高等専門学校(高専)というと、大学ではなく専門学校だから「学歴的」にはどうなの? という保護者もまだ残存しているようだ。ところが、上場しているモノ(製品)を生産するメーカーや鉄道会社などの就職では中堅私立大学より好調な高専も多く、地方では高校→大学とは別の有力なサブルートとなっている。地域のトップレベルの高校は別として、中堅進学高の先生が「理系希望の中学生が高専に行ってしまうんですよね」とぼやいているのを聞いたことがある。
高専は中学校を卒業してから5年間の修学課程で、その上に専攻科がある。卒業して大学3年に編入できる。また、専攻科を卒業して大学院に進学することもできる。さらに、高専卒業生の受け皿として、新潟県に長岡技術科学大学、愛知県に豊橋科学技術大学が設立されている。
全国に高専は57校、そのうち国立は51校、公立3校、私立3校となっている。いわば国策として、「ものづくりを支える人材を」という肝いりでできたのが高専である。
高専の歴史は意外と古い。1962年にスタートしてから、60年弱。サラリーマンならそろそろ定年を迎える頃である。その間、「人生、山あり谷あり」は高専も同様だ。
誕生時の60年代は大学進学率が30%以下で、まだ高卒が主流。ものづくりで腕に職をつけるのに最適な進路として5年制の高専は人気があり、62~63年の志望倍率は全高専の平均で10倍を超えていた。国公立で学費が安く、寮も完備していて、就職は絶好調。当時、高専の人気が上がるのは当然であった。
しかし、絶好調もそう長くは続かなかった。大学の理工系学部の新設や拡充が続き、60年代は約10万人だった工学部系の学生は、70年代後半には30万人近くに増加した。大学進学率も40%台に伸びて、大学進学が一般的になった。
89年前後のバブル期は大卒の就職が売り手市場で、相対的に高専の魅力が薄れた。また、日本メーカーの工場の海外移転が進み、下請けの中小企業も海外に移転する事例が増えた。日本のものづくり産業の空洞化を指摘する声も高まり、高専生の就職も当然影響を受けた。次第に受験生の熱意も薄れ、15歳人口の減少もあって、高専の志望倍率も下がった。この頃、高専も谷間に沈みつつあったのだ。
ところが、バブル崩壊後の大卒就職氷河期からは高専の人気復活がみられた。卒業後の就職も好調で、2006年頃には求人倍率は20倍を超えた。高専の就職希望者1人に20社の求人があったのだ。これに比べて、当時の大卒の求人倍率は2倍を超える程度だった。
歴史を遡れば、高専も景気や産業界の動向に左右されてきた、と言える。
高専といえば、機械、電気・電子、建築など工学系でメインの研究分野を揃えているケースがほとんどだ。
ただ、新しい分野に挑戦する高専も少なくない。たとえば、福島工業高等専門学校には都市システム工学科やビジネスコミニュケーション学科がある。東日本大震災と福島原発事故という地域の課題に対応しているといえよう。ほかにも、富山高等専門学校には国際ビジネス学科、宇部工業高等専門学校には経営情報学科がある。高知工業高等専門学校はコース別に分かれていて、ソシャールデザイン、まちづくり・防災などのコースも設けている。
東京都立や大阪府立など公立の高専も、高知高専と同じようにコース制で多様な内容になっている。その点、私立の高専はサレジオ工業高等専門学校がデザイン、国際高等専門学校が国際理工などに特化している。