なぜ三菱は日産・日立とばかり組むのか?日産コンツェルン100年史と三菱自動車買収騒動

2016年に三菱自動車が燃費データを改竄して、燃費を実際より最大15%もよくみせていた偽装工作が発覚、経営危機に陥った。

 三菱自動車工業の偽装工作はこれが初めてのことではなく、2000年、2004年に「リコール隠し事件」が発覚して経営危機に陥り、三菱グループは総力を挙げてこれを支援。最終的に三菱重工業が関連会社化して再建に道筋をつけていた。再度にわたる偽装工作に三菱グループもさじを投げ、日産自動車による実質的な買収を認めたのだ。

 三菱自動車は第三者割当増資を行い、その3割強の株式(約2000億円)を日産自動車に割り当て、実質的に傘下に入ることになった。

旧日本鉱業による結果的には三菱石油買収

 いわば、三菱自動車は三菱グループの問題児だったのだが、問題児といえば、もう一社、三菱石油(現・ENEOSホールディングス)があった。

 三菱自動車と三菱石油は共に外資系企業との合弁会社として設立され、中途半端な立ち位置を活かして自由気ままに経営していたといわれている。その結果、三菱石油は1997年3月期決算で82億円もの経常赤字に陥ってしまう。時あたかも石油業界は規制緩和で業界再編の真っ只中にあり、三菱石油は自主再建を断念。日本石油との合併に同意し、1999年に両社は合併を発表した。

 合併後は三菱グループに一定の配慮を見せ、日石(にっせき)三菱を名乗ったが、2002年に新日本石油と改称、三菱商号が外された。

 そして、2010年に新日本石油と新日鉱ホールディングスと経営統合し、JXホールディングスとなるのだが、新日鉱ホールディングスの母体が日本鉱業(旧・久原鉱業所)なのだ(さらにJXホールディングスが2017年に東燃【とうねん】ゼネラル石油と経営統合してJXTGホールディングスとなり、ENEOSホールディングスに改称)。

 日本鉱業が三菱石油を直接合併したわけではないけれども、結果として、日産・日立グループの傘下に屈することになったのだ。三菱グループは三菱商号とスリーダイヤ社章を何より大事にして、それに固執するがゆえに他社との合併が少ない。「社名に三菱商号が残せないなら」といって破談にした合併話もあるくらいだ。だから、三菱石油の吸収合併は、三菱グループにとってあまり気持ちのよいものではなかった。その延長に日産・日立グループである。しかも、日産・日立グループ企業と三菱グループ企業の組み合わせは、それで終わらなかったのである。

日立製作所と三菱重工業の合併話が浮上

 2011年8月、日本経済新聞が、日立製作所と三菱重工業の経営統合をすっぱ抜いた。

 結果的には誤報になったのだが、それよりも識者の多くが、新聞紙面に掲載された数字に驚かされた。三菱重工業の売上高が日立製作所の半分にも満たなかったのである。

 三菱重工業といえば、三菱御三家の一角を占め、高度経済成長期にはメーカー日本一だった。いつの間に日立製作所とこんなに差が付いてしまったのか。仮に合併したら、三菱の名前が消える可能性すらあった組み合わせだった。

 ちなみに、両社はそれまでも、発電システム事業や製鉄機械などの事業分野ごとに子会社を分離して統合を進めていったパートナーではあった。

なぜ、三菱は日産・日立と組むのか

 以上、日産自動車と三菱自動車、旧日本鉱業と三菱石油、日立製作所と三菱重工業の提携・合併について見てきた。

 ではなぜ、三菱グループ企業と日産・日立グループとの組み合わせが多いのか。

 三菱グループは第二次産業、特に重化学の加工業分野に圧倒的に強いのだが、日本でこの分野に強い企業は戦前の財閥を母体とする、いわゆるオールド・カンパニーに多い。