キリンは独自に開発した「プラズマ乳酸菌」を日本コカ・コーラに提供する。それはキリンにとって非常に大きな成果だ。近年、キリンは医療・健康関連企業としての成長を目指して事業改革を強化し続けている。その成果が徐々に発現している。キリンは医療・健康関連分野での成長加速のために、さらなる取り組みを増やすべき局面を迎えたと考えられる。
キリンはビールメーカーとしてビジネスモデルを確立し、成長を遂げた。特に「ラガービール」のヒットは同社の収益獲得に決定的に重要な役割を果たした。しかし、1997年にアサヒの「スーパードライ」は、ラガーを上回るシェアを確保した。それ以降、2014年頃までキリンは事業運営の効率性を高めることが難しかった。国内のビール需要が減少する環境下、キリンはミャンマーなど海外でのビール事業の強化を急いだが、想定された成果を上げるには至らなかった。
収益力向上を目指して、キリンはプラズマ乳酸菌など健康や医療分野への選択と集中を進めた。現在のキリンをビールメーカーとしてみることは適切ではない。飲料分野でライバルだった企業は、キリンにとっての顧客に、そして事業運営上の重要なパートナーに変わり始めている。日本コカ・コーラに対するプラズマ乳酸菌の提供はそれを象徴する。
キリンは日本を代表するビールメーカーとして成長を遂げた。特に、ラガービールのヒットはキリンの成長に決定的に重要な役割を果たした。しかし、1997年(年度)以降、キリンを取り巻く事業環境は急速に厳しさを増した。
最も大きかったのは、稼ぎ頭のラガービールがスーパードライにトップシェアを奪われたことだ。様々な分野での競争に当てはまることだが、追われる立場は、追いかける立場よりも厳しい。1987年に発売が開始されたアサヒのスーパードライは、キリンのラガービールとは異なる、鮮烈な体験をビール愛好家に与えた。それがヒットしてスーパードライの売り上げは増え、1997年にはラガービールから国内トップビールブランドの地位を奪った。その一方でキリンはラガービールに代わる稼ぎ頭のブランドを育成できなかった。
また、1997年は日本の資産バブル(株式と不動産のバブル)崩壊の後始末がより深刻化した年でもある。1997年11月以降、北海道拓殖銀行や当時国内第4位の証券会社であった山一證券が破綻した。1998年には大手銀行の日本長期信用銀行や日本債券信用銀行が破綻した。金融システム不安の顕在化、深刻化によって日本の景気は長期の停滞に陥った。経済環境は徐々にデフレ傾向が鮮明となり、個人消費は伸び悩んだ。それはビール消費に大きなマイナスの影響を与えた一つの要因だ。国税庁の『令和4年3月 酒のしおり』によると、1994年度に国内のビール課税移出数量(出荷数量)はピークを付けた。1999年度には、酒類全体の出荷数量がピークに達した。ビール需要の減少は鮮明だ。
そうした要因を背景に、キリンの成長期待は低下した。2000年から2013年頃まで、キリンの株価はほぼ横ばい圏で推移した。キリンは収益源の多角化を目指してオーストラリアの乳業事業を買収した。しかし、ビール事業とのシナジー効果は低く収益増大は難しかった。その一方で、アサヒはスーパードライのヒットによって得られた資金を用いて海外ビールメーカーなどを買収した。アサヒの成長期待は高まり、キリンと対照的に株価は上昇した。
キリンは新しい収益源を手に入れるために医療・健康分野での事業運営体制を強化している。特に、2007年に協和発酵工業(現・協和キリン)を買収したことは大きい。それによってキリンはプラズマ乳酸菌など私たちの健康や疾病リスクの低減に貢献する商品の研究、開発、販売体制を強化した。2014年に協和キリンは英国の中堅製薬会社だったアルキメデスファーマを買収した。協和キリンはがん治療薬事業を拡充し、欧州での医薬品の販売体制も強化した。2019年にキリンは、協和キリンから協和発酵バイオ株式の95%を取得して医療・健康分野での成長加速を狙っている。