ジョブ型雇用社会が、女性職業差別や正規雇用(正社員)と非正規雇用(有期・パート・派遣労働)の格差、大企業と零細中小企業の格差を解決するキーワードとして注目されている。
今まで日本企業の雇用は職種別採用(ジョブ型採用)ではなく、学校卒業時に職種を限定せずに入社する「就社」が一般的だった。もちろん、新聞社やテレビ局で報道の仕事を希望するとか、海外でセールスエンジニアとして活躍したい、という仕事のイメージを持って会社を選ぶことも多かった。しかし、一般企業に入ってしまえば、あまり希望職種に関わりなく職場に配属され、キャリアアップしていくのが一般的である。
ところが、ジョブ型雇用社会では、企業が社員を雇用するとき、あらかじめ職務を明確に定める職種型雇用が一般的となる。そうなれば、そのジョブに関わる労働者の遂行能力こそが問題となる。雇用形態がどうか、性別がどうか、といった問題は基本的に解消されることになるのだ。職種によっては、能力があれば大企業か中小企業かに関係なく、賃金上の格差は解消されることもある。
しかし、日本ではジョブ型雇用でも基本は企業と労働者個人との雇用契約であり、建前では対等といっても、企業優位の力関係は依然として残る。欧米では職種ごとの労働組合があり、労働者はそこに所属して、立場を企業と対等へと強めるのだ。
日本では、入社後に会社の労働組合に加入する企業別組合が一般的であるが、ジョブ型雇用社会になると、労使関係に変化が起きる可能性がある。欧米型の職能組合のように、企業を超えた地域単位の労働組合の存在価値が高まるかもしれないのだ。
ただ、これから大学入試に取り組む若者にとっては、ジョブ型雇用社会において日本の学歴社会はどう変わっていくのか、という点こそ気がかりであろう。
半世紀以上も前に、ソニーの創立者の一人である盛田昭夫氏の『学歴無用論』(文藝春秋/1966年発表)がベストセラーになった。当時の日本社会において年功序列型雇用の前提となっていた、学歴を尊重する企業風土に異を唱えたのである。それは圧倒的に多い、高学歴でない大衆に歓迎された。その後、多くの企業では年齢と学歴に応じて賃金額と賃金上昇比率が規定され、勤続年数に伴って基本賃金が上昇する年功賃金システムを基本的に温存しつつ、能力給を組み入れて能力主義を拡充していったのだ。
ジョブ型雇用社会では、その職種における能力で評価されるのが原則であるから、本来は高学歴かどうかなど関係ないはずである。そのため、ジョブ型雇用が一般的になれば、学歴はたいして意味を持たなくなる。企業も人も、基本的に学歴よりジョブの能力で判断されるのだから、当然といえば当然である。こうして、半世紀以上前の「学歴無用論」は実現するはずだったのだ。
しかし、その後「学歴無用論」は世の中の主流にはならず、進学率が高まるにつれて、むしろ学力偏差値で人を評価する高学歴志向の世の中になったように思われる。
ジョブ型雇用が社会に広がっても、企業が学生を採用するときに「能力・スキルの指標として学歴が重要になる」大学での学びや活動を重視するので、それが主因となって、新たな学歴社会を招くという見方も有力だ。
仮にそんな時代が到来すれば、受験生の大学選びは、今のような学力偏差値重視の「その大学に入れるかどうか」という基準では、その学歴が重視されなくなる可能性がある。「どこの大学の学生か」より、「その大学で身につけた専門知識や能力・スキルが評価されるようになる可能性が高い」からだ。