3月14日に「こけら落とし試合」が行われたエスコンフィールド北海道(北海道北広島市)。同日の試合こそ日本ハムは西武に1‐3で敗れたものの、翌日には2‐1で勝利して新本拠地初勝利を挙げた。新球場構想から約7年が経ち、ようやく開業にこぎつけたわけだが、ここに至るまでには多くの紆余曲折があった。本稿では新球場構想から建設地選定までのいきさつを振り返りたい。
新球場の構想が浮上したのは2016年頃。球団がこれまで本拠地としていた札幌ドーム(札幌市)から本拠地を移転し、新しい球場を含めた「ボールパーク」を整備するという計画だ。札幌ドームは札幌市の第三セクター、株式会社札幌ドームの運営で、札幌市が株式の55%を出資。イベントや試合が行われる際などに発生する売上等がそのまま株式会社札幌ドームの収入となる契約を結んでいる。球場の使用料は1日あたり約800万円ともいわれ、球団にとって「足かせ」になっていたに違いなく、16年には使用料が値上げされた。そうなれば球団側が「移転しよう」と考えるのは当然といえば当然の話だろう。
その後、新球場の候補地として(1)札幌市豊平区にある学校法人八紘(はっこう)学園が所有する土地と、隣にある旧道立産業共進会場(現在のブランチ札幌月寒)の一体的な活用、(2)札幌市北区にある北海道大学構内の一部、(3)札幌市南区にある道立真駒内公園の3つの候補地が浮上した。北広島市も市内にある「きたひろしま総合運動公園」予定地を活用した案を提示。開業見込みがずれ込んだJRの新駅の開設もJR北海道に申し入れている。
4案を検討したところ、次の事項が課題として挙げられた。まず八紘学園案と北大構内は「拡張性がない」(球団幹部)点や、北大構内では何より学生への影響も考慮しなければならなかった。それと、八紘学園の敷地は13ヘクタール、北大構内の敷地も10ヘクタールと球団が求めている土地の広さ(約20ヘクタール)より小さく、面積が足りないという課題があった。真駒内公園案は環境への配慮を前提としており、大規模開発が不可能であることや、地元住民からは反対意見も噴出。交渉はなかなかうまく進まなかった。北広島案は球場へのアクセスが課題で、札幌からどのようにしてこれまでのファンを呼べるかが懸念された。
その後、数々の協議を経た後にこれらの4案が検討され、最終的に新球場の建設地は真駒内公園案と北広島案に絞られた。札幌市と北広島市は北海道にそれぞれ支援を要請し、球場の誘致に躍起になった。道は18年3月16日、両市に対する支援策を発表した。それぞれの策を見ていこう。札幌市に対しては、真駒内公園内にある競技場「真駒内セキスイハイムスタジアム」取り壊しへの一部負担と、真駒内公園の使用料の一部免除を示した。その一方、北広島市に対しては、建設候補地周辺の道路拡幅や整備の支援、JR千歳線の輸送力強化に向けての協力を提案。検討が続けられた。
そして同年3月26日、日本ハムは「新球場建設構想における候補地を北海道北広島市の『きたひろしま総合運動公園』とし、新球場の基本設計及び事業としての実現可能性の検証等、建設に向けた具体的な取組みを進めることを決議」したと発表した。ここで数年を費やした候補地選定が決着。建設地は北広島市に内定したことになり、同年11月には球団側が北広島での新球場建設を正式発表しており、それから球場の建設が進められ、今年3月の開業に至っている。