尹氏は、一般の方を対象とするインタビューセッションを行っている。参加者のほとんどは女性だが、パートナーに前述のような振る舞いを感じているケースも多いという。
「彼女たちの中には、パートナーには言えないような話をする人もいます。言えないというのは、聞かれもしないし、話してもわかってくれないというあきらめがあるから。もちろん、ジェンダーの問題に高い意識を持つ若いパートナーもいますが、彼らにも同様の諦念を持っているといいます。また、多くの男性は女性から相談されたときに『君はものを知らないから教えてやる』というマンスプレイニング、いわゆる上から目線の説教を始めてしまう人も、やはり多い」(同)
もしくは「要するにどういうこと?」と自らの話法を強要し、「俺がわかるように言ってくれ」と、またもや上から目線でものを言う。このような振る舞いが女性たちに諦念を覚えさせるのだ。
ちなみに、マンスプレイニングに対して女性が相槌を打っているのは「共感性が高いのではなく、逆らうと面倒なのと、そうやってほめてやらないとぐずり出すと、経験的に知っているから」(同)。いい解決策を教えてあげたと悦に入ったことのある男性たちは、この言葉を肝に命じておきたい。
変革を余儀なくされる社会において、自身の振る舞いを変えていきたいと考える男性もいるだろう。ただ、尹氏は次のような例を挙げる。
「僕が主宰する読書会で、フェミニズムの話になりました。その際、参加者の男性が、これまでの自身の振る舞いの反省を述べつつ『何が問題か、その都度教えてほしい』と言いました。その瞬間の女性参加者の呆れた顔は忘れられません。おそらく、興味を持っているから教えてくれるだろう、という期待があったんでしょうが、みな『女性は手取り足取り教えてあげるお母さんではない』という反応でした。男性が変わるには、自分の発言が相手に対してどう響くのかを考えた方がいいし、それを察知する感受性が必要です」(同)
感受性を育てるのはなかなか難しいことだが、尹氏は「まずは相手との対話で緊張感を持つこと」だと話す。
「教えてくれる、励ましてくれる、受け入れてくれる、というのは女性への甘え。相手へのリスペクトや、自分が思っていることが普通ではないという感覚があれば、おのずと緊張感が生まれるはずです。そして、自分が相手に理解されて当然だという態度を捨てることです。もちろん、相手が年下でも年上でも関係ありません。『これだから女性は怖いなあ』と言う人もいますが、これは怖がっているふり、あるいは『恐妻家』という形で茶化すだけで、女性に対して向き合っていない証拠です。その根底には『こんな僕だけど許してね』という心理がある。これまた『私はお母さんですか?』と呆れられてしまいます」(同)
我がふりを直そうとする男性も増えてはいるが、一方で「これだからフェミは」などと男社会への批判を嘲笑する層も少なくない。
「彼らは、何かが変わってきていることには気づいているけど、それが自分の価値観を揺らがせることだから、恐れているのです。向き合う勇気がないだけで、それこそ男らしくないですよ。フェミニズムに対する愚痴を言って、部下に相槌を打たれて、相変わらずの価値観のぬるま湯に浸っている。今までの価値観や環境の確認をするだけの人生に、喜びや楽しさがあるでしょうか。恐れと好奇心を持って変化していくことに生きがいを見いだすほうが楽しいでしょう。50歳くらいで考えや価値観が固まって、残り30年以上変化しない人生って地獄じゃないですか」(同)
男としての権力や恐怖による支配を“強さ”だと錯覚している人もいるが、「そのような人はリタイア後に誰からも相手をされなくなる。そのときになって寂しいと言っても遅い」(同)のだ。
(文=沼澤典史/清談社)