また、高い治療効果が期待できるパイプライン治療薬(承認を得ていない開発中の新薬候補)を持つ企業の買収も急増した。まさに、経営体力がモノをいう時代を迎えた。その結果として、一部の製薬メーカーが巨大化し、市場は寡占化した。2018年にわが国では、武田薬品工業がアイルランドのシャイアーを約460億ポンド(当時の邦貨換算額で約6.8兆円)で買収した。それは、成長期待の高い海外市場でトップクラスのバイオ医薬品メーカーとしての地位を確立するためだった。
ただし、買収をテコにした事業規模拡大戦略で持続的な成長を目指すことは容易ではない。買収によって手に入れた新薬候補の効果が当局に認められないと、収益を得ることは難しい。景気が悪化して株価が下落し、巨額の減損が発生する恐れもある。高いリスクを抱えたまま研究開発から生産、販売までを自己完結したビジネスモデルを維持することは容易ではない。特に、スタートアップ企業の場合、研究開発を加速させつつ生産体制を確立する負担は大きい。
そうした課題を解決するために、バイオ医薬品分野で国際分業が加速している。研究開発と生産を切り離したほうが、企業は強みを持つ分野に集中できる。つまり、事業運営の効率性が高まる。そうした変化に対応して、富士フイルムは微生物の培養施設を拡大するなどして受託製造体制を強化している。伝統的な経済学の理論では市場では各企業が完全競争のもとで事業を運営することが前提とされてきた。しかし、実際は違う。相応のリスクを負担しつつ健康への欲求という需要を満たすために、他の企業と協力して分業体制を強化する企業が増えている。
そうした環境変化を富士フイルムは成長加速のチャンスにしようとしている。今後の注目点は、設備投資の積み増しだ。受託製造事業の強化には、細胞増殖のための培養槽の増強はいうまでもなく、少量から大量生産まで柔軟に顧客ニーズに対応する組織体制の整備が欠かせない。
2022年1月に米Ataraから細胞治療薬の製造拠点を取得したように、富士フイルムでは受託製造能力強化のための買収も増えるだろう。そうした取り組みを他の企業を上回るスピードと規模でしっかりと実行していくことが、富士フイルムのバイオ医薬品受託製造ビジネスの成長に欠かせない。
求められるのは、経営陣の覚悟だ。世界経済全体でインフレ圧力によって短期を中心に金利が上昇している。米中対立の先鋭化など、事業運営の不確定要素も増える。他方で、韓国のサムスングループなどがバイオ医薬品の受託製造事業を強化し、世界トップのシェアを手に入れようとしている。半導体部材メーカーなど異業種からの参入も増えるだろう。富士フイルムは設備投資の手綱を緩めることはできない。委託先の企業からより必要とされるために受託製造体制の徹底強化は不可避である。
それによく似た事例が、リーマンショック後の世界の半導体産業で起きた。インテルと台湾積体電路製造(TSMC)の競争だ。ポイントは、TSMCの経営陣が半導体の受託製造分野における総合力を磨いたことだ。インテルは設計開発から生産、販売までを自社完結することにこだわった。それに対して、TSMCはチップの回路線幅を小さくする微細化技術を徹底して強化し、アップルなどインテルの顧客を奪取した。バイオ医薬品分野でも、それに似た動きが鮮明となるだろう。
そうした変化を成長加速につなげるべく、富士フイルムはバイオ医薬品の受託製造事業分野での設備投資を、よりスピーディーに、より大規模に実行するはずだ。それに加えて、富士フイルムには写真フイルムや半導体などの超高純度部材の分野で培ってきた製造技術がある。設備投資を強化しつつ既存の製造技術をバイオ医薬品事業とよりダイナミックに結合することによって、同社は世界トップのバイオ医薬品受託製造企業としての地位を目指すだろう。
(文=真壁昭夫/多摩大学特別招聘教授)