緊急を要する事態が発生したとき、トップにマイナス情報が迅速に上がるシステムが構築されていないことが露呈。幹部行員が組織のトップである頭取に、銀行の信用にかかわる重要な情報を伝えていなかった。
みずほの“病巣”は、外部に現出した数々のハプニング以上に深い。第三者委の報告書は「問題の解決よりも責任回避を優先する企業風土の存在」を抉り出した。第一勧業銀行、富士銀行、日本興業銀行の3行統合で培われた、後ろ向きの企業風土の改革を断行しなければ、「再発防止策は絵に描いた餅で終わる」と報告書は示唆した。
トラブルの歴史を振り返ってみよう。みずほ銀では2002年と11年に大規模システム障害が発生。金融庁は業務改善命令を出した。当事者は基幹システムの一元化など再発防止に取り組んだが、21年2月末にATMが大量のキャッシュカードの取り込み、顧客を長時間待たせる事故を再び起こした。
報告書は「18年6月にもATMへのカード取り込み被害が1821件発生していた」と初めて公表した。このとき、この事実は隠蔽された。「改善する契機」だったのに、トラブル発生時に顧客が被る迷惑や不利益への想像力が欠け、感度の鈍さからATMの仕様変更には至らず、今回のトラブルにつながった。
みずほFGが具体的な企業風土の改革として掲げたのは、システム部門を含めた外部人材の登用による「新しい風」への期待と、人事評価の減点主義からの転換である。坂井社長は6月15日に記者会見し「(改革方針が)現場の隅々まで伝わるようにしたい」と強調した。
その一方で「経営が言っても簡単には変わらない」とのホンネも漏らした。第三者委は「まずは企業風土改革の必要性への自覚が必要だ」と覚悟を求めた。だが、坂井社長の消極的とも取れる発言は、改革の決意の固さを疑わせるものとなった。
「みずほ銀行頭取とシステム部門トップの更迭で株主総会を乗り切り、問題に幕引きをはかる、という坂井社長の意図が透けて見える、お粗末な記者会見になった」と金融関係者は突き放す。
みずほFGは旧日本興業銀行出身者の天下である。3行統合後は抗争の歴史の繰り返しだった。02年4月、合併直後に大規模システム障害が起きた。このときは自行のシステムの採用をゴリ押しした第一勧銀を、富士銀と興銀が組んで追い落とし、富士銀出身の前田晃伸氏が社長の座に就いた。
11年3月、東日本大震災後に大規模システム障害が再び発生。興銀出資の佐藤康博氏が社長の椅子に座り、富士銀、第一勧銀勢を駆逐した。後任社長に、同じ興銀出身の坂井辰史氏を据え、興銀支配を盤石なものにしようとした。
そして今回のトラブルである。興銀出身の佐藤会長、坂井社長は、みずほ銀の藤原頭取(第一勧銀出身)を加藤副頭取(富士銀出身)に交代させることで幕引きを急ぐ。金融庁はみずほ銀に業務改善命令を出す。興銀出身の2トップは藤原氏の首を差し出すことで逃げ切る構えだが、冷や飯を食って久しい富士銀と第一勧銀勢が巻き返しに出るのは必至だ。ターゲットは興銀勢を束ねる会長の佐藤康博氏の追い落としだという見方もある。
みずほのお家芸となった3行抗争劇の再現とみる金融関係者もいるが、「3メガバンクから脱落する懸念さえある、みずほFGに、人事のイス取りゲームをやっている余裕はないはずだ」(有力金融筋)。
【3行統合後の歴代社長】
みずほホールディングス社長
氏名 在任期間 出身大学 出身銀行
1? 杉田力之 00年9月~02年3月 東京大(経済) 第一勧業銀行
2? 前田晃伸 02年4月~03年1月 東京大(法) 富士銀行
みずほフィナンシャルグループ社長
1? 前田晃伸 03年1月~09年3月 東京大(法) 富士銀行
2? 塚本隆史 09年4月~11年6月 京都大(法) 第一勧業銀行
3? 佐藤康博 11年6月~18年3月 東京大(経) 日本興業銀行
4? 坂井辰史 18年4月~ 東京大(法) 日本興業銀行
(文=編集部)