米国にパナソニック ホールディングスが5500億円を投じて電気自動車(EV)バッテリー工場を建設する。同社はテスラをはじめとする米自動車メーカーに対する車載バッテリー供給力を引き上げる。それによって、同社は中国の車載バッテリー世界最大手、寧徳時代新能源科技(CATL)や韓国のLGエナジーソリューションなどとのシェア格差を縮小しなければならない。車載バッテリー産業では素材分野から日本企業が強みを維持している。日本経済にとって今回の対米直接投資の意味は大きい。
問われるのは、パナソニック経営陣の覚悟だ。1990年代以降、パナソニックは選択と集中を徹底することが難しかったと考えられる。稼ぎ頭となる事業の育成が遅れた。他方で、海外ではグローバル化によって国際分業が加速した。2018年以降はグローバル化が徐々に脱グローバル化した。ウクライナ危機によって、脱グローバル化は鮮明だ。その中で、韓国のLGグループは電池事業のIPOを実現して成長戦略を強化した。より多くの企業が強みを発揮できる分野に集中している。パナソニックは今回の投資発表をきっかけに選択と集中を徹底して進めるべきだ。それが中長期的な業績に与える影響は大きい。
1970年代以降の株価推移をみると、パナソニックの事業運営のヒストリーは日本経済の変化と一致している。1970年代から1990年の年初にバブルが崩壊するまで同社の株価は上昇した。その間、日本経済は一時「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と称されるほど、高い成長を遂げた。パナソニック(かつての松下電器産業)はテレビや照明機器などの生産体制を強化し、国際競争力を発揮した。パナソニックは住宅やディスプレイ分野にも進出し、事業は多角化した。同社は、商品の設計開発から生産、販売、メンテナンスまでを自己完結した。
しかし、1990年代に入ると、パナソニックを取り巻く事業環境が激変した。ポイントは、稼ぎ頭を育成できなかったことだ。まず、冷戦終結とともにグローバル化が加速した。世界経済全体で国境のハードルが下がった。企業の事業運営の効率性は高まった。世界全体で経済成長率が上向くと同時に、物価が上がりづらくなった。中国は鉄鋼などの重厚長大分野で海外企業の直接投資を受け入れ工業化を進めた。韓国や台湾では政府の強い支援の下で半導体や家電産業が急成長した。自由貿易協定(FTA)などに関する協議も加速した。国際分業は加速した。米国ではアップルなどが製品の設計・開発などソフトウェア分野に集中した。台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業などが生産を受託し、急成長を遂げた。国際分業体制の確立により世界の消費者は、より安く、より満足できる家電製品やスマートフォンを手に入れられるようになった。
その結果、パナソニックは競争力を失った。国際分業が加速する一方で、同社が事業運営の発想を根本から変えることは難しかった。さらに世界経済のデジタル化が加速した。パナソニックが環境の変化に対応することは、より難しくなった。国内ではバブル崩壊によって需要が停滞した。国内経済の縮小均衡にもかかわらず、パナソニックはガラパゴス化した携帯電話(フィーチャーフォン)の生産を続けた。それは発想の転換がいかに難しかったかを示す一つの事例だ。
1990年代後半から2000年9月まで、米国のITバブルの膨張に引っ張られて、パナソニックの株価は上昇した。しかし、リーマンショック後、株価は伸び悩んだ。現在の株価水準は1990年年初の水準を下回っている。依然として同社が収益の柱を確立することは難しい。経営陣はその状況に危機感を強めた。国内では複数回にわたってリストラが実行されている。