それに基づき、同社は本業である海運事業の競争力をさらに引き上げようとし始めた。その一つの戦略に液化天然ガス(LNG)輸送能力強化が掲げられた。近年、エネルギー源としての天然ガスの重要性は一段と高まっている。他のエネルギー資源に比べ、天然ガスは燃焼時の温室効果ガス排出量が少ない。そのため、主要先進国だけでなく新興国でも、天然ガスの需要は増えると予想される。上乗せするようにして、ウクライナ紛争によって、ドイツなど欧州各国はパイプライン「ノルドストリーム1」を通してロシアから天然ガスを調達することができなくなった。ドイツは急速にLNGの受け入れ体制を整備しはじめ、2022年12月には同国初の受け入れ基地が操業を開始した。ロシアからの天然ガス供給の途絶に対応しつつ、安定したエネルギー供給のために、欧州やわが国、アジア新興国などで、液化天然ガスの受け入れ体制は強化されるだろう。長期的にLNG運搬船の需要は高まる可能性が高い。
日本郵船にとってLNGの運搬体制を強化することの重要性はさらに高まるだろう。LNGの運搬契約は10年単位の長期的なものが多いといわれている。短期の需要変動に左右されやすいコンテナ船事業に比べ、LNG運搬体制の強化は収益の安定性向上につながる。将来の業績の予見性も高まるだろう。それは日本郵船が長期の視点で事業戦略を立案し、より成長期待の高い分野に経営資源を再配分していくために欠かせない。2026年度までに日本郵船はLNG輸送体制強化のために3,000億円を投じる計画だ。
日本郵船は脱炭素に関する取り組みも強化する。特に、船舶燃料の脱炭素は喫緊の課題だ。具体的な取り組みとして、日本郵船は、既存のタンカーの燃費効率の向上に加え、アンモニアやメタノールを用いた船舶運用技術の実用化を急いでいる。なかでも、グリーンな(再生可能エネルギーを用いるなどして二酸化炭素を排出せずに生産された)燃料の利用が急がれている。
世界の企業にとって、脱炭素への取り組み強化は、社会の公器としての責任を果たすために必須の要素だ。また、足許では半導体など先端分野での米中対立、中国の成長鈍化懸念、ウクライナ紛争など地政学リスクの高まり、インドの急速な経済成長などを背景に、世界全体で供給網の再編が激化している。世界の企業にとって、脱炭素に対応した海運サービスを活用し、より安定、かつ強靭な供給網を確立することの重要性は急速、かつ一段と高まっている。船舶運航の脱炭素を早期に実現できれば、日本郵船は長期にわたって顧客企業とウィンウィンの関係を強化できるだろう。
ただ、そうした取り組みは一筋縄にはいかない。特に、3月上旬以降、米国やスイスで銀行の経営不安が高まった。一方、現在の世界経済では全体としてインフレ圧力は高止まりしている。過去の調整局面と異なり、FRBやECBなどは金融を引き締めてインフレ鎮静化に取り組みつつ、金融システムの安定と過度な景気の落ち込みに配慮しなければならない。金融政策のかじ取りの難しさは一段と高まっている。今すぐではないにせよ、世界全体で金融市場と実体経済の不安定感は高まり、日本郵船の収益性が鈍化する恐れは増している。
そうしたリスクに対応するために、日本郵船はコンテナ船運営事業の効率化も急がなければならない。内外のIT先端企業などと連携し、省人化やターミナル運営の自動化が目指されるだろう。それは、コンテナ事業の固定費の圧縮に資す。また、世界経済の先行き不透明感が高まるに伴い、世界的に株価は下押しされやすくなる。それは日本郵船がコストを抑えて成長分野での買収戦略を実施する重要な機会になるはずだ。同社は2026年度までに総額1.2兆円規模の投資を計画している。先行き不透明感高まる中、同社がリスク管理を徹底しつつスピーティーに投資を実行し、競合他社に対する優位性を発揮することが求められる。
(文=真壁昭夫/多摩大学特別招聘教授)