早慶ライバル史では、昭和末期の1980~90年代は早稲田の時代、平成の30年間は慶應の時代といってもよいだろう。
昭和末期は高度成長期で、受験生の東京志向と進学率の上昇がマッチングしていた。そんなとき、昭和54年(1979年)には共通1次試験が導入された。当時は国公立大が対象で、原則5教科7科目だった。5教科の重い負担を嫌った受験生は東京の有名私大に集まり、軒並み志願倍率も高くなった。学力偏差値でも国易私難時代と言われた。特に典型的な私大型3教科入試の早稲田は、地方受験生にとっても相性が良く人気が高まった。
地方の旧帝大系の有力国立大に合格したのに、東京の有名私大を選ぶ受験生も、特に女子に少なくなかった。東京の吸引力はパワフルだったのだ。
ところが、1990年代からの平成に入ると、ニューヨークの同時多発テロやリーマンショックもあり、世界経済は低成長時代に移行した。また、平成2年(1990年)には大学入試センター試験が導入された。共通1次試験と違って、センター試験では大学が入試科目を選べ、国立大でも5教科にこだわらず、分離分割方式後期ではセンター試験3教科入試も増加した。そして、私大もアラカルト方式で参加が可能になった。
また、低成長時代で受験生の東京志向も弱まった。東京の有名私大の入学者の出身地の割合を見ても、首都圏が徐々に増えている。早稲田も例外ではなかった。
また、首都圏の私立進学高校が、東大をはじめ早慶クラスでも合格者上位を占めるようになった。彼ら彼女らは、受験勉強の負担から言っても、私大型入試科目に力を入れてきた浪人に対抗せざるを得ない早稲田を敬遠する傾向が強まり、個性的な入試形態の慶應が私大トップ受験生の有力な選択肢になった。有名私立進学校の中高生にとっては、都会風でリッチな慶應のカラーの方がなじみやすいということもあったのかもしれない。かくして、私大3教科型の入試にこだわらず、日本で初めてAO入試を導入したSFC(湘南藤沢キャンパス)など慶應の人気は高まった
そのため、正確な調査結果はないが、早慶を併願して両方に合格すると、昭和の1980年代までは早稲田の選択率が高かったが、平成に入ると慶應に逆転された印象だ。
30年近くたった平成29年(2017年)頃には明確な差がつき、東進スクールの調査では、早稲田(政経)VS慶應(法)で26%:74%、法学部同士だと6%:97%と慶應の圧勝、文学部でも早稲田46%:慶應54%となっていた。早稲田の看板学部の理工系でも、早稲田(先進理工)33%:慶應(理工)67%、早稲田(創造理工)29%:慶應(理工)71%と、受験生の選択志向は慶應にあることが歴然としている。
ところが令和に入ると、早慶併願合格者の比率で、またまた早稲田が復活しているようだ。ただし、慶應(法)は法科大学院の司法試験合格者数で、平成の間、全国大学トップクラスをキープ、人気を持続している。10人の早慶ダブル合格者のうち7人以上が慶應を選んだのだ。まさに、平成の慶應の強さを象徴していたと言える。
ところが、令和3年(2021年)になると、全体の率ではダブル合格者の65%が慶應を選んでいるものの、これは(法)の大差が要因で、(法)同士ではダブル合格者の84%が慶應を選んでいる。一方、他学部では異変が起きている。
早稲田(政経)と慶應(法)では71.4%:28.6%、慶應(経済)では60%:40.0%と早稲田が高くなっている。(商)でも早稲田が2021年に51.7%と慶應を逆転。文学部系でも早稲田の文化構想の人気は高まり、慶應(文)に対して66.7%と圧勝している。理工系も早稲田(創造理工)や(先進理工)は慶應(理工)に対して、併願者選択率がそれぞれ58.8%、56.0%と上回っている。