パナソニックは津賀一宏社長(64)が代表権のない会長となり、楠見雄規常務執行役員(55)が社長に昇格する人事を発表した。2021年6月24日付で、トップ交代は9年ぶりとなる。22年4月には持ち株会社に移行し、社名をパナソニックホールディングスに変更する。経営陣と組織体制を刷新し、業績回復と競争力の強化を急ぐ。
楠見氏は89年に京都大学大学院を修了、松下電器産業(現パナソニック)に入社。研究開発畑を歩み、現在は電気自動車(EV)向け電池などを手がける車載事業部門のトップを務める。トヨタ自動車との車載電池の合弁会社設立などで主導的な役割を果たした。世界的に脱炭素の気運が高まり、EVやハイブリッド車(HV)などの急速な普及が見込まれるなか、楠見氏の起用で事業基盤を強化する狙いがある。
新体制では7つある社内カンパニーなどを8つの事業会社に再編する。パナソニックの社名は家電や空調、中国・北東アジア事業など5事業を集約する事業会社に残す。パナソニックと企業向け、電子部品、車載電池の4事業会社を成長領域と定義し、4本柱とする。電池以外の車載装置や映像・音響、住宅設備などの3事業については競争力の強化に取り組むが、成長が見込めない場合は事業譲渡なども視野に入れる。
津賀体制下では成長分野としてきた車載製品と住宅関連は、新体制では「高収益な4本の柱」から除外された。11月17日、記者会見した楠見氏は今後の経営方針について「事業環境や競争環境からどうしても強みを持てない事業は、冷徹かつ迅速な判断で事業構造から外すことも考える必要がある」とし、不採算の3事業について撤退の可能性を示唆した。
津賀氏が成長分野の柱に据えた車載・住宅路線からの決別宣言である。
津賀氏は12年6月27日の株主総会後の取締役会で、パナソニックの第8代社長に就任した。プラズマテレビへの大型投資や三洋電機の買収を決断した中村邦夫氏(第6代社長)と大坪文雄氏(第7代社長)の師弟コンビが、巨額赤字を出した経営責任を明確にするため引責辞任。たすきを渡された津賀氏は、この時、55歳。年功序列を重んじる社風からすれば、大抜擢だった。くしくも、楠見氏も55歳の若さで社長に就任する。
津賀氏が最も輝いていたのは社長就任当初の3年間だろう。「不退転の決意」で抜本的な構造改革を打ち出した。プラズマテレビ事業から撤退し、長年花形だったテレビ部門を解体した。テレビやオーディオなどAV機器を冷蔵庫や洗濯機など白物家電部門へ放り込んだ。本流だったAV機器は白物家電に包含され、非中核分野に格下げとなった。
一連の構造改革が奏功し、12年3月期、13年同期で合わせて1兆5000億円超の赤字を計上したのが嘘のように、14年3月期に1204億円の最終黒字に転換した。3年ぶりのことだ。
津賀氏とソニー元社長の平井一夫氏。苦境に陥った巨大エレクトロニクスメーカーのトップとして、2人は常に比較された。就任から2年、2人の力量の違いがはっきりしてきた。パナソニックは黒字転換を果たし、最悪の状態からいち早く脱却した。ソニーが黒字を確保できる状態に戻ったのはパナソニックより2年後だ。
パナソニックとソニーの明暗を分けたのは、「捨てる力」の差だった。テレビを見切った津賀氏とテレビにこだわった平井氏。2人の経営者としての評価は大きく変わった。
津賀氏は社長就任後の初仕事として、13年4月から始まる中期経営計画を発表した。構造改革の方向性がこの中計で見えてきた。核となる事業を、家電などの消費者向けのBtoCから企業向けのBtoBに大転換をはかるというものだった。個人向けより値崩れしにくい法人向けビジネスに経営の舵を切ったのである。テレビ、半導体、携帯電話など5つの赤字事業は「2年間で赤字ゼロにする」とした。