康次郎の死後10年を経た1974(昭和49)年、義明はようやく積極的なリゾート開発を展開する。
義明の開発手法は、山間の僻地に安価で広大な土地を購入して、そこでスキー場、ゴルフ場、リゾートホテルなどの巨大な総合リゾート開発を行い、安かった土地に付加価値をつけて含み資産を増大させるというもので、北海道富良野市のリゾート開発等がその典型事例である。
1980年代には、各県の知事・市町村長が地方活性化の切り札として「第二の富良野」を目指し、義明の下に相次いで陳情した。義明は「地元が全員一致で誘致を要請しなければ進出しない」という徹底した姿勢で、これを選別していった。すべてが義明の一言で、しかも即断即決で決められた。巨額の富を背景にした専制君主、義明は一躍「リゾート王」として世間の評判を呼んだ。
義明は政財界をはじめ、あらゆる分野で強い影響力を持ち、早稲田大学の所沢移転にもかかわっていたという。また、スポーツ分野にも造詣が深く、傘下にアイスホッケーチームとプロ野球団を持ち、JOC(日本オリンピック委員会)会長に就任して長野冬季オリンピックの誘致にも尽力した。
1987(昭和62)年、アメリカ「フォーブス」誌は「世界の長者番付」特集記事において、義明を世界一の資産家と報じた。しかし、義明は個人財産をほとんど持っておらず、その試算は誤りだといわれている。
康次郎は、徹底した堤家の資産保持と節税対策を施してからこの世を去った。巧妙な経理操作で、創業以来、国土計画と西武鉄道は法人税を払ったことがなく、その節税システムは「芸術的」と評された。また、康次郎は企業支配・所有にも異様なまでの執念を発揮し、大量の名義株を使って、堤家が西武鉄道グループを実質的に支配するいびつな株式所有構造になっていた。
ところが、2004(平成16)年に西武鉄道の監査役が、名義を偽装した大量の株式が存在し、それらを合計すると、筆頭株主のコクドの所有株式が80%を超えることを明らかにした。東京証券取引所の上場廃止基準に抵触する数字である。
この告発を受け、虚偽記載の記者会見を行った義明は、「私には西武鉄道が上場廃止しなければならない理由がわからない」と発言。堤一族の支配方式を顧みれば、義明の発言には矛盾がない。しかし、当然、その発言には株主をはじめ多方面から非難の声が浴びせられた。
そして、東京証券取引所は西武鉄道の上場廃止を決定した。この騒動で西武鉄道株式の資産価値は激減し、筆頭株主のコクドは債務超過の危機に陥った。
主力銀行のみずほコーポレート銀行(現 みずほ銀行)は、副頭取・後藤高志を西武鉄道の社長に派遣、西武鉄道グループの解体・再編を進めた。一方、義明は2005(平成17)年に証券取引法違反容疑で逮捕・起訴され、身動きが取れない状況にあり、後藤案を承認するしかなかった。
西武鉄道とプリンスホテルは経営統合し、持株会社・西武ホールディングスとなった。それまでの西武鉄道グループは土地開発が主体であったが、この統合により鉄道会社がメインとなり、今般ホテル事業が売却され、鉄道会社に純化していく。やっと、世間の認識と組織の実態が一致することになったのである。
(文=菊地浩之)
●菊地浩之(きくち・ひろゆき)
経営史学者・系図研究家。1963年、北海道札幌市に生まれる。小学6年生の時に「系図マニア」となり、勉強そっちのけで系図に没頭。1982年に國學院大學経済学部に進学、歴史系サークルに入り浸る。1986年に同大同学部を卒業、ソフトウェア会社に入社。2005年、『企業集団の形成と解体』で國學院大學から経済学博士号を授与される。著者に、『日本の15大財閥 現代企業のルーツをひもとく』(平凡社新書、2009年)、『三井・三菱・住友・芙蓉・三和・一勧 日本の六大企業集団』(角川選書、2017年)、『織田家臣団の系図』(角川新書、2019年)、『日本のエリート家系 100家の系図を繋げてみました』(パブリック・ブレイン、2021年)など多数。