一通り説明し終わり、ふーっと一息ついて、「みなさん、おわかりいただけました?」みたいな流れで、みなさんの顔を見渡す。そのとき、全員の顔に浮かぶ何ともいえない表情が忘れられない。それはまさに、困惑というか混乱というか焦りというか。開口一番に発せられた言葉は「むっ、難しいですね……」だった。
自分で言うのもおこがましいが、説明自体は、わかりやすかったと思う。手元には、カラフルで詳しい補助資料も用意してある。恐らく御三方も概要はおおむね理解できたはずだ。いずれも仕事柄、リテラシーは高めの方々である。
それなのに、“高齢の親の介護やお金”問題を難しく感じた理由は2つ。1つは、介護保険や医療保険をはじめ公的制度や法律、税制など、それ自体が非常に複雑で難解だということ。今の日本において、親の介護を賢く上手にやろうと思えば、介護保険など公的制度の活用は欠かせない。が、いかんせん、ベースとなる知識がない人には、かなり難しいと思う。逆にいえば、わからないのが当たり前だと思っても良いくらいだ。
それに近年、医療・介護関連は頻繁に改正等が行われている。「利用できないと思っていたが、変更で対象に含まれることになったのに、それに気づかなかった」などといったケースもある。知識がある人も、過信してはいけない。こまめなアップデートが必要なのだ。
もちろん、筆者自身もすべてを把握しきれているわけではないし、そのつもりもない。はっきり言って、全部知っておく必要はない。肝心なのは、キーワードだけでも抑えておくこと。例えば、医療費が高額になった時に負担軽減策として「高額療養費」という制度があることを知っているだけでもまったく違う。
さらに、覚えておくべきなのは、誰に聞いたら最新の情報が確認できるかという相談先の情報である。例えば、65歳以上の高齢者に関するよろず相談所といえば「地域包括支援センター」が挙げられる。
そして難しいと感じるもう1つの理由は、物事への理解が段階を踏んで行われるものだからではないかと思う。一般的に、人の理解は「頭」「身体」「心」の3つの段階がある。頭で理解するというのは、そのしくみや論理がわかったということ。介護に関していえば、介護保険という制度のしくみや成り立ちなどの概要を学んで理解するというのがこれに該当する。
また、身体で理解するというのは、要するに体験や経験してみること。親が要介護状態になったとき、介護保険の要介護認定の申請をしたり、手続きしたりすると、頭でわかっていたことが身体(体験)を通じて、「ああ、こういうことだったのか」とより理解が深まる。
そして、心で理解するというのは、感情が対象に傾く、寄り添う状態をいう。親が介護サービスを利用して、それによって、親や子どものQOL(生活の質)が向上して、「介護保険って今の時代に必要だ。こんな介護サービスがあって本当に良かった」と感じられれば、それは心で理解できたということではないだろうか。
つまり、物事を理解するときにストンと腑に落ちる場所は、人や状況によって、それぞれ違うのである。筆者のレクチャーを受けた御三方は、おそらく「頭で理解できた」状態であり、まだ「身体」と「心」が追いついていない。なかには、「あの時の●●は、このことだったのか」と自らの経験を振り返って納得できた部分もあっただろうが、大半、身体や心が理解するまでには至っていない。なぜなら、人生100年時代に生きる私たちは、介護する子どもも介護される親もかつてない未体験ゾーンに突入しているのだから。体験したことがないこと、実感しことがないことだらけである。