知られざる「味の素」の実像…海外売上比率58%、超グローバル企業の卓越経営

 ABFの開発は1970年代までさかのぼる。味の素はアミノ酸という有機化合物の研究で得られたノウハウを食以外の分野に応用することを目指した。その一つが、半導体の基板に用いられる絶縁材だった。もともと半導体基板の絶縁材にはインク状の素材が用いられた。具体的には基盤の穴にインクを流し込み、研磨して絶縁をほどこした。新規参入を目指す味の素はフィルム状の絶縁材の製造技術を実現し、差別化を図った。その結果、半導体メーカーは、インクを充填・研磨する工程を省略することが可能になった。

 ABFはチップの生産性向上に寄与し、需要は急拡大した。台湾積体電路製造(TSMC)や米インテルなどの主要半導体メーカーにとってABFの重要性は一段と高まっている。現在、スマホやパソコン需要の減少、世界的な景気後退の懸念の高まりによって半導体市況は調整しているが、その後も世界経済のデジタル化は加速するだろう。ネット業界ではウェブ2.0からウェブ3.0へのシフトが加速し、拡張現実(AR)など新しいデジタル技術の実装が目指される。クラウドコンピューティング利用やビッグデータの保存と分析のためのより高性能なデータセンタの設営も増えるだろう。5G、さらに高速な通信技術の実現のためにも半導体の性能向上が欠かせない。そのためには、より微細かつ純度の高い絶縁材料のニーズが高まる。

 そうした展開が想定されるなか、味の素のABFは確固たる競争力を築いている。裏返しに、味の素ファインテクノはABFの生産能力を前倒しで引き上げる。2025年度にかけてABFの出荷数量は年率18%と高い伸びで推移すると予想されている。

注目されるアミノ酸の基礎研究強化と新しい利用

 今後、味の素はアミノ酸の新しい利用法を目指し、研究開発体制をさらに強化するだろう。それは味の素の食と高付加価値のデジタル部材事業の加速度的な成長に大きく影響する。まず、食の分野では世界全体で健康の増進を目指す人が増える。日本では物価上昇によって消費者の節約志向が強まっている。その状況下にあっても、小売企業が手掛ける健康志向のプライベートブランド商品への需要は高まっている。コロナ禍の発生によって免疫の向上など健康に気を配る人は一段と増えた。そうした社会のニーズに対応するために、うま味に加えて、睡眠の向上や疲労回復を助けるアミノ酸の利用方法の確立が求められる。基礎研究の強化は欠かせない。

 食以外の事業運営に関しても、アミノ酸の基礎研究の強化が今後の展開に大きく影響すると予想される。2022年9月、半導体などの部材メーカーであるJSRと味の素はバイオ医薬品分野での協業を発表した。それは、味の素にとって新しい素材開発のきっかけになる可能性を持つ。JSRにとっても味の素のもつアミノ酸関連の知見を活かすことによって収益の多角化が進むかもしれない。このように味の素は、強みであるアミノ酸の研究開発を進め、業種の異なる企業との協業強化を目指すことによって、より多くの利害関係者とウィン・ウィンの関係を目指すことができるはずだ。

 過去の事業運営のヒストリーを振り返ると、味の素のトップはアミノ酸に関する基礎研究の積み重ねとその利用技術を強化することが、成長の源泉であるとしっかり認識してきた。その上でより成長期待の高い分野での事業運営体制を強化する考えが次世代に引き継がれ、メルシャンやカルピスは売却された。経営陣は食と健康、ABFの成長を加速させるためのアミノ酸利用技術の向上に一段と集中している。

 同社は資産売却などをさらに進める方針だ。成功体験に固執せず、常に新しい取り組みを進めなければならないという経営陣の決意はこれまでにまして強いといえる。同社の今後の事業運営は、多くの日本企業が自社の強みをしっかりと認識し、ビジネスモデルの変革を進めるうえで示唆に富むものとなるだろう。

(文=真壁昭夫/多摩大学特別招聘教授)