そこで、このレコードをプロデュースしたキングレコードの高和元彦さんにその“秘密”を聞いてみた。
「発売当時、盛んにCDと『スーパー・アナログ』との“聴き合わせ”をやったんですが、『スーパー・アナログ』の音を聴かせるとみんなブッ飛ぶんです。
つまり、人間の耳はアナログなんですよ。人間の歌やアコースティックな音楽の音もすべてアナログ。今のデジタル技術はかなりのところまで来ているけど、まだクリアできていない部分がある、ということです。デジタルにはメリットもデメリットもあるし、アナログにもある。何だってそうなんですよ。そして音楽として、どちらの音が本物に近いかというと、アナログのほうが近いんです」
何もCDは“ベスト”ではなかったのである。数年前より「アナログ」という言葉にはマイナスのイメージが与えられ、「アナログ」は時代遅れだと盛んに喧伝された。それから何年か経った今、デジタル技術が良くなっていけばいくほど、「アナログに近づいた」とか「アナログ的な良さがある」という言葉がチラホラ聞かれるようになった。バカな話である。例えば時計にしても一時はデジタル時計がやたら流行ったが、今ではほとんどなくなった。自動車の速度計にしてもアナログに戻っている。アナログ表示のほうがなぜだか人間の頭にはスッと入ってくるのだ。
しかしアナログレコードの国内プレスの道は閉ざされてようとしている。でも、「スーパー・アナログ」は、スイスの工場で引き続きプレスされ、生き延びる。
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出版の世界に例えて言えば、活字の力が今現在100%発揮されているとは思えないし、思わない。写真や映像のほうが力がある、という人もいるが、だからといって活字メディアを全部やめてしまおうという話になどなりはしない。しかし、そんなことが現に進行中なのが、LP→CDへの移行にみられる音楽の世界なのである。「音楽はアナログレコードで」という“選択”があってもいいじゃないか。今まさに一つのメディアがなくなろうとしている。だから今後、アナログレコードは“ファッション”となるだろう。あと5年もしたら「あの喫茶店、レコードかけてるぜ」なんてことになっているかも知れない。
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「30年前のLPレコード・ルポ」は以上である。こののち、街のレコード屋はレコードの棚数を減らしながら次第に「街のCD屋」へと姿を変え、そして消えていった。筆者の住む町にあったレコード屋は、今では中華屋になっている。
記事冒頭で紹介した2本のNHK記事が示しているとおり、「アナログレコードは“ファッション”となるだろう」との見立ては、残念ながらそのとおりになってしまった。「便利」ばかりを最優先していると、歴史も伝統もあるメディアであろうと、突然消滅の危機に晒されるのである。それでも復活を遂げた「アナログレコード」メディアは、稀で幸運なケースなのかもしれない。
30年前の取材の際、キングレコードさんからいただいた「スーパー・アナログ・ディスク」が、今も自宅の本棚で眠っている。「ブッ飛ぶ」音を久しぶりに聴きたくなったのだが、そのためには倉庫で埃をかぶっているレコードプレーヤーやらアンプやらオーディオ一式を引っ張り出さなくてはならない。
でも、手放さずにいたからこそ、聴くことはできる。「捨てない」ことはすなわち「文化を守る」ことにも通じるのかもしれない。
(文=明石昇二郎/ルポライター)
●明石昇二郎/ルポライター、ルポルタージュ研究所代表
1985年東洋大学社会学部応用社会学科マスコミ学専攻卒業。
1987年『朝日ジャーナル』に青森県六ヶ所村の「核燃料サイクル基地」計画を巡るルポを発表し、ルポライターとしてデビュー。その後、『技術と人間』『フライデー』『週刊プレイボーイ』『週刊現代』『サンデー毎日』『週刊金曜日』『週刊朝日』『世界』などで執筆活動。
ルポの対象とするテーマは、原子力発電、食品公害、著作権など多岐にわたる。築地市場や津軽海峡のマグロにも詳しい。
フリーのテレビディレクターとしても活動し、1994年日本テレビ・ニュースプラス1特集「ニッポン紛争地図」で民放連盟賞受賞。