろいので、それを番組にしてほしいんだと。
ただ、テレビマンとしては、そんな名もない若手の漫才師で、しかも漫才をやるだけではおもしろくないし、視聴率がとれない。正常な判断だと思うんですけどね。
楠木:これまでのお仕事の経験からテレビ側の立場もわかるけれど、初めに決めたコンセプトをぶらさなかった。僕はいろいろな商売を傍から観察しているだけですが、目先の反応でコンセプトを崩したり、ブレたりすると、結局ダメになる。それが成功するプロジェクトの共通点だと思います。
ところで、紳助さんは本当に考えが深い方で、M-1の裏テーマは、才能のない人を諦めさせることにあるという考えですね。そこも深いと思いました。
谷:かなりきつい言葉ですけれどね。芸能界は何年かいると、やはり居心地がよいのでしょう。舞台に立って、自分の言ったことで1000人くらいのお客さんが一斉に笑うのは、ものすごい快感らしいんですよ。売れていない人でも笑いをとった経験があって、仲間と「今日のお客は重いな」と、自分もいっぱしの芸人になった気がする。漫才師としての収入はほとんどなくて、アルバイトをしながら、続けている人が多かったわけです。
しかし、年をとっていくと、ほんまに使ってもらえなくなるのです。ジリ貧になって、どうしようもなくてやめる。ところが、そこから第二の人生を始めるには遅い。20代でやめていたら、何とかなったけれども、30代まで引っ張ると、本当にダメで。プロとして1回戦、2回戦で落ちるようなヤツはもうやめさせようと。
楠木:それで実際にやめていった人も出てきたのでしょうか。
谷:直接ではなかったかもしれないけれど、やめた人もたくさんいましたね。
楠木:ここまでM-1が長く続くことについて、当時はたぶん誰も意図してなかった、もう1つの機能があるように思っています。今でもバラエティ番組や、漫才の形式をとらないお笑いコンテンツはたくさんあって、そちらに流れる傾向がある。