今年9月6日、Twitterで明治大学准教授の森川嘉一郎氏が呟いた「漂白される秋葉原」という投稿が1万「いいね」を集めるなど注目を集めている。
往時の秋葉原の街並みといえば、ゲームやアニメの女の子キャラなどが描かれた派手な看板が乱立し、良い意味での混沌とした活気で満ち満ちていたはず。しかし、当該ツイートに添付された秋葉原の街並みを写した写真には、真っ白な空き看板がいくつも確認でき、森川氏はそれをもって「漂白」と表現しているのだが、実に言い得て妙だと納得させられる。
引用リツイートなどでは「秋葉原ももう終わりなのか」「どんどんオフィス街に変わろうとしている気がする」など、世界に誇るオタクカルチャーの発信地だった秋葉原の変化を憂える意見も散見された。
そこで今回は、東京23区をさまざまな角度から調査・分析している、一般社団法人・東京23区研究所所長である池田利道氏に、秋葉原という街の特徴や、秋葉原が今どのような変貌を遂げているのかについて解説していただこう。
まず、秋葉原がどんな変遷をたどってきたのかを確認しておこう。
「今でこそオタクの街のイメージが強いですが、江戸時代から続く神田青果市場が1928年に移転してきて以来、青果市場のある街として栄えていました。ですが、第二次世界大戦後、今のJR小川町駅のそばに東京電機大学があったこともあり、神田から秋葉原の一帯には軍払い下げの電気部品や電線などを販売する露天商が集まるようになり、街は毛色を変えていきます。
その後、1949年にGHQにより『露店撤廃令』が出され、これらの露天商は秋葉原駅の高架下に集まり、秋葉原は電気街として発展していきます。高度経済成長期に白物家電ブームが訪れると、表通りは大型の家電販売店、裏通りは従来通りの専門部品店という、二重構造を持つ電気街として発展しました」(池田氏)
そんな秋葉原、どのようにしてゲームやアニメといったサブカルの聖地としてのオタクの街へと変貌していったのか。
「1990年代にバブル経済が崩壊すると、家電の販売は低迷していきますが、これに代わってパソコンの需要が拡大します。パソコン専門店が次々とオープンし、秋葉原はパソコンの街へと姿を変えました。そして当時のパソコンユーザーの中心需要はゲームであり、ゲームソフト販売店が秋葉原に集まるようになります。それに合わせてゲーム関連グッズ販売店も増え、そこからフィギュア、アニメ関連グッズに拡大。そしてAKB48の劇場が2005年に誕生した頃には、秋葉原はゲームやアニメファンが多く集まるオタクの街の様相を呈するようになりました」(同)
そんな秋葉原が今、漂白されているとネット上で囁かれているわけだが、池田氏はいう。
「当該ツイートの写真だけで『秋葉原がオタクの街ではなくなった』と言い切るのは難しいですが、確かに2000年代と比べると変化が顕著になったのは感じます。主な要因は1990年代から加速した再開発の波でしょう。先にご説明した青果市場が1990年に大田区へ移転したことで土地が空き、行政による再開発が一気に進みました。日本における再開発はスクラップ&ビルド型が席巻しており、長年培われてきたその街らしさを、文字通り根底から破壊・無視するようなことが多いんです。ですから、かつての青果市場周辺に高層ビルが立ち並んだことは、秋葉原の水面に石を投げ込んだようなもので、この波紋は徐々に広がっていきました」(同)