F15戦闘機行方不明事故に見る、自衛隊広報戦略の変化…マスコミ敵視から融和へ

 自衛隊関係者によると、この記事の取材、掲載にあたっては、海自内部で激論が交わされたという。当時を知る自衛隊関係者は言う。

「記事の趣旨が『転落からの復活』です。確かに、2士官は無罪判決となりました。しかし、国民2人が事故で亡くなっています。だから、その後日談にわざわざ『2士官の復活、活躍』を広く伝える必要性はないとの理由で、丁重にお断りしました」

 こうして一旦は、記事化が避けられたかにみえた。だが、一部隊員たち、とりわけ元あたご乗員らは、これに納得しなかった。元あたご乗員は次のように語る。

「事故直後から今までいわれのないバッシングを受けた。やっと2士官に無罪判決が出ても、なぜ我々は正しいこと、真実を語れないのか」

 こうした元あたご乗員らの声を受けて動いたのが、日刊ゲンダイで記事を執筆した経済ジャーナリストで本サイト執筆陣のひとりである秋山謙一郎氏と、日刊ゲンダイのO記者とされる。記事に署名のある秋山氏に聞いた。

「事故とは起きてしまうものです。その後、無罪判決を得ても、なお名誉が回復されない現状は好ましくはないと考え、2士官の取材を海上自衛隊にお願いした次第です」

 だが、自衛隊側からの返答は「ノー」。それでも元あたご乗員らは「2士官の声を広く外に伝えてほしい」と海自当局、そして“敵”である日刊ゲンダイ側にも要望した。

かつての苦い経験から広報巧者へと成長した自衛隊

 日刊ゲンダイ取材陣は、とりわけ元あたご乗員らから「この事故を世間に正しく伝えられるのは(元)航海長しかいない」というリクエストを受け再度、海自当局に強くインタビュー実現を申し込んだ。前出の自衛隊関係者は言う。

「日刊ゲンダイ側の強いリクエスト、元あたご乗員らの声を受けて、当時の海上幕僚監部広報室の報道主任、U2佐が奔走。最終的には海上幕僚長にまで掛け合ったと聞く」

 それでも結果は、「海自として取材受けはノー」という結論そのものは覆らなかった。しかし同時に奇妙な補足が海自上層部からなされたという。

「日刊ゲンダイ側が元航海長に取材を強行した場合、その際のやり取りについては、言論の自由に照らして海自として何も言わない。また言ってはいけない領域だ――」

 組織としてはノー。上層部個人としては黙認。ゆえに組織としてはOK。こうした形で元航海長の紙面登場が実現したというのである。記事を執筆した秋山氏は、「古い話で、もう忘れました。記事に書いたことがすべてです」と、詳細を語ることは避ける。だが、次のように心境を述べた。

「願わくば、あの原稿で元あたご乗員らが事故直後、世に伝えたかったことが広く世に正しく伝わってほしい。ただそれだけです」

 これ以上を語らなかった秋山氏だが、複数の自衛隊関係者らによると当時、日刊ゲンダイがこの連載で海自側にリクエストした取材は、この護衛艦『あたご』の元2士官の近況のほか、次のようなテーマだったという。

「元特別警備隊長、3P提督と呼ばれて。文春砲に反撃開始」

「痴漢冤罪事件、冤罪が晴れるまで。当事者となった現役幹部自衛官その後」

 これら日刊ゲンダイ側のリクエストに海自側は、やはり「協力できない」旨を決定したという。その理由は、痴漢冤罪事件の当事者となった幹部自衛官については、「痴漢被害者もまた国民のひとり。いくら冤罪だったとはいえ、国民を守る立場の自衛官が紙面に登場、その後の活躍の紹介と同時に、『冤罪でした』とマスコミが伝えることは、当の痴漢被害にあった女性、即ち、守るべき国民を苦しめることになる」としている。

 しかし、女性問題について写真入りで「週刊文春」(文藝春秋社)に報じられた元特別警備隊長については、「言論の自由。民間マスコミの取材について海自はとやかく言う立場にない」と、意外にも自衛隊内部からも日刊ゲンダイ側に援護射撃がなされたといわれている。そこでは、「大いに書いてもらえ」との声まであったという。