筆者が今回、テレビ関係者たちへの聞き取りを行ったところ、ネット配信でスピンオフなどの制作もするのが当たり前のような時代に入って、地上波のテレビドラマの制作現場はますます悲惨な状況になっているという声を数多く聞きました。極端にいえば、月曜に台本が届き、火・水に収録して、木・金で編集や音声調節をして土曜には放送する、というような「自転車操業」が蔓延(まんえん)していて、制作現場に余裕がないと口を揃えます。そうなってしまうと脚本の修正をめぐって原作者の側と、ドラマ制作をする脚本家や制作スタッフとの間で丁寧なやりとりをすることはますます困難になってしまいます。
日本テレビの報告書のなかにも出てきた番組の制作期間や準備期間の「時間のなさ」が背景には大きく横たわっています。ドラマの制作においても、Netflixなどの国際的な配信事業者が潤沢な予算や制作期間などでゆとりを見せるのに対して、国内のテレビ局や映画会社などは時間的にも予算的にも逼迫(ひっぱく)しつつあるといわれています。民間放送の収入構造がますます厳しくなるなか、どのようにして時間的な余裕や金銭的な余裕をつくっていけばいいのでしょうか。そんな大きな課題があるなかで起きたのが『セクシー田中さん』の問題でした。原作者が持つ「世界観」を尊重しながら、どのように映像作品をつくっていくのかという課題は、これからも大きな宿題としてテレビ界と出版界の間に今も残されているといえます。
(文=Business Journal編集部、協力=水島宏明/上智大学教授)