東京ヤクルトスワローズ 髙津流マネジメント2024

苦しい状況から抜け出せなかった前半戦
不振の山田、村上を、髙津監督はどう見ているか

不振にあえぐ山田哲人に伝えたこと

――チーム全体で取り組むべきことがある一方、それでも現有戦力で戦っていくことが監督の役割でもあります。日々、どのようなことを意識しているのか、苦労している点はどんなことなのか。この点はいかがですか?

髙津 苦労という点では「人が足りないな」というのがいちばんです。二軍で好成績を残している選手もいるし、「一軍で試してみたいな」と思う選手もいます。ただ、やみくもに一軍に上げてしまうと、二軍の試合が成り立たなくなってしまうというケースもあります。かつて僕が二軍監督だったときにも、そういうケースがありました。怪我人が増えると起こりうるスワローズの問題点だと思います。

――今季、山田哲人、村上宗隆両選手もなかなか波に乗れない成績が続いています。キャプテン、そして四番である両選手についてはどのように見ていますか?

髙津 キャンプ期間中、哲人は期する思いがあったのでしょう。非常に熱心に練習を続けてきたのに、開幕早々に離脱を余儀なくされ、その後ももう一度離脱を経験しました。今は試合に出ているけれど、その中でなかなか結果に結びついていないのが現状です。ムネ(村上)は、開幕直後は「今年はやってくれそうだ」という思いもあったけれど、一度調子を落としてしまった後、なかなかそこから抜け出せなかった。2人とも、技術面、コンディション面で、それぞれ悩んでいるのが伝わってきています。

――その際に監督としては、どのように接するのですか?

髙津 あれだけの選手ですから、僕から技術的なアドバイスをすることはありません。ただ、哲人に関しては、「こういうことに取り組んでみたら?」とコンディション面での話をしたことはあります。あまり具体的には言えないけど、なかなか調子を取り戻せないときって、肉体的にきちんと使い切れていないというか、眠っている部分があることが多い。そこを刺激する、起こしてあげることはすごく重要だ。そんな話はしました。

――それは監督自身、現役時代に体験したことを話したんですか?

髙津 僕自身の経験を押しつけるつもりはないし、それを受け入れるかどうかは本人次第だけど、何かの参考になるかもしれないという思いで話はしました。

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プロフィール

髙津臣吾
髙津臣吾

1968年広島県生まれ。東京ヤクルトスワローズ監督。広島工業高校卒業後、亜細亜大学に進学。90年ドラフト3位でスワローズに入団。93年ストッパーに転向し、20セーブを挙げチームの日本一に貢献。その後、4度の最優秀救援投手に輝く。2004年シカゴ・ホワイトソックスへ移籍、クローザーを務める。開幕から24試合連続無失点を続け、「ミスターゼロ」のニックネームでファンを熱狂させた。日本プロ野球、メジャーリーグ、韓国プロ野球、台湾プロ野球を経験した初の日本人選手。14年スワローズ一軍投手コーチに就任。15年セ・リーグ優勝。17年に2軍監督に就任、2020年より現職。

著書

明るく楽しく、強いチームをつくるために僕が考えてきたこと

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髙津臣吾 /
2021年、20年ぶりの日本一へとチームを導いた東京ヤクルトスワローズ髙津臣吾監...
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