皆さんは、ドーピングという言葉をご存じだろうか?
言葉の詳しい意味をわかっていない人でも、スポーツの経験や、オリンピックなどを通して、耳にしたことはあるのではないだろうか。
ドーピングとは「スポーツにおいて禁止されている物質や方法によって競技能力を高め、意図的に自分だけが優位に立ち、勝利を得ようとする行為」のこと。
要は、自分が勝つために、禁止されている薬物を使用したり、他の競技者と比較してフェアではない活動をしたりすることだ。スポーツマンシップに反する行為のため、禁止しているスポーツ団体、組織がほとんどだ。
しかし、ドーピングが嫌われ、禁止されている理由はこれだけではない。
ドーピングの脅威は、ドーピングをした本人側にも及ぶ。
ドーピングには、筋肉増強や疲労感低減、競争心向上などの効果が得られるというメリットがある一方で、心血管疾患などの発症、ホルモンバランスの乱れ、また判断力低下などの副作用を引き起こすデメリットがある。
そう、ドーピングを行うと一時的に能力が向上する代わりに、身体へ高い負荷がかかるのだ。
ドーピングの危険性を例えるなら、焚火にガソリンをぶっかけるようなものだ。
文字通り爆発的な燃え盛りを見せるが、炎の出元である木材や設備は、急激な爆発に耐えきれず、すぐに燃え尽き痛んでしまうだろう。
一時的な能力向上が望める反面、持続性がない。それがドーピングの最も忌むべき点である。
そんなドーピングだが、肉体面だけではなく、精神面に使われるドーピングが存在する。
今回は絶対にそれをお勧めしない理由を解説したい。
世の中には、タイトルマッチと呼ばれる戦いが存在する。格闘家から将棋棋士の世界まで、幅広く存在する勝負の概念だ。これは、「勝った方がタイトルを手にする」ことを前提に行われる勝負のことで、代表的なものでは将棋がイメージしやすい。
将棋の世界では、8つのタイトルがある。それぞれ、タイトルを手にすると竜王・名人・王位・叡王・王座・棋王・王将・棋聖と呼ばれる。
記憶に新しい出来事としては、2023年10月11日、藤井聡太氏が21歳2カ月にして、全てのタイトルを冠した。つまり、この時点で藤井竜王であり藤井名人であり、藤井棋王であり……なのである。驚異的な肩書の多さである。1つ増えていてもギリギリ気づかない気すらしてきた。
そんな藤井氏は、各タイトル戦前に記者から意気込みについて聞かれる時、冷静な面持ちで殊勝かつ丁寧なコメントをすることが多い。
その際、対戦相手への印象や分析についてはさまざまな角度から言及する一方で、自身の在り方について話す時の内容は、常に淡々としており大きく変化していないように見受けられる。
例を挙げると、先ほどの藤井氏が全タイトルを手にした日、京都市のホテルで行われた将棋の王座戦五番勝負第4局で、永瀬拓矢前王座を激闘の末に破り、史上初の八冠制覇という快挙を成し遂げた藤井聡太八冠は、記者からの「追われる立場になったことで戦い方は変わるか?」という問いにこう答えた。
「将棋は盤を挟んでしまえば、立場の違いは全くないので、これまでと変わらない気持ちでいいのかなと思う」
八冠を制した上でもこの心持ち、まさに八冠の器と誰もが納得するコメントであった。
私だったら「いえーい!」と叫んで勝利に浮かれつつも、追われる立場となったことへのプレッシャーを想像して顔を真っ青にしていただろう。
しかし、スポーツなどの勝負の世界に広く目を向けると、圧倒的な実績や強さを持つ人たちは、藤井氏と同じような質問をされると皆共通して「これまでと変わらない」「いつも通り」といった主旨のコメントを残しているように思う。
つまり、圧倒的な実績や強さを持つ人たちは、目の前の勝負や活動に、都度特別な思い入れを持っていないのだ。むしろ、継続性や持続性、普段の平常心を重宝し意識しているように感じられる。
これはなぜか?