ガーナ移民の子からヴィトン革命児へ…ヴァージル・アブロー、ファッション界の破壊

 メゾンの歴史において、ファッションを正式に学んだ経歴もなくラグジュアリーと対極のストリートファッション育ちのヴァージル氏がこの地位まで上り詰めたのは奇跡と呼ばれた。前任キム・ジョーンズ氏が切り開いたルイ・ヴィトンとストリートファッションとの関係性をより確固にするには最適なデザイナーであった。

 2016年6月、初のコレクションではカニエ・ウェストの楽曲が流れ、多様性(ダイバーシティ)を象徴するレインボウカラーのランウェイが用意された。ヴァージルの友人も含む17人の黒人モデルのホワイトルックからスタートした。ショーのフィナーレでランウェイに登場したヴァージル氏。鳴りやまないスタンディングオベーションのなか、フロントロウにいた親友のカニエ・ウェストを見つけると、熱いハグを交わし、2人で涙を流した。世界のファッション業界にとって新しい時代を開いた象徴的なシーンが世界中に届いた瞬間であった。

 ヴァージル氏は新たなルイ・ヴィトンの歴史をその瞬間に創った。過去のプロトタイプを脱構築しながら、毎シーズン世界中の人々のワードローブに新しく解釈された新鮮な価値を提供した。

2. 歴史的ファッションヒエラルキーを破壊

 この秋、米国ボストン現代美術館でヴァージル氏の個展“FIGURES OF SPEECH”が開催された。過去約20年間のキャリアを振り返る約70点が展示された回顧展が、シカゴのシカゴ現代美術館とアトランタのハイ美術館に続いて公開された。彼がアフリカ系アメリカ人としてヨーロッパの歴史あるメゾンで展開したコレクションは、何を生み出したのであろうか。ファッションは常に時代を映す鏡であると表現されてきた。

 スノッブかつ豊かさの象徴であったラグジュアリーと、ストリートから生まれたファッションスタイル。社会の対極で芽生え拡散したファッションスタイルの破壊と創造。従来そこには、越えられない明確なヒエラルキーが存在した。ヴァージル氏は、歴史的ファッションヒエラルキーを破壊し、新しい価値観を提案した。

 若く新しい世代は、絶大な指示と賛同を寄せルイ・ヴィトンのビジネスを拡大させた。肌の色も出自も超えたダイバーシティを見事に表現し、新たな価値を提案した革命的なデザイナーだった。彼を支持した新しい世代の価値観が、これからのファッション業界をより素晴らしいものに進化させ、亡きヴァージル氏の存在が大きな意義をもっていたことが今後ますます証明されるであろう。黙祷。

(文=たかぎこういち/タカギ&アソシエイツ代表、東京モード学園講師)

●たかぎこういち

タカギ&アソシエイツ 代表/スタイルアドバイザー/コンサルタント(ファッション視点からの市場創造)/東京モード学園ファッションビジネス学科講師

1952年、大阪生まれ。奈良県立大学中退。大阪で服飾雑貨卸業を起業。22歳で単身渡欧後法人化代表取締役就任、1997年香港に渡り1998年、現フォリフォリジャパングループとの合併会社取締役に就任。オロビアンコ、マンハッタンポーテージ、リモワ、アニヤ・ハインドマーチなど海外ファッションブランドをプロデュースし、日本市場の成功に導く。また、第1回東京ガールズコレクションに参画。米国の有名ファッション展示会「d&a」の日本窓口なども務めた。時代に沿ったブランディング、MD手法には定評がある。2013年にファッションビジネスのコンサルティング会社「タカギ&アソシエイツ」を設立。著書に『オロビアンコの奇跡』『超入門 日・英・中 接客会話攻略ハンドブック(共著)』(共に繊研新聞社)、『一流に見える服装術』(日本実業出版社)、『アパレルは死んだのか』(総合法令出版)、『アパレル業界のしくみとビジネスがこれ1冊でしっかりわかる教科書』(技術評論社)などがある。

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『アパレル業界のしくみとビジネスがこれ1冊でしっかりわかる教科書』(たかぎこういち/総合法令出版)