元首相で自民党副総裁、麻生太郎氏が2021年の1年間で、高級寿司店や高級クラブなどへの支出も含め計664万円を政治資金から「会合」費として処理していたと11日付「日刊ゲンダイ」記事が報じ、議論を呼んでいるが、その麻生氏の発言が今、再び物議を醸している――。
「キチンとした教育はもう小学校までで十分じゃないかと。中学まで義務にする必要あんのかと」
「大人になってから因数分解使った人なんか1人もいませんよ」
「サイン、コサイン、タンジェントなんて言われても、何のことだかまったく残っていないと思うね。1回も使ったことがないと思う。それが必要かね? 義務として」
これは2020年9月に学校法人・角川ドワンゴ学園 N高等学校にて行われた講演において、麻生氏が発言した内容である。当時、この発言はさまざまなメディアで取り上げられ、氏への非難が殺到した。そして昨年11月、麻生氏の件の発言を問題視したあるツイートが1万いいねを獲得し、再びこの発言をめぐる議論が再燃している。
そこで今回は、再びネット上で物議を醸した麻生氏の発言は、どんな問題をはらんでいるのか、また、義務教育の年数を引き下げることでメリットやデメリットは生じるのか、教育行政学者である千葉工業大学・准教授の福嶋尚子氏に聞いた。
まず福嶋氏は義務教育がどんなものなのか改めて振り返る必要があると語る。
「現在は学校教育法をもとに義務教育は9年と定められているわけですが、重要なのは義務を負っている主体が誰なのかということです。教育を受ける子どもたちが負っているわけではなく、憲法上義務を直接に負っているのは国民(保護者)、ひいては国です。しかし、麻生氏は義務教育が本来持つ意味を履き違えており、『子どもが憲法上の義務として勉強するもの』という認識で話されていたのではないでしょうか。これでは保護者、ひいては国が子どもたちに保障しなければならない教育のチャンスを、『どうせ学校で学んだ内容なんて使わないのだしやめていいのでは?』と切り捨てていると受け取れてしまいます。国政を担う政治家がする発言としては、かなり乱暴な印象を受けますね」(福嶋氏)
では、麻生氏が語った「大人になってから因数分解使った人なんか1人もいませんよ」という発言に代表される、一部学習の不要論に関してはどうか。
「数学に限らず、教科学習の実用性を子どもたち自身ではなく国が判断していいのか、ということについてははなはだ疑問ですね。義務教育で大事なのは理解する力、判断する力を養うこと。仮に社会に出てからその知識を使わなかったとしても、授業のなかで考えたり学んだりした経験は、社会との向き合い方に活きてくるはずなので、それらが無駄だとはまったく思えません」(同)
講演のなかで、「日本はもともと義務教育の水準が高く、アメリカの同年代と比べても遜色はない」といった趣旨の発言もしていた麻生氏。しかし、福嶋氏は教育水準が高いから義務教育を引き下げてもよいという主張は暴論だという。
「3年に1度行われる国際的な学習到達度調査『PISA』の結果が、世界における日本の子どもたちの学力水準を計る参考になるでしょう。同調査は『科学的リテラシー』『数学的リテラシー』『読解力』の3分野で計られます。最新の2018年の調査によると、全参加国中、日本は『科学的リテラシー』5位、『数学的リテラシー』6位、『読解力』15位で、科学的リテラシーと数学的リテラシーは『安定的に世界トップレベルを維持している』とOECDは分析しています。