自衛官といえど人である。自らと自らの組織を理解しない者相手に不愛想な応対となるのもまた人情だろう。
そうした背景もあってか、その発足から長らく、自衛隊の広報といえば「ぶっきらぼう」「態度悪い」といった悪評が国民の間では通り相場という時代がバブル期くらいまで続いた。自衛隊への理解が国民の間で遅々として進まず、その組織がともすれば危険視されていたピークはバブル期だろう。
実体なき好景気に沸いたこの時期、世に仕事はいくらでもあった。フリーターという言葉も出てきた。イベント設営・撤収といったガテン系バイトの日給は、当時を知る人によると最低でも1万円、時には3万円を超えることもあったという。日給2万円の仕事を10日もすれば20万円という計算だ。月に20日も働けば、月収は30万円を超えたと話す。
対して自衛官は24時間勤務、決まった居住地に住み、自由がない。任務は過酷で厳しい。月給はフリーターにも劣る始末だ。バブル期真っ只中の1988年当時、高卒で入隊した人は、「初任給は手取りで13万円くらいだった」と、往時を振り返る。職業への誇りは給与の多寡で決まるものではないが、それでも給与ひとつとっても自衛官たちは、自身と自らが属する組織に誇りを持てなかった。
国民全体が自衛隊を軽んじ、自衛官たちがそれに耐えていた時、ちょうどバブルの好景気に国民全体が浮かれていた時期に起きたのが、「潜水艦なだしお遊漁船第一富士丸衝突事件」、世にいう「なだしお事故」だ。
今日、この事故に関しては、メディア側による検証もなく一方的に自衛隊側が悪いとされたケースとして、自衛隊・報道の両関係者の間で認識されている。なだしお乗員が救助活動を行わず、ただ溺れる遊漁船乗客を見ていた、といった報道がそれである。
事故後、なだしおの艦長は世論からの激しいバッシングに晒され、禁固2年6カ月執行猶予4年の判決に伴い失職。失意の中で自衛隊を去った。関係者によると、自衛隊に残った艦長以外の元乗員らは、“元なだしお乗員”とのレッテルを貼られ、他の勤務先に異動後も白眼視され肩身の狭い思いをするだけでなく、昇進できず昇給もないといった不利益に晒され続けたといわれている。直接、事故とは関係のないセクションで勤務した者ですら、そうだった。すべて世論への配慮だったという。
自衛隊憎しの世相が、こうした誤報も是とする。その風潮は2008年の「護衛艦あたご漁船清徳丸衝突事件」、すなわち「護衛艦あたご事故」まで続く。自衛隊を取り巻く状況、国民の見る目、メディアの自衛隊を見る目も少し変わりつつあった時期である。
1995年の阪神・淡路大震災での自衛隊の活躍により、国民は自衛隊を高く評価。これを境に、かつてのような一方的な自衛隊憎しという声は鳴りを潜めつつあった。
ところが、この「あたご事故」により、再び自衛隊バッシングの嵐が吹き荒れた。当時の様子、それも当事者側から記されたインサイドウォッチがある。
事故から10年を経た2018年、「日刊ゲンダイ」(講談社)に連載された『リバイバル~転落からの復活~』中の、『イージス艦あたご衝突事故 乗員たちは酒盛りしていない』と題した記事がそれだ(2018年3月20日付日刊ゲンダイ記事)。
記事によると、事故直後に報じられた「乗員らが酒盛りをしていたために見張りが手薄となり事故に繋がった」「事故後、防衛省からの聴取に応じるためヘリコプターに搭乗した航海長が酒ビンを海中に投棄した」との報道は、すべて誤報であり、裁判記録にもそうした記述はないとし、加えて事故で責任を問われた水雷長、航海長の2士官は、その後の裁判で無罪判決。その後、護衛艦の艦長や博士号を取得、研究職として復職したことが詳説されている。