大賀氏が巨額の裏金を手にできたのはなぜか。経団連会長の御手洗氏の後ろ盾があったからではないのか、と取り沙汰された。御手洗家と大賀家は親の代からの付き合い。御手洗氏と大賀氏の実兄は佐伯鶴城高校の同級生で親友。弟の規久氏は同窓生だった。御手洗氏は「キヤノンも私も事件には関与していない」と完全に否定した。経団連会長を2期4年務め10年に退任した。
リーマンショックやタイの洪水被害により業績不振に陥る。12年3月、内田氏が社長を退き、御手洗氏がキヤノン社長に復帰。会長と社長を兼務した。
株主の反応は厳しかった。13年3月に開催された定時株主総会で御手洗氏の再任の反対票が3割近くに達した。前年は9割以上の賛成があった。賛成率が7割にとどまったことは、かなりの株主が御手洗氏の社長復帰に「反対」との意思表示をしたことになる。
16年3月、第9代社長に真栄田氏が就任し、御手洗氏は会長兼CEOに戻った。真栄田氏は九州大学工学部卒のカメラ技術者。大分県佐伯市と県境を挟んだ隣町の宮崎県延岡市の出身だ。同郷とほぼ同協といえる出身者を社長に起用したと揶揄された。
御手洗氏は焦っている。かつて、利益のほぼすべてをカメラと事務機(複写機とプリンター)が稼ぎ出していた。ところが、リーマンショックで環境は一変。世界トップシェアを誇ったデジタルカメラはスマホに浸食されて売り上げが落ち込み、プリンターの販売は低迷した。カメラも事務機も成長力を失った。ビジネスモデルを転換しなければならない。
16年、6600億円の巨額資金を投じて東芝メディカルシステムズ(現キヤノンメディカルシステムズ)を買収した。これまでにM&A(合併・買収)に累計1兆円を投じてきた。だが、果実をもたらす以前にカメラと事務機がへたってしまった。
19年12月期連結決算(米国会計基準)の純利益は10年ぶりの低水準となった。期初に純利益を2400億円と予想したが、これが前の期比49%減の1251億円に目減りした。売上高は9%減の3兆5933億円、営業利益は49%減の1746億円だった。売上高営業利益率は4.8%まで急降下した。目標に掲げる5兆円の売り上げには、ほど遠い数字だ。売上高営業利益率15%超を叩き出し、エクセレント・カンパニーと呼ばれたキヤノンは、往時の輝きを失った。
新型コロナウイルスの感染拡大がもたらした世界的大不況の強風がキヤノンに吹き付ける。3度目の社長に復帰した御手洗氏は監視カメラや医療機器といった新規事業への転換を、自らの手で成し遂げたいと考えている。
「世の中は10年単位で大きく変わる」。御手洗氏の持論であった。今、通用している経営手法は、次の時代にまったく役に立たなくなる、ということだ。違った人が違った仕組みをつくらなければ企業の発展はないと、自らを戒めてきたはずだ。そのためにも、次の時代を担う、骨太の後継者の育成が最重要課題だった。権力に執着した御手洗氏は、後継者を育てることをおろそかにした。ミニ・御手洗を経営陣に起用し続けた結果、「社長のなり手がいない」(関係者)
これは悲劇か、それとも喜劇か。社長に寝首を掻かれる心配のない人物を据え、御手洗氏は会長兼CEOとして、死ぬまで君臨することになるのだろう。
5月7日の東京株式市場。キヤノンの株価は急落し、大型連休前に比べて78円50銭(4%)安の2138.5円まで下落した。3月17日の年初来安値2035円が視野に入ってきた。7日朝に為替相場が1ユーロ=114円35銭と3年半ぶりのユーロ安・円高となり、欧州の売り上げが全体の4分の1を占めるキヤノンの業績悪化の懸念が強まった。
キヤノンは20年1~3月期の連結決算を発表した4月23日の時点で、20年12月期(本決算)の業績見通しを取り下げた。カメラを含む主力事業の需要の見通しが立たないためだ。御手洗氏の3度目の社長復帰は株式市場では好感されなかったことになる。大物が社長になると、先行きに対する期待から「ご祝儀相場」になることがあるが、“仏の顔も3度”ということにはならなかった、
前途多難である。思い切って、若手を社長に抜擢するくらいの英断が望まれる。「(御手洗氏の)寝首を搔く」ような力のある若手が出てこない限り、キヤノンの浮上はない。
(文=有森隆/ジャーナリスト)